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ファッションレボリューション2021には参加しません (MIYASHITA PARK でファッションレボリューションを開催することの、トゥルーコストについて)

はじめに、ファッションレボリューションは意義ある取り組みであり、たくさんの方に参加していただき、広がってほしいと思います。ファッションレボリューションに関わる仲間たちの活動も人柄も信頼しています。信頼しているから、こんなことを言ってもうんうんと意図を汲んでくれるし絶交とかされないと思い、以下を書きます。

2021年のファッションレボリューションには、参加したくありません。一番大切なものを、裏切っています。

これは僕個人の意固地なので、初めてファッションレボリューションを知った方も毎年アクションしている方もぜひ参加して、盛り上げてください。でも、誰か一人くらいは難癖もどきの「ちょっと待った」を表明しておかないといけないと感じ、その役割を務めます。

まずファッションレボリューション(Fashion Revolution)とは、2013年4月24日バングラデシュで起こった縫製工場「ラナプラザ」が崩壊し、1,100人以上が死亡、2,500人以上が負傷した崩落事故をきっかけに生まれたグローバルキャンペーンです。

「ラナプラザ」では大量生産・大量消費モデルのアパレル企業の服が作られており、労働者(主に女性)が劣悪な職場環境下で低賃金の長時間労働をしていたと言われます。建物にヒビが入って崩壊の予兆があったのに、そのまま働かされ続けたとか。詳しくはELEMINISTをご参照ください。

服を裏返してタグを見ることで、自分が着ているものはどこの誰が作ったのか思いを巡らせ、「ひとりひとりが #whomademyclothes と考えることからファッション産業の透明性を高めて」いこうと呼びかけています。

サステナブル、エシカルにかかわるイベントの中でも、環境面より、人権、特にいわゆる「社会的"弱者"」を大切にするものだと思います。

それを踏まえて、、

僕が参加したくない理由は、会場が MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク) である点につきます。

過ぎたことをいつまでもうだうだと、と言われるかもですが、僕の認識では MIYASHITA PARK はホームレスの方たちを強制排除して作られた場所です。

詳細については、こちらの記事などご参照ください。

先日、「新今宮デート」の記事が問題として取り沙汰されましたが、"弱者"(ホームレス状態の方たちを一概に弱者扱いするのも失礼ですが、弱い立場だとは思いますので、ご容赦ください)を排除したりネタにしながら、企業や行政がおしゃれ風で良さげ風なもの(ときに、SDGsが謳われる)をカネをかけて作りあげる「ジェントリフィケーション」は、各所で見られます。

それは、"弱者"の搾取です。そんなものの片棒をかついではいけない。

MIYASHITA PARK で開催されるファッションレボリューションは、"弱者"を排除してその居場所を取り壊して作られた、キラキラしい消費パーク(疑似人情の仮面を被った横丁なんかもある)で、お勉強ができ小金をもった人たちが「消費できる『サステナブル』」を楽しんでいい気持ちになるための感動ポルノの会に思えてしまう。

バングラデシュの「ラナプラザ」跡にお金をじゃぶじゃぶ使った豪華絢爛高層ビルでも建てて夜景がきれいな屋上のクラブでシャンパンタワーに血のようなオーガニックワインを注ぎながら黙禱した後でナンパに励むパーティーみたい。グロテスク。

"弱者"を追い出した消費パークで、頭のいい人たちが「消費できる『サステナブル』」の会をやり続けると、分断が進み、サステナブルやエシカルや「誰一人取り残さない」なんていかがわしい、ふざけんなという不信感・反発をめいいっぱい育ててしまう。

「ラナプラザ」で亡くなった方たちにも、宮下公園を強制排除された方たちにも、等しく思いを馳せるべきです。

僕だっていい歳をした大人です。さまざまな事情があることはよくわかります。それらが善意に基づいているだろうと信じます。

でもだからこそ、僕のような風来坊の一人くらいは、そこへの違和感を表明しておかないと、排除され取り残されたあの日の誰かのやるせなさが報われないじゃあないかと思います。

それではあまりに無情すぎる。僕たちはそんな情け無い世界を作りたいわけではないはずです。

サステナブルやエシカルは、環境の話しだけではありません。そしていわゆる海外の"途上国"の話しでもありません。『女工哀史』や『あゝ野麦峠』を読まず(細井和喜蔵、面白くないんですけど)、水俣も知らずに向き合うことはできません。

そして、今すぐ隣に社会的"弱者"の立場に置かれている人がいるという想像力を持たなければいけません。雨が降れば、屋根などないところで濡れて夜をあかす人が近くの路上にいるんだと思い出したい。何もできなくても、想像力と見捨てない心は失ってはいけない。失ったらそこでお終いです。

"弱者"を踏みにじり、追い出したその場所で、いったい何のエシカルを語るのでしょうか。誰に向けて言葉をつむぐのでしょうか。「発展途上国の貧しい無学な女性たちは可愛そうだよね」と話すのでしょうか。

ちょうど、足立区で公園にいるホームレス状態の方のダンボールに放火した犯人が逮捕されました。「ホームレスが許せない」と供述したそうです。

バングラデシュの「ラナプラザ」崩落で亡くなった方を悼み、ファッション産業の環境負荷や気候危機に警鐘をならす私たちは、目の前の道端に座っているホームレス状態の方を許せないですか?許すって言葉を、使えますか?

理想的な良き弱者(被支配者)と心優しい強者(支配者)というオリエンタリズムは、もうやめたい。新今宮の「弱者を踏みにじれる観光」ほど最悪ではないにしろ、"弱者"を不同意にアクセサリーにして消費して気持ちよくなりながら金儲けをはかる人たちに利用されるのは、もうやめたい。

ファッションレボリューションでは、映画『ザ・トゥルー・コスト ファストファッション 真の代償』がよく上映されます。

私たちの便利な暮らしの陰に隠されてしまっている、というより私たち自身の想像力の欠如と見ないふり力の発揮により無きものにされてしまっている、トゥルーコストを忘れないこと、を映画は伝えています。

MIYASHITA PARK でファッションレボリューションを開催するということの、トゥルーコストって何でしょう。

「誰一人取り残さない」と、どの面下げて言うのでしょう。

だから僕は、2021年のファッションレボリューションには、参加できません。"弱者"を踏みにじらない、搾取しない、トゥルーコストを押し付けないという一番大切なものを、裏切っていると思うから。

そこの場で、エシカルという言葉を発する自分を許せないから。

・・・という難癖を書いた上で、ファッションレボリューションに興味をお持ちの方はぜひ参加してください。言っていることと矛盾していますが、冒頭に書いたように誰かが「ちょっと待った」を言ってその意見は聞いていただいた上で、みんなでパイを広げていかないと、地球も人類社会も限界になってきています。

分断している場合じゃない。

コロナには重々注意しながら、 #whomademyclothes を考えて、服を通して世界の人と人、自然と人のつながりを再構築していってください。面白いイベントも沢山!

・・ただ、せっかくなら環境やテクノロジーの話しばかりじゃなく、もっと人権やジェンダーのトピックが欲しかったなあ、、サステナブルって環境だけじゃないですし。。ジェンダー平等意識弱い方が多いと思ってます・・。






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