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英国のクリエイティブ産業政策とセントマーチンズで学ぶ意味(YEAR1振り返り)

大学院のYEAR1が終了しました。2020年9月から2021年6月までのコロナ禍真っ只中の留学生活。端的に表現すれば、心身ともに大いに揺さぶられたカオスな1年。ただでさえ、ロンドンという多様性に満ちた都市で、芸術大学という(これまでの人生の延長線上には描きづらい)環境に身を置き、イノベーションマネジメントという新たな学問領域の扉を開来きました。その上に、Covid-19やBrixitという社会的コンテクストが加わりました。英国政府の方針や大学院のレギュレーションは目まぐるしく変化し、計画や意思決定の変更・修正は日常茶飯事でした。

しかし、奇しくも自らの来し方行く末を沈思黙考してみる時間ともなりました。パンデミック期間中の留学という環境下で強制的に一度立ち止まることに。ポジティブな解釈を与えるのであれば、敬愛するデザイナーが称した「世界の首都」ロンドンで、多様な文化や価値観との接点を持つこの環境に身を置き、正解を保証もない中、楽観的な基本姿勢で主観的な判断を繰り返す日々を過ごすことができた。"制約は創造の母"ではないですが、イノベーションを創発させるクリエイティブリーダーシップを育むには好機と捉えることができるのかもしれません。夏季休暇の期間を利用し、この混沌の中でサバイブした1年を学び・ライフ・ワーク、それぞれの視点から振り返りたいと思います(今回は「学び」として大学院のYEAR1を振り返り)。

英国のクリエイティブ産業政策と教育機関

大学院/コースでの学びを振り返る前に、英国のクリエイティブ産業政策と教育機関の関係について少し触れたいと思います(専門ではないので、引用をベースに概論的な部分に留めます)。ご存知の方も多いと思いますが、日本でいうクリエイティブ産業と英国のそれとは立ち位置も規模も大きく異なります。まず、対象となる裾野が広い。音楽、パフォーミング・アーツ、ビジュアル・アーツやデザイン(ファッションデザイン含む)、広告およびマーケティングだけでなく建築・工芸・映画、テレビ、ラジオ、写真・IT、コンピューター・サービス、ソフトウェアなど13の分野が含まれています。そして、産業規模・従事者の数もスケールが大きい。英国クリエイティブ産業は、パンデミック前でGVA(付加価値)は1,159億ドル(約12.7兆円)、従業者数は210万人。(参照:Creative UK Group - UKCI Report 2021 Edition)。英国経済を支える基幹産業であり、2030年までにさらに100万人の新規雇用が予測されるなど、今後更なる成長が見込まれています。しかし、クリエイティブ産業が戦略的に形成され始めたのは、ここ25年ほどというと驚く方もいるのではないでしょうか。

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英国クリエイティブ産業政策を、時の政権やエポックメイキングな出来事タイムラインで俯瞰してみてみると面白いです(上記図:ロンドン式 文化・クリエイティブ産業の育て方 / 森記念財団都市整備研究所)。元々英国では、重工業的な製造業が産業の中心でしたが、1997年ブレア政権発足を契機に、代替する新規産業としてクリエイティブ産業の振興に白羽の矢が立しました。DSMS(文化・メディア・スポーツ省)が発足し、クリエイティブ産業タスクフォースが設置され、芸術や文化産業の経済的価値を広く知らせることに政府として注力。情報から知識を創造し、情報化・事業化する人々の集団が「クリエイティブ産業」と呼ばれるようになりました。その後、ブレア政権からブラウン政権期までには、科学技術政策と補間しあい、協働するイノベーション政策(≒イノベーションのためのデザイン政策)として機能するようになっていきました。

1997:ブレア政権発足、DSMS・クリエイティブ産業タスクフォース設置
1998:DSMS初代大臣クリス・スミスが「Creative Britain」出版
2005:「コックス・レビュー」発表、ロンドン五輪開催決定
2007:ブラウン政権発足
参照:WORKMILL ISSUE03_ THE AGE OF POST P43

英国の文化と産業の政策に詳しい、一橋大学イノベーション研究センターの木村特任講師はレポートの中でその要因に3つのポイントを掲げています。「第一に、クリエイティブ産業の統計が整備され、市場規模や貿易収支など、その経済的な価値がはじめて明示されたことである。こうして、イノベーションの実現における創造性やクリエイティブ産業の役割に注目が集まり、その政策への客観的な評価も可能になった。第二に、デザインセクターを先導役とする、クリエイティブ産業と他の産業との協働を促進する政策の実施である。両産業間では相乗効果がうまれ、クリエイティブ産業はさらなる成長を遂げた。第三に、創造性やクリエイティブ産業の役割を高める社会的な基盤の整備である。大学を中心とする研究・教育機関にも、イノベーション政策としてのクリエイティブ産業政策が浸透し、政府の方針が研究や教育にも反映されるようになった。」そんな英国のクリエイティブ産業における人材・教育の戦略拠点に位置づけられたのが英国王立芸術学院(以下、RCA)と、ロンドン芸術大学(以下、UAL)の2つの美術大学です(余談まで、QS Ranking_Top Art & Design Schools In 2021で、RCA / UALはそれぞれグローバルにて1位・2位となっています)。

英国王立芸術学院とロンドン芸術大学の違い

未来のクリエイティブ産業を担う才能を育てる拠点、として位置付けられた2校はいずれもクリエイティブ産業政策の進展プロセスを色濃く反映しています。しかし、それぞれ政府指針からの影響は異なる点を少し掘り下げておきたいと思います。

RCA:2007年「イノベーションデザインエンジニアリング」コース名称変更
UAL:2008年「イノベーションマネジメント」コース設立

RCAは2007年に発表した5ヵ年計画で、世界最高位の理工系名門大学であるインペリアル・カレッジ・ロンドンとの協働によって、ビジネス・テクノロジー・デザインの融合を可能とする人材育成の指針を示しました(RCA出身のTakram田川欣哉氏が提唱するBTC人材もこの文脈と理解)。同時期に、RCAの「インダストリアルデザインエンジニアリング」コースが「イノベーション デザインエンジニアリング」コースへと名称を変えました。つまり、クリエイティビティと科学・テクノロジーの融合が企図され、エンジニアリングベースの"HOW to make"に特徴があるコースと言えます。

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一方UALでは、セントマーチンズ校(6つあるUALカレッジの1つ)に2008年「イノベーションマネジメント」コースが設置されました。注目に値するのは、「イノベーションへの解釈は基本的に自由であり、必ずしもテクノロジーと関係がある必要はないという。このコースの設置は、イノベーションというイギリス全体の目標が科学やテクノロジー分野だけではなく、アートや芸術分野にも浸透した確認させる(木村研究員)」という点です。世界屈指のファッションスクールとしても名高いUALセントマーチンズを母体にした、デザインベースの"WHAT to do"に特徴のあるコースと言えます。

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上記整理にあたり、共創型戦略デザインファームBIOTOPE佐宗さんの下記整理が非常に参考となりました(余談ですが、佐宗さんには留学準備において大変お世話になりました)。デザイン・エンジニアリング・ビジネスという3つの領域で整理すると、先述のとおりRCAはエンジニアリング(HOW to make)が強調され、UALはデザイン(WHAT to do)に重心が置かれています(両コースの概要、アルムナイ属性、卒業制作などを比較すると両校の特色が色濃く反映され面白い比較になると思います)。

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このような産業政策と教育機関の関係性、戦略拠点の設置背景を前提に、今私が学んでいるUALセントマーチンズのイノベーションマネジメントコースのYEAR1を振り返りたいと思います(留学時noteはこちら)。

YEAR1(2020-21)振り返り

前置きが長くなりました...(苦笑)。英国クリエイティブ産業政策の戦略拠点のひとつとして設立されてから13年。昨年コースディレクターの引き継ぎがありましたが、イノベーションマネジメントコースに通底するものは大きくは変わっていないと思います。コース初期に留学され、現在IDEOに勤められてる堤さんは記事の中で以下のように述べています。

「世界中いろんな場所で全く違う仕事をしていた人たちが、ひとつの目標にむかって切磋琢磨し、頭をひねる。これは本当にエキサイティングな経験ですが、中を開けば笑いあり、ケンカあり、涙ありのドタバタ劇が繰り広げられます。しかし、そんな中でもこのコースを通して学べるのは、様々な方向から物事を洞察するクリティカルな視点、そして多様性のあるチーム内での自分のスキルの活用の仕方です。」

まだ2年間のコースの折り返し地点ですが、私もこのコースの価値として近しいものを感じています。”WHAT to do”を深く掘り下げる環境が基盤として提供され、世界から20数カ国から集まる多種多様な40名のクライスメイト(クリエイティブとビジネス、それぞれのバックグラウンドが50%ずつ)が混じり合いながら、思い思いにイノベーションの機会を探索しています。

2年間のコースストラクチャーは大きく3つのユニット・6つのターム(1年がAutumn  / Spring  / Summerに分類)で構成されています。ユニット1は、"Exploration and Experimentation"をテーマに、レクチャー(インプット)とProject Based Learningm(以下、PBL)を中心にイノベーションの探索と実験を行いました。ユニット2では、"Mapping and Positioning"をテーマに、ユニット1での学びをさらに広く深く押し広げつつ、各自が探索するイノベーション・マネジメントの領域を方向付けます。ユニット3では、"Independence and Cooperation"がテーマ。ワークプレースメントと修士論文執筆を通じて、各自が定めたイノベーション領域でのアウトプットを目指しつつ、クラスメイトと協働をしながら卒展に向けた準備を進めていくことになります。

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現在はユニット2の前半までが終了し、Summer Break期間。既にロンドンのデザインコンサルティング会社でワークプレイスメントをスタートしている人間もいれば、自身の研究領域に関係する論文やジャーナルなどを読み漁る人間もいれば、母国に戻りリフレッシュ期間に充てている人間もいます。

イノベーションの探索と実験が中心であったYEAR1ですが、とりわけ個人的に深い学びを味わえたのは、毎ターム設定された4〜6名程度でのPBLでした。1年目のAutumn termでは"Service Innovation Project"、Spring Termでは"Discourses project"、Summer Termでは”Uncertainly Project" と、様々な切り口のテーマが付与されます。各プロジェクトごとに2〜3ヶ月をかけて、チーム別にプロジェクトワークを進めます。先述のIDEO堤さんがおっしゃるような多様性に富むメンバーが、単なる異分野の共同作業ではなく、専門知識の枠組みをいったん捨て、バウンダリーを超えた(越境した)新しい思考を展開させるプロセス。これは、これまでの経験や思考の癖などを解きほぐす時間となりました。また、斬新な提案が求められるアウトプットも、プロジェクトの文化性からテクニカルな部分までを見渡す俯瞰的視点・多角的な視野を鍛える、とても良いトレーニング機会となりました。

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イノベーションマネジメントという広大で深淵な学びの大海へ漕ぎ出したばかりで、学びの構造化・体系化は難しい(≒意味をあまり感じない)ですが、学びの通過地点を記録する、という意味合いでYEAR1で得たものをマインドセット・スキルセット ・ツールという3つのレイヤーでメモしておこうと思います。

①マインドセット / Mind set
一言で言えば、クリエイティブ・リーダーシップという言葉に集約されるのかもしれません。"創造性は誰しもが持っている能力"という前提にたち、さまざまな背景や個性を持った人が関わり、(組織の部分/機能ではなく)全体としてクリエイティビティを発揮するために必要なリーダーシップを育んでいます。以下の観点はMAIMで常に問われ、意識すること。
・いかなる状況でも楽観的にいること
・違いを尊重し常に助け合える状態を作ること
・自身のクリエイティブな行動を信じる(過去・周囲との違いは価値)
・クリティカルな視点、疑ってかかる態度
②スキルセット  / Skill set
具体的な知識や技術であるスキルセットとしては、いわゆるデザイン思考やアート思考に関連する内容を学んでいます。
・Service  Innovation methods
・Business model design
・Discourse analysis
・Foresight methods
・Team Innovation methods
③ツールセット / Tool set
実践する上でのツールとしては、以下を武器として得ることができます。
・Design research methods
・Case study methods
・Academic writing
・Theory building
・Qualitative analysis
・List of innovation-related papers
・Online networking skill

加えて、クリティカルにコースを評価した時の改善余地も記しておきたいと思います。もともと自由度が高いコース設計ですが、コロナ禍のコース運営に対しては、一定数のクラスメイトから不満の声が上がっていました。改めてアート・デザインの分野に関する教育と学習を設計・運用するにあたり(特にプラクティカル(実践的)な学習機会の担保は)Covid-19の影響を大きく受けたと考えます。なぜなら、身体性を伴い、プロセスを体感しアウトプットをすることにこの領域の学びの本質があると考えるからです(ケース重視・インプット重視のカリキュラムとの違い)。個人的にも、ロックダウン禍で渡英を断念したTerm2ではクライアントワークに参加することができませんでした。毎年スポンサー企業の実課題 /設定テーマに対して学生が提案を行うこのコース名物企画です。今年度は、クライアントであるLondon Transport Museumに対して、2030年のロンドンにおける都市生活を創造的にデザインし提案するというものでした(企画ページはこちら)。顧客からのフィードバック機会や、身体や手を使った実態的なアウトプットの経験値を得ることができなかったのはとても残念でした(約25%の海外メンバーには、オンラインリサーチベースの代替プロジェクトが付与されました)。また、付け加えると"HOW to make"というエンジニアリングの要素が弱い点も指摘しておきたいと思います。この点は、プロブラム内容しかり、クラスメイトのバックグラウンドしかりですが、アイデアや構想を具現化する際の幅がやや限定されてしまう部分は否めないかな、と考えています。

YEAR2(2021-22)に向けて

最後に、Summer Breakを経て2021年9月下旬から始まるYEAR2について少し触れたいと思います。YEAR2では、抽象的な概念を引き続き考え続けながら、1年目で理論的に体験的に学んだことを自分なりのイノベーションの定義へと落とし込んでいく時間にしたいと考えてます。無論、理論整然と体系立てるものでもなく、リニアに経験を積み重ねるものでもありません。自分の頭で徹底的に考えることでたどりつくであろう、真理であったり、洞察というものを、未来を生きる私の思想体系全体へとゆっくり組み込んでいければなあとぼんやり考えています。

改めて、そのための環境として、英国のクリエイティブ産業政策の戦略拠点であり、個性を伸ばし自由にアーティスティックにデザインをするアーティストを育てる芸術大学らしい教育方針をもつセントマーチンズで学ぶ意味は大きいと感じています。加えて言えば、Covid-19やBrixitなどによる行き詰まり・閉塞感を打破する動きが見られる英国・ロンドンでイノベーションを興すべく探索する時間は、きっと未来の自分自身を構成する上で不可欠な部分となるのだと直感的に確信しています。さあ、2022年6月末の卒業時にはどんな景色が目の前に広がっているか。それを楽しみに、1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。

参考文献

Creative Industries Statistics August 2020 - GOV.UK
WORK MILL ISSUE03_ THE AGE OF POST - INNOVATIONALISM イノベーションの次に来るもの 
WORK MILL ISSUE06_ CREATIVE CONSTRAINTS 制約のチカラ
Creative UK Group - UKCI Report 2021 Edition
ロンドン式 文化・クリエイティブ産業の育て方 _ 森記念財団都市整備研究所
英国の「クリエイティブ産業」政策に関する研究_三菱UFJリサーチ&コンサルティング

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