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君主論から経営論を学ぶ

本日は本からの学びを現代のビジネスに置き換えてみる。

まず、「君主論」とは?

君主論』は、1532年に刊行されたニッコロ・マキャヴェッリによる、イタリア語で書かれた政治学の著作である。 歴史上の様々な君主および君主国を分析し、君主とはどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持し続けるにはどのような力量が必要かなどを論じている。その政治思想から現実主義の古典として位置づけられる。

この本から章と文章を引用し、現代向けに再解釈。

8章 悪らつな行為によって、君主の地位をつかんだ人々

「それは自分の立場を守る必要上 、いっきょに残酷さを用いても 、そののちそれに固執せず 、できるかぎり臣下の利益になる方法に転換したばあいをいう 」

→置き換えるとリストラにつながる。ダラダラ実行して全体的に不利益になり会社という船を沈めるくらいなら一気に断行する行動が必要

16章 鷹揚さ

「英邁な君主は 、けちだという評判など 、少しも気にかけてはならない 。それは 、君主の節約心によって 、歳入が十分に足りて 、外敵から自分を守ることができ 、民衆に負担をかけずに大事業 (戦争 )に乗りだせる人物だと知れれば 、時がたつにつれて 、ますますこの君主は 、おおらかだとの評判を得るからだ」

→結果が全て、建前で表面的な経費を使っても効果はなし。普段は無駄な費用を絞り、使うべき時に動けるキャッシュが無ければならない。まさに「chash is king」

17章:恐れられるのと愛されるのどちらがよいか

「その理由は 、人間はもともと邪まなものであるから 、ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは 、自分の利害のからむ機会がやってくれば 、たちまち断ち切ってしまう 。ところが 、恐れている人については 、処刑の恐怖がつきまとうから 、あなたは見離されることがない」

「ともかく 、君主は 、たとえ愛されなくてもいいが 、人から恨みを受けることがなく 、しかも恐れられる存在でなければならない 。なお 、恨みを買わないことと 、恐れられることとは 、りっぱに両立しうる 。」

→一方的に与え続ける愛情、返報性を求める行動では相手を引き込めない。シンプルに利害を考える人間の特性を利用すれば「恐れ」は利害のトップに存在し、その矛先が向けられる恐怖は人を引き込むのに十分な要素である。しかし単なる恐怖ではなく、経営者について行けば恐れを超えた幸福が待っているという夢と確約が必要である。

18章 どう信義を守るのか

「そこで君主は 、野獣の気性を 、適切に学ぶ必要があるのだが 、このばあい 、野獣のなかでも 、狐とライオンに学ぶようにしなければならない 。」

→恐怖と罠にかからない狡猾さが必要。正面突破の突進力と、小さな力で大きくコトを動かす狡猾さが必要。個の力を最大に、そして相乗できる手法を兼ね備えなければならない。なぜなら君主は大きな事をなすために1人のパワーだけでは到底無理だからである。

19章 軽蔑され憎まれるのをどう避けるのか

「わたしの結論は 、君主は 、民衆が自分に好感をもっているうちは 、反乱などほとんど気にしなくていいということだ 。だが 、民衆が敵意をいだき 、憎しみを覚えるようになったとき 、その時はなにごとにつけても 、なにびとに対しても用心しなくてはいけない 。だからこそ 、よく秩序を守っている国や 、英邁な君主は 、貴族を追いつめず 、しかも 、民衆に満足を与えて 、民衆が安心して暮らせるように腐心してきた 。これが 、君主の心がけのなかで 、いちばん肝心な一つである」

→一言で言うと、経営者はES(従業員満足度)にコミットできているのか?ということ。CS(顧客満足度)を語る経営者は多いが、ESを語る人は少ない。顧客を満足させる従業員の環境を劣悪にして、はたして「おもてなし」ができるだろうか?ES→CS→ESのサイクルが重要。

21章 君主が衆望を集める方法

「どこまでも味方であるとか 、とことん敵であるとか 、いいかえれば 、この人物は支持し 、あの人物は敵視するということを 、なんのためらいもなく打ち出すこと 、それでこそ尊敬されるのである 。」

→経営者に降ってくる問題は全て誰もが解決できない最終判断を投げてくる。ゆえにその事は「早期判断」と「最重要」であることが多い。だからこそここでの優柔不断は企業にとって命取りとなりうる。よって「決める」ことこそ経営者が日々なすべきことである。

23章 へつらうものをどう避けるのか

「だれからりっぱな進言を得たとしても 、よい意見は君主の思慮から生まれるものでなければならない 。よい助言から 、君主の思慮が生まれてはならない 。」

→素晴らしい側近の言葉でも、それを正しいかどうか判断できる聡明さが必要。思慮できなければいずれ側近に全てを奪われる。また、たとえ側近の言葉でも自分で理解し、解釈、そして再構築し自らの言葉と想いで語らなければ意味がない。

25章 運命がどれほど人の行動に影響をおよぼすのか

「人は 、慎重であるよりは 、むしろ果断に進むほうがよい 。なぜなら 、運命は女神だから 、彼女を征服しようとすれば 、打ちのめし 、突きとばす必要がある」

→運命は変化するもの、みずから動いて、動かしてその変化をつかみ取る。行動無くして変化はつかみとれず、過去の栄光にすがったり、長い期間自己流にこだわるものは運命に見放される。ゆえに果敢に攻めてこそ運命の女神をも手中におさめることができる。

以上、やはり歴史から学ぶのは至極楽しい。

君主論

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