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日本の三権分立の再検討

 ある代々木の有名な予備校に通っていた頃、政治経済の授業を履修していていた。授業の中で、日本は立法・行政・司法というように国家権力を三権分立し、相互的に抑制・均衡し、権力の濫用を防いでいると教えられた。私はそこに幾ばくかの疑問を抱いた。2013年~2022年継続審議法案の合計を見ると、日本は内閣提出法案の成立が42%に対して、議員立法の場合は1.3%ととても低い。内閣は行政の長であるのにも関わらず、多数の立法を行っていることを考えたときに、本当に日本は三権分立しているのかと疑問を抱いてしまう。また、行政や立法だけではなく、司法も砂川事件などもあり司法が独立しているかと言われば疑問が残る。三権分立制度は国民の権利と自由を確保する重要な制度である。そのため、日本は本当に三権分立しているのかを再考していきたいと思う。ここにおける問いはあくまで「日本は三権分立しているか否か」であり、政治機構の違いの是非について問う目的はない。

 大前提として三権分立とは何なのだろうか。三権分立とは権力分立の一形態である。三権分立の源流を辿ればロックとモンテスキューまで遡ることができる。モンテスキューは主著「法の精神」の中で権力を持つものはそれを必ず汎用するものだと主張した。そのような、権力の汎用を防ぐために国家権力を三つに分け、各権力機関間で抑制と均衡をするシステムを確立し、世界に三権分立の考えが広まっていった。実際に、現代の多くの国では国家権力を立法権・行政権・司法権というように分け三権分立を成立させている。しかし、台湾では五院分立という制度が取られ、行政院・立法院・司法院・考試院・監察院というように分立している。

 では、日本の三権権立は具体的にどのようにして成立しているのだろうか。ここでは、日本の衆議院の公式ホームページの写真を引用し説明は省く。何故なら、多くの人が公民で習った内容であると思うからだ。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/kokkai_sankenbunritsu.htm

 それでは、数ある国の中で最も厳格な三権分立の国であるアメリカと日本を比較しよう。アメリカが日本と大きく違う部分を明示すれば、「大統領や連邦行政官は連邦議会議員との兼職は禁止されている」、「大統領に法案提出権と議会解散権もない」、「大統領は国民が選挙で選ぶ」が挙げられる。以上の仕組みによって、アメリカは行政と立法が分離し、三権分立が成立している。一方、日本は首相を国会議員が選び、内閣が最高裁判所の裁判官を任命する。したがって、そもそもの構造上日本は三権分立しておらず国家権力が国会という空間に集中している。しかし、日本は憲法第41条によって「国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定められており、日本国憲法が三権分立を目的としているわけではないというふうに捉えることも可能ではある。

 私は、日本国民は国民主権という言葉をもう一度考え直す必要がある。現在の日本国民が政治に持つ意見を見ると、岸田総理に対する不平不満で溢れている。酷い時には、増税メガネという言葉をぶつける国民もいる。確かに、岸田首相を始め日本の政治には腐敗もあれば問題もある。しかし、それを全て政治家ないし官僚の責任にするのは間違っている。いやもっと言えば大半は国民の責任である。日本は国会に権力が集中しているため、国会議員を選ぶ選挙というものがとても重要な意味を持つ。ある政治家ないし政党が腐敗している思うならば選挙で落選させればいい。そのための選挙であるにも関わらず、国民の半数は投票に行かない。選挙に行かないということはその政治を黙認しているということと同義である。また、最高裁判所の裁判官の国民審査は形骸化している。多くの国民が持っている権限を無駄にし、行動も起こさない。それでいて、日本の政治について文句だけは言う。それでは、一向に政治は変わらないだろう。我々、自身の手で日本政治を変えていかなければ、同じ過ちを繰り返すだけである。日本国民よ、選挙に行け。他ならぬ自分の為に。

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