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写真の中の時間の写真

写真というのは、時間を写すものである。
そこにあった景観を、カメラの技術的・時間的制約のもと、一枚の写真に押し込める。

シャッタースピードを操作することで、人間の目では追いきれない「速い時間」や、人間の目という機構では再現できない「遅い時間」をメディア化することができる。

有名な話であるが、馬が疾走する姿を連続写真で撮影したことにより、初めて走る馬の脚の位置関係がわかったという。だから近代以前の疾走する馬の絵は、足が大きく開いていたりする。
遅い写真は、長時間露光撮影のように水が流れるさまを撮り続けて数十秒の時間を一枚の写真に収めることをいう。
どちらも写真というメディアにより、我々が認識できるようになった時間的感覚である。

今回のショートフィルムでは、そんな時間的感覚のさらに難解な「時間」を撮ってみた。
動画、そしていわゆる普通の写真、速い写真、遅い写真、曲がった写真、ピントの合わない写真、写真と言えないような写真・・・
SIGMA fpはローリングシャッター現象という歪んだ時間が撮れる機能が備わっている、もちろんジョークですが。
ローリングシャッター現象は、簡単に言えば撮影時にカメラを早く動かすと画が歪んでしまうことをいう。詳しい現象説明は他に譲る。
歪んだ写真は速すぎ、そしてついていけなかった時間が歪みとなって現れる。


「普通」に流れる動画、そして数千分の一秒で止められた景色、速さと遅さが同居している歪んだ写真、このすべてが写真なのである。なんせ映画だって、写真の連続でしかない。
人間の目は世界をそう認識している。ゆっくり振った鉛筆が歪んで見えてしまうのは、あなたの脳に何かしらの損傷があるというわけではない。
目は世界を写真のように認識し、次の写真を予想しながら生きている。
そうでないと、車の運転や野球選手がボールを打ち返すのは不可能だ。
振られた鉛筆が歪んで見えるのは、脳がそう認識しているからであり、我々が「普通の写真」としている概念は、妄想のたぐいと言えなくもない。
なんせ目の時間的感覚は、本来の世界とは違うのだから。
世界はどうあるのか?それは人間である以上、そうあるとしか認識できないのである。
我々は我々の時間的感覚を規定することで、とりあえず世界を認識しているつもりであり、あなたの友人やペットや庭で飛び交う昆虫とは異にしている。

ということはだ。
写真は技術的制約により、我々人間以上に時間的感覚を普遍化することに成功している。
古めかしいカメラでも、最新のミラーレスデジタルカメラでも、iPhoneでも、60分の1秒は同じなのだ。
ということで、カメラの時間的感覚を体験してみよう。
カメラ好きであれば、いくらか遊んだことはあるかもしれないが、それは人間の、というかあなたの時間的感覚向けの遊びである。
今回はカメラのもつ時間的感覚に任せて世界を撮ってみた。
もちろん、カメラと相談して撮影したわけではない。
カメラの世界観を認識したつもりで撮る近所の景観である。
こうやって道具を擬人化して、あまつさえ共感までできてしまうのが人間である。

そこに生まれた人格、それは写真の中の時間を写真にすることができる。
写真の時間と、写真の中の時間の写真は全然違うのだ。


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