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【短編】「赤信号」_Simplicity of the world, Complexity of the life. 084

 都心のオフィスビルで打ち合わせを終えた私は地下駐車場に停めた自分の車のエンジンをかけた。駐車場のゲートで二千四百円を払うとゲートは槍を掲げた老練な兵隊長のように機敏にバーを跳ね上げた。

 地下駐車場から通りに出て右折をすると交差点に差し掛かった。私はカーナビゲーションに誘導されるままに左折し、国道に出た。大きな通りは帰宅する車や運送車で溢れかえっていた。しばらく走ると、信号機が黄色になった。私は黄色になると停止線で車を止めた。急いで黄色で交差点を渡るのは性に合わなかった。信号は赤になった。

 カーステレオのFM放送からバッハの無伴奏チェロ組曲が静かに流れていた。おそらくパブロカザルスが演奏したもので、私はずいぶん昔にそのCDを買い、音楽プレーヤーに保存していたがしばらく聴いていなかったことを思い出した。

 車中の空間だけが東京都心の忙しく回る時間の中でぽつんと切り離されているようだった。ヴォイド、という言葉が脳裏に浮かんだ。

 私は停止線に車を止めたまましばらくカザルスの弓が弦を擦る音に耳を傾けていた。時間はゆっくりと流れ風景が停止ているように感じた。いや、実際に風景は停止していたのだった。

 車道に直行する歩行者の信号は赤のままだった。歩行者たちは横断歩道を渡ることなく歩道に溜まっていた。私は慌てて車道の信号機を確認した。だが、その信号機も赤だった。歩道と車道の信号機は両方とも赤だった。

 私は目を疑った。片側三車線の国道の信号機がすべて赤だった。見渡すかぎりの信号が赤い光を点灯させていた。車はその場から1ミリメートルも動けなくなっていた。額から汗が滲み出した私は信号機をじっと見つめた。そんなはずはない、いつかこの信号は青に変わるはずだ。私は睨み続けた。そしてあることに気づいた。赤信号は三つ灯りが並んだうちの一番左側のものだったはずだ。だが私がいま見つめ続けている赤信号は一番右に並んでいるものだった。私は違和感を感じた。私が眺めているこの物体は果たして私の知っている信号機なのだろうか。

 刹那、信号機の点灯が変わった。一番右の灯りが光っていたものが、真ん中に移った。だが、色は赤だった。そして、三秒ほど点灯したのち、光は一番左に移った。やはり色は赤だった。

 私はその時、なにが起きたかを悟った。信号機は正常に稼働していたのだ。私はその仮説を確かめるために歩行者用の信号機に目をやった。案の定、歩行者用の信号機は赤だった。だが、赤く光る場所は、人物のシルエットが歩いている下段の場所だった。普段、青く点灯する位置だ。

 信号機は正常に機能していた。無くなったのは赤以外の光だったのだ。

 何かの拍子に、この世界から赤以外の色が消えてしまったのだ。私はシートに体を預けてため息をついた。どうりで夕日が早いはずだ。

 いまはまだ時刻で言えば午後の二時を過ぎたところだった。空は焼けるような赤い夕日が広がっている。

 どうして気づかなかったのだろう。夕日ではなかったのだ。それは空が青を失い、赤く染まっていただけだった。

 私は青い空を思い出そうとした。だがうまく思い出すことができなかった。青とはどんな色だっか?カザロスは無伴奏曲を五番まで終えていた。きっとカザロスが第六番を演奏する前にカーステレオから臨時ニュースが入るだろう、と私は考えた。人類が青を失った、という悲報が。



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