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*みる(観察)*

・今回のmemo

世界や自分をみる(観察)するとき
多くのわたしたちは
「意味づけ」をしています。

コージブスキーの一般意味論
からヒントを得ると

言葉以前のもう一つの側面に

「ことば」にならないうちから
すでに多くのわたしたちは
「意味」を抽出しています。

なにかものを「認識」することそれ自体、
そこで一種の抽象作用で「意味」をつけています。

地図は現地ではない

「私たちが思って、例えばそこに椅子があると認知するわけです。それがすでに、ほんとに椅子であるかどうかわからない。
というか、
椅子という確固たる物体があると思っているけど、実は原子や粒子の動きであって、触るとあるかのごとく思うだけのことで、ほんとはモノじゃなくて流動している事柄なんです。」

コージブスキーの一般意味論を教えていた
(故)片桐ユズルさんはいいました。

「例えばそこに椅子があるとみることは、
目に映った椅子はあくまで現実の地図
でしかなくて、地図と現地は別ものである。」

ああ、そうか!
わたしは意味づけを減らして
ありのままをみる(事実をみる)ことを
実践しようとしていたけど、
ことばにならない
うちから意味を抽出しようとしてるなあ。

そうではなくて、地図と現地はちがう
ことを知っておくのが大切なのか。

(↑言葉と動きについて、書かれている記事。
分かりよく、シェアさせていただきます🙏)

「ことば」を扱う上で
気をつけていきたいことです。

あれ?「みる(観察)」ことから
「ことば」に繋がっていきました~

2024/1/13/mayumi@kyoto

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