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#46.【短編】熾火

好きな歌詞がある。これを歌った時点で彼女は「勝ち」だと思った。何に対してかは分からないけど、それでも彼女は確かに勝ったのだと思った。一番綺麗な私って、いつの時のことを言っているのだろう。言葉だけのイメージだと何となくバージンのことかと思うけど、それだと、経験した後の私は、ずっと、いつまでも経験前の私に及ばないということになってしまうのか。それだと何か悔しい。勝ち目ないじゃん。まぁ、曲全体を見ると儚い愛の歌だから多分違うだろうけど。純粋さの中に在る、ある種の玲瓏な美しさを尊く感じるのは何故だろう。手に入らないことへの羨望がきっと半分。残り半分は優しさでも愛しさでも切なさでも良いけど、どうせなら何かプラスの作用であることを期待したい。

昼下がりは生憎の小雨。どうやら台風が近づいているらしい。ベッドから身体を起こし、近くのカーディガンを羽織りコーヒーを淹れる。2日目はいつも重くてしんどい。半年くらい前から痛みが酷くなった。今は落ち着いたけど仕事が忙しかった時はPMSも出ていた。今日が日曜日でよかった。平日だったら、きっと自分宛の内線に出ないくらいには機嫌も態度も悪かった気がする。だって、仕方ないじゃんね。

テレビを点けると、ひどいセクハラ発言により辞職を表明した議員の特集をやっていた。すこぶるどうでも良いけど、こんな人にも家族がいるのだなと思う。産まれた時は祝福されてきっと大切に育てられたのだろう。それから甘酸っぱい恋愛をしたり、ひとしきりの青春なんかも経験しちゃって、自身に何かしらの標榜を掲げて今日まで生きてきたのだろう。奥さんは見抜けなかったのだろうか。こういう人は、過程で変わったのではなく元々がそうなんだよ。大切に育てられ、甘酸っぱい恋愛をして、ひとしきりの青春も経験して、何かしらの標榜を掲げ今日まで生きてきたとしても、そういう人。

初体験は大学に入ってからすぐだった。相手は新歓の時同じテーブルにいたサークルの先輩。二次会のカラオケで隠れてキスをして、そのまま抜け出しその人の家に行った。至るまでのシチュエーションは悪くなかったが、挿入時に処女だと伝えた時の表情を見逃さなかった。それまで優しかった彼は一方的に腰を振って満足げに達し、シーツに付いた血の跡を見て「そんなに痛かったの?」と気だるそうに言った。腹が立ったけど、それ以上にそんな人と寝てしまった自分が悔しかった。彼が変わったのではない。彼のその一面を自分が知らなかっただけだ。自身の生涯にただ1つしかなかったものは、ひどくつまらない男の、大して深く残らないであろう記憶の1つとなった。

いつの間にか雨が本降りになってきた。食欲が無かったのでお昼はサラダと目玉焼きにした。フォークで卵の黄身を割りながら改めて考えてみる。一番綺麗な私って何だろう。処女だった時だろうか。初体験の後、その態度にムカついて使ったゴムを寝てる相手の口にぶち込んで帰った時だろうか。その3年後に5歳年上の恋人と幸せな恋愛をしていた時だろうか。若しくはその人と死別して枯れる程泣いていた時だろうか。うん、どの自分もそんなに悪くない。傷ついて心配して欲しいような素振りをするくせに慰められることを拒むような、そんな幼稚さを持ち合わせていない所は結構気に入っている。上手く纏まらないのでそれ以上考えるのを止めた。これ以上は無理だと、自らを終わらせてしまおうかと思った時もあったけど、それでも何とか生きて歩いている自分は、きっと強く、しなやかで、美しいのだろう。そう自分で思うことにした。それでいい。それだけでいい。

コーヒーを淹れなおす。点けっぱなしにしていたテレビは、最近できた雑貨屋を巡る特集に変わっていた。そんなに遠くない場所だから今度行ってみようかな。どうやら、私はまだまだ私を捨てられない。

End.








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