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わたしのこと。#2 こどもの頃のはなし。

「まもられる 2023」
Leica M10-P summilux 35mm f1.4 2nd

どんな子供時代だったかを語るとき、どこから話したらよいやら困ってしまう時がある。どう話したらいいんだろう。いまのわたしが、結果マルだ、というのを踏まえて読み物として読んで欲しい。わたしがあまり人に語らなかった方の子供時代だ。

表向きには、街中のいろんなおうちやお店が遊び場で、学校帰りにはみんなに挨拶してまわり、近所のおばあちゃんのうちに勝手に上がりこんではおばあちゃんの帰りを待ったり、一緒に相撲を見たりするような子供だった。郵便局でよくトランプもしたし、市役所の売店のおばちゃんとも友だちで8階の食堂は通学路に組み込まれていた。
両親が共働きだったこともあり、祖母をはじめ街のみんなに可愛がられた。とくに愛想がいいというわけでもなかったが、受け入れてくれるところはどこへでも行った(子供嫌いを除き)(それは気配でわかる)。

物事には二面性というものがある。

裏を返せば、わたしは大人たちからの愛情を集めたかったのだと思う。
先に言っておくと、わたしは重度のファザコンだ。
わたしの人間関係を見渡すと、今でもそれは顕著だ。
わたしはいくつになっても大人に大事にされたいし、一緒にいてほしい。優しい大人に囲まれていたい。
それはもう治しようのない性質になっているが、とくに悪用されているわけでもないので、そのままにしている。
原因があって、結果がある。

「祖母の指輪」macro switar 26mm f1.1 lumix gh5

祖母や母にはそれはそれは可愛いがられた。初孫で、ふわふわした女の子だった。もちろん父だってそうだったと思うし、できうる限りのことはしてくれたと理解している。身を粉にして働き、娘2人を大学まで出させてくれた。ただ、短気で気性が荒く、感情がコントロールできないので、すぐに手を上げてしまうひとだった。ごはんが早く食べられない、早く寝ない、など大人のペースに合わせられないと、よく殴られたりトイレに閉じ込められたり外に放り出されたりした。首根っこをネコのように掴まれて寝室に放り投げられる感触や、わたしたちがグズだったときに睨みつけてくる恐ろしい目、キレてものすごい勢いで突進してくる足音は忘れられない。
夫婦喧嘩で胸ぐらを掴まれた母が宙に浮いていることもあった。死んでしまうかもしれないと思った。本能的に大きな声を出しながら間に入った。
大人になってから殴られたこともある。お風呂に早く入らなかったから、という理由で。わたしは今でも納得していない。
躁鬱が激しく、えらく優しいときもあった。もちろん楽しいときもあった。毎年家族旅行にも連れてってくれた。でも圧倒的に、日常のいろんなことが恐怖だった。もっと優しくしてほしかった。
子供時代はそれが世界のすべてなので、そういうものだと思っていた。大人になって、まわりの子たちが配偶者や子供たちに手を上げてないのにびっくりした。というより、拍子抜けした。え?そうなん?そうだったん?
本人の名誉のためにいうと、大人になってからは少し話もできるようになったし、孫(わたしの姪)のこともとても可愛がっていた。一代飛ぶとこんなことになるのかと一同驚いたものだ。目尻を下げながら誰よりも根気よく抱っこしていた。へぇ!

物事には二面性があり、原因と結果がある。

わたしはそれらのことが現在マイナスに働いているとは思っていないので、やはりそれは必要なことだったのだと思っている。グレることもなかったし、恨んでもいない。
まったくなぁ!優しくしろよなぁ!とは思うが。
おかげでわたしのまわりは優しいひとだらけだ。ラブ。
原因があって、どう結果するかは、そのひと次第だ。
わたしは生活音が極めて静かだし、ひとと闘わない術や、怒られないキャラを獲得した。
ちなみに妹は真逆だ。生活音は賑やかだし、よくケンカするし、怒られやすい。同じことをしていても。
でもそれだってマルだ。答えは人の数だけある。

わたしは明確に「憂鬱」を覚えた日を覚えている。
家庭の事情もあって親に言われたのだろう、今日からあの子と遊んじゃだめだと。きのうまで園で毎日一緒に遊んでいた一番の仲良しの子が、ある日突然わたしを無視した。
わたしはひとりぼっち、絶望して、大きな木の根っこの上で、深いため息をついた。憂鬱なんて言葉は知らなかったけれど、今でもあの日のにおいや鼻水を拭いた感覚はよく覚えている。
わたしがひとりになったのを見て、えつこ先生がいつもわたしを呼び寄せ抱っこしてくれるようになった。嬉しくて、甘えたくて、帰りの時間の前に毎日通った。それからわたしは毎日送迎バスのなかで自分で唇を噛み切り、血が出たと言っては特別にリップクリームを塗ってくれる優しさに癒された。わたしはいつの時代も、受け入れてくれる居場所を確保してきた。まだ言葉を紡げない頃から。そしてどの時代にも、特別可愛がってくれたひとたちがいた。

改めてどんな学生時代だったかというと、やっぱり存在は薄かったと思う。独特の透明感はそんじょそこらの鍛え方とわけが違う。前回話した「妖精ぽさ」はそんなことも理由にあると思う。ひらりはらりと捉えどころがなくて、やはりどこか回転数が合わない。そして繋がるポイントが、世界の美しさへの直接のアクセスなのだ。周りでなにが起こっていようがあまり関係ない。
それがそのまま今、世の中を見る目となっている。だから、これでよかったんだと思っている。
美しさを見出す目も培われた。
テンポはたぶんこの先も合わないだろう。
ひとりでひっそり作業するのだろう。
だからそっと見守ってほしい。
美しいものをたくさん集めたらまた見せにきます。
わたしは子供時代から何も変わらない。


毎回宣伝しちゃうよ!
わたしが静かに美しさを集めた写真集はこちらから。
自分自身が癒されてるのかもしれないな。


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