1か月ぶりの投稿なので。

皆さん、おはようございます。
頻度を確保し投稿を!と意気込んでいたのに、1か月も間が空いてしまいました。。
皆さんはお元気でしたでしょうか。

9月中旬から少し、自分のプライベートでも心の忙しさと、周りの環境変化にエネルギーを使い、noteにかける時間を抽出できてなかったなあと振り返りながら、今この記事を書いています。
ただ、それぐらい、あっぷあっぷしていた自分を実感しています。
恐がったり、偲んだり、戸惑ったり、そして「私は、わたし」と再度歩き始めようと、また少しずつ自分に託された任務を遂行できるよう、地道ながらやっていきたいと思っています。
また遊びに来てくれる方、お待ちしております。


さて、1か月も空いてしまった今、そもそもこのnoteアカウントを開設した当初のことを思い出してみました。

「この業界を志す方へ、お守りのような知識を」という思いから自分の経験と15年以上得続けてきた知識をお伝えしたい。そんな思いがありました。

ではなぜ、お守りのような知識が必要なのか、ということですが
この業界で出会う子ども達や彼らが出す「サイン」と呼ばれるものは
一般的に「攻撃」「暴力」「暴言」「行動問題」と分類される行動なのです。

そのような捉え方で子どもの対応を重ねても、知識という武器を持たないおとなは
いとも簡単に心を砕かれ、子ども達を「敵」とみなし常に闘い合うような時間を送ることになることがあります。もしくは、仕事として毎日関わることに限界を感じこの業界を去っていくことになる。それほどの影響を受ける身体的にも精神的にも大きな仕事であることを、皆さんには知っていていただきたいのです。

【あれ、そもそも、この仕事は、「見えない傷を背負わされて子ども達のケアとその後の生活を支える」仕事だったはず。】

そうなんです。
そう目的をもち、「子ども達を守りたい」「支援したい」と志を持った方をも、この現場に傷つき、次々に辞めていく。

今の児童養護施設職員になるための入り口は「誰でも働ける」という広い間口で入りやすいでしょう。しかし専門資格はないので(これは一般の方にはとても驚かれます)、最低限の研修はあるものの「日常的な専門的知識の獲得は自己に丸投げ」、そして退職したら「この業界に合わなかった」と切り捨てる。

いえいえいえ。
入職後のフォローがあまりにも足りていないんです。

10年以上現場を経験し、様々な子ども、そして大人と出会いその行く先を見てきました。
あの時、伴走者がいたら。子ども達が慕う、あの人はやめずに済んだかもしれない。そんな後悔が私の中にあります。

虐待の影響、というものはそれほど軽く見てはならないものなのです。

それなのに、十分なフォローも、日々の振り返りもなされないまま手探りでこの仕事を続けては、子どもの言動に振り回され、疲弊します。
そして「子どものほんとうのサイン」に気づけず苦しみ続ける大人と、その子ども達がでてしまう。それだけはどうしても防ぎたい。救いたいのです。

子どもの言動を正しく「理解」してから、あなたの体にキャッチできたら。
そして、あなたとの出会いで子どもが得られるものがあることを知れたら。

子どもは敵ではなく、愛おしい存在であることを、忘れないでいられるおとなであれたなら。

職員は無力ではなく、魅力ある存在になれるのだと、私は声を大にして言いたい。


私はこの仕事に誇りを持っています。
それは、この仕事で出会った子ども達、迷った時に道しるべとなってくれた知識達、そして自分という人間を認め応援してくれる職場の皆さんがいてくれたからです。

子どもを敵にしなくていいんだ。
迷えるあなたがそう気づき、自分と、目の前の子をまっすぐ見れるようになれますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?