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才能の代替品

今日、いい台詞に出会って心打たれた。



「そりゃあ、才能も必要に決まってるじゃないか。」


「経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。」


「才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。」



テレワークのBGMに流していた映画。『羊と鋼の森』の中に出てくる台詞だ。
ピアノ調律について、才能が必要なのではと葛藤する主人公へ先輩が答える。そんなシーンだった。

私も心のどこかでそう思っていて、でも結果のない暗闇が怖くて言い訳をしていた。
絵を志した事がことがあったけど、お金や人と比べる事に疲れてやめてしまった。描く事を好きになりきれなかった。
それからも何となくで過ごしていた。
何となくで大体できる、器用さがあった。
こんなものかと俯瞰していれば傷つかない。
子供のままの自尊心で、趣味を豊かにすることなく生きていた。
のめりこむと、自分の稚拙さが苦しくなるのだ。
好きを好きとして執念を燃やすことが、ただ、できなかった。

そんな私は、実は小学生の頃に掲げた夢を追い始めた。
なれるわけないさ。傷つかないようにやめておこう。と思ってしまい込んだ夢。
―文章を書きたい。
いざ書いてみると、やっぱりしんどかった。
うまく書けないし、評価されない。本当に好きかわからなくなる。
自分は何のために書きたかったのだろう。と悩んでしまう。

ある日、Radio talkというアプリで牧村朝子さんが配信をしていた。
「他人に評価されない、自分だけの作品を書く」
「自分が豊かになるような感覚になる」
他人からの評価を自信にしてしまうと、評価されないことが辛くなる。
だから自分のためのものを作って自信にする。
おおまかに言うと、そういうことだった。
考えもしなかったことだったので、目から鱗が出た。ついでに涙も出たしコンタクトが外れた。
1ヶ月半、やってみたら世界が変わった。
文章が好きで、何より私の文章が好きになった。
まだまだ技術が足りないけれど、繊細な描写が綺麗だと思う。
世界観も素直でありつつ、少し捻っていて面白い。
自分をそう評価している。
出した公募で落選しても、他の人の入賞した作品を素直に楽しめた。
悔しさもある。けれど、同じ舞台に立てたら嬉しいから頑張ろうという気持ちのほうが強くなった。
自分にある良さを殺さずにやっていけたら、とても嬉しい。
書き続ける。取り入れつつ反省しつつ、好きを信じている。
才能はないかもしれない。
才能に成り代わる何かを沢山並べて、熱意を絶やさず行こう。

羊と鋼の森。
フェルトハンマーとピアノ線。
私なら『文字と紙の海』。
今日もキー打つ音が響く部屋。

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