見出し画像

そこにいてもいい。対等ってそんな感じ。- 秘密結社「喫煙所」(第22通目)

この記事は、素直さと向き合おうとしているふたりが、答えのないことを問い続けていく文通マガジン『秘密結社「喫煙所」』の第22通目です。お互いの記事を読んで、文通のように言葉を紡いでいきます。

秘密結社「喫煙所」

ヒロさんへ

「対等」というものをタオさんはどう捉えている? 無茶振りになってしまった気もするから、対等に関するイメージとか、なぜ対等性みたいなものが重要だと思ってしまうのか、理想的な人との関係性など、ざっくりで良いから聞けたら嬉しい!

対等を目指すことは"良いこと"なのだろうか? - 秘密結社「喫煙所」(第21通目)

わたしも対等な関係性がいいと思っていたから、一本とられた。

対等が関係性や役割だとするなら、対等に限らず、自分の理想像を人に当てはめようとする場面は少なからずあると思う。人間関係の理想を持つこと自体は悪ではないはずなんだけどね。

「どうして君はそうなってくれないの?(自分の思い描いた関係性)」と目の前の相手に対して、着せ替え人形みたいに理想を当てはめるのは違うと思うし、だからって我慢して相手に合わせるのも違う。

たまに、「あなたのことなんでも知りたいから、なんでも教えてよ、ほら言って。なんで言ってくれないの?」って短期間で相手の全てを知ろうとする人いるけど、距離感バグってると思う。距離感守ってたら勝手に相手から話してくれるのに。

近すぎると相手を変えようとするから、自ずと関係が疎遠になったり切れたりする。過去に経験したから余計に思う(笑)。

話がそれてしまったんだけど、

「対等さを求めすぎるとコミットを過剰に求めすぎる」
「対等なんだから協力して欲しい」

「対等なんだから」という部分が、力を加えている感じがするね。ここなんかわかるようでわからないかもしれない。人に何も求められたくない、人にも何も求めない私の性格からなのか、あんまりしっくりきてない。でも「求めないことを求めている」とも捉えられるから、実はコミット過剰を求めているとも言えそう。

ある意味、自分が求める役割を相手に求めてしまうという形に、やっぱり近い感じがする。 

役割は場や環境によって左右されると思ってて、とりあえず、この場ではこの役割をこなしていれば疎外感がないから、安心するために役割を求めたくなるのは、その役割や対等性を目指しているとも言えるんじゃないかと。役割が必要な場面もあるから一概に悪いとはも言えないと思うけど。

わたしの中の対等は「そこにいてもいい」って感覚が強い感じがする。

どんなに合わない人でも、距離感さえ間違えなければ、そこにいていい、肩書も必要ない。以前話したように役割が自然と立ち現れてくるなら、対等性も目指すというよりは、違和感を減らしていったら自然と辿り着くものなのかもしれないね。

最終的にはやっぱり距離感なのかな。お互いがお互いでいられる距離というか、違いを受け止めて変化を肯定的に観られる距離。その方が長い付き合いになると思う。私の理想もそんな長く付き合える関係性。距離感によって変化を受け止められる分、時間をかけて相手のいろんな面を知れるんだよね。そこには確かに尊重があるね。

とても抽象的で答えになっていない気がするけど、対等に関してそんな風に思ってる。

全然危なそうな表記じゃなくて撮った。
むしろ入りたい。

本は関心が強い順に読むね。コロコロ変わる。読んでる途中で文字が入ってこなくなったり、買ってまだ読んでないのもあったり、積読溜まってきた。外国の文学作品も読みたいけど読めてないし、生きている中で読みたい本を全部読める気がしない。

【前回の問い】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?