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トラウマを負った個人を描いた『ゴジラ-1.0』  なぜゴジラは日本に上陸するのか?

 国産のゴジラ映画の第30作めとなる『ゴジラ-1.0』が、11月3日より公開が始まった。VFXを得意とする山崎貴監督ゆえに、ゴジラが巡洋艦「高雄」と交戦するシーン、復興途中だった東京にゴジラが上陸し、銀座の「日劇」を破壊するシーンなどはとても迫力あるものになっている。だが、内容が腑に落ちないという声もあり、賛否が割れる評価となっているようだ。

 本多猪四郎監督による第1作『ゴジラ』(54年)は原水爆の恐怖、庵野秀明監督が撮った前作『シン・ゴジラ』(16年)は福島第一原発事故のメタファーとして、破壊神ゴジラは描かれていた。今回のゴジラは何の隠喩となっているのだろうか。

 山崎監督が描く『ゴジラ-1.0』は、民間人がゴジラと戦うという図式となっている。劇場パンフレットを読むと、コロナ禍中に製作されたことが大きく影響していると述べられている。未知のウイルスに対し、政府の対応はコロコロと変わった。そのことから、政府は頼りにできない、民間人の力で、未知の脅威に立ち向かおうという内容に固まっていったらしい。『シン・ゴジラ』が「ニッポンvsゴジラ」という構図になっていたのとは非常に対照的である。

 舞台は終戦直後の日本。主人公となる敷島(神木隆之介)は特攻隊の生き残りだ。操縦士としては優れていた敷島だったが、死ぬのが怖かった。搭乗した「零戦」が故障したと偽って、生き延びた。その後ろめたさを抱えている。東京の闇市で典子(浜辺美波)と知り合い、彼女が連れていた戦災孤児の明子と共にバラック小屋で暮らし始める。彼女たちの生活を支えることで、ようやく生きる希望を見出す敷島だった。

 戦争サバイバーとしての罪悪感、血縁関係のない人たちが疑似家族として支え合う姿は、山崎監督の大ヒット作『永遠の0』(13年)や『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)とつながるものとなっている。山崎作品に親しんでいた層には、受け入れられやすい物語だろう。

 焼け野原から徐々に復興してゆく東京で、敷島が小さな幸せをつかみかけた矢先、戦時中に大戸島で遭遇した怪獣ゴジラがさらに巨大化し、敷島の前に現れることになる。

ゴジラの正体と日本に上陸する理由

 民間人の視点、とりわけ心にトラウマを持つ敷島の主観的視点からゴジラを描いたことが『ゴジラ-1.0』のいちばんの特徴となっている。これまでも「ゴジラはなぜ日本を襲うのか」という謎は繰り返し考察されてきた。評論家の川本三郎氏は1994年に刊行した『今ひとたびの戦後の日本映画』(岩波書店)の「ゴジラはなぜ暗いのか」という章のなかで、ゴジラは【戦没兵士たちの象徴ではないか】という説を述べている。太平洋戦争で非業の死を遂げた兵士たちの魂が怪獣となって、復興した東京を襲っているのだと。

 日本兵ゆえに、天皇がいる皇居だけはゴジラは襲うことができずにいるとも指摘している。中国大陸からの帰還兵だった本多監督が描いた初代ゴジラは、とても恐ろしく、そしてどこかもの悲しい。

 都市伝説的に語られるようになった「ゴジラ=戦没者」説を取り入れたのが、金子修介監督の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(03年)だった。劇中、学徒動員された経験を持つ怪優・天本英夫に【ゴジラは残留思念の集合体だ。太平洋戦争で命を散らした人たちの魂が宿っている】という台詞を語らせている。山崎監督は『大怪獣総攻撃』から多大な影響を受けたそうだ。

 九州で育った筆者は、子どもの頃に深夜テレビの台風情報を見る度に不謹慎ながらワクワクした。太平洋で発生した熱帯低気圧が徐々に大きくなり、台風となって日本に接近する様子が、まるでリアルな怪獣映画のように思えたからだ。夏が終わり秋になると気圧の配置が変わり、台風は次々と日本に向かうようとになる。同じように太平洋で生まれたゴジラも、気圧や海流の関係などもあって日本に向かうのではないかと個人的に推測している。ゴジラは人間の手には負えない自然災害のメタファーでもある。

 庵野監督の『シン・ゴジラ』は、日本を憎む牧悟郎博士(岡本喜八)が研究中だった放射性廃棄物を捕食する海洋生物を意図的に日本近海に放ったという設定だった。それに対し、『ゴジラ-1.0』の米軍による水爆実験で被曝したゴジラがなぜ日本に上陸するのかは、きちんと説明はされていない。

 だが、敷島にしてみれば、ゴジラが東京で暮らす自分の目の前に出現したのは必然だった。戦場から逃げ出した敷島を追って、亡くなった戦友や空襲で命を落とした人たちの恨みが大怪獣となって現れたように思えたに違いない。それゆえ、銀座で破壊の限りを尽くすゴジラが、敷島の目にはいっそう恐ろしく映って感じられる。

 過去のトラウマをどう克服するか? これが『ゴジラ -1.0』の物語を動かす大きなモチーフだ。敷島は終戦間際に海軍が新たに開発したものの、実戦配備に間に合わなかった幻の局地戦闘機「震電」に乗って、ゴジラを倒そうとする。

 終戦直後の東京に傷痍軍人やGHQの姿が見えないことを疑問視する声も上がっているが、おそらく『ゴジラ-1.0』を受け入れられない人たちが最も引っかかるのがこのクライマックではないだろうか。

 特攻することができずに戦争を生き延びた敷島は、罪滅ぼしのために「震電」でゴジラに特攻しようとする。国に頼らず、民間の力だけで国難を乗り越えようとする『ゴジラ-1.0』だが、結局のところ最後は「特攻精神」に頼るしかない。自己犠牲の美しさよりも、戦争が終わっても戦時中の意識から逃れられない敷島、いや「特攻」の呪縛から逃れられない日本人の哀しさを強く感じさせるシーンだった。

戦時中の技術者たちが高度経済成長を支えた

 物語のもうひとりのキーパーソンとなっている野田(吉岡秀隆)にも注目したい。戦時中は兵器開発に関わっていた元技術士官の野田だが、彼もまた戦争を生き残った後ろめたさから、終戦後は日本近海に放置されたままの機雷の除去作業を、秋津(佐々木蔵之介)や水島(山田裕貴)らと請け負っている。対ゴジラ作戦となる「海神作戦」でも、野田が中心になって立案が進められる。第1作『ゴジラ』の芹沢博士(平田昭彦)に比べると、野田はずいぶんのほほんとしているが、実はかなりレベルの高い科学者らしい。

 罪の意識を負って生きている野田を見ていると、ある実在の人物の名前が思い浮かぶ。やはり日本海軍で開発された戦闘機「桜花」を開発した三木忠直氏だ。ロケットエンジンを積み、高速で空を駆け抜けた「桜花」だったが、着陸用の車輪すら付いていない特攻専門の本土決戦兵器だった。

「パイロットが必ず死ぬ飛行機なんて、技術に対する冒涜だ」と三木氏は設計を拒んだものの、上官の命令には逆らうことができなかった。「零戦」や「隼」による特攻と同じように、「桜花」に乗った多くの若いパイロットたちが終戦間際に命を散らしている。

 戦後の三木氏は軍事利用されない産業として交通機関を選び、新幹線の開発に尽力したことが知られている。世界初の高速鉄道となった新幹線は、1964年(昭和39年)から運行が始まった。新幹線0系の先頭車両のデザインが航空機っぽいのは偶然ではなかった。

 同じように戦時中は戦闘機の開発に従事していた技術者の多くは、戦後は自動車産業に移り、高度経済成長の担い手となっている。戦争を生き残った者たちの贖罪の意識が日本の高度経済成長を支えたと言っても過言ではない。

 1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)にかけての復興途上にあった日本を描いた『ゴジラ-1.0』だが、この時期の民間側ではない日本を記録した作品に、小林正樹監督のドキュメンタリー映画『東京裁判』(83年)がある。怪獣は出てこないが、日本を戦争に巻き込んだ怪物たちの正体が映し出されている。『ゴジラ-1.0』のゴジラは熱線で国会議事堂を焼き尽くすが、肝心の戦争責任者たちは国会ではなく、巣鴨プリズンに収監されていた。

 1946年(昭和21年)5月に始まった「極東国際軍事裁判」、通称「東京裁判」は1948年(昭和23年)11月には閉廷し、同年12月23日に7人のA級戦犯たちの絞首刑が行なわれている。裁判をうまく逃れた者たちは1952年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約締結後に公職追放を解かれ、政界や実業界へと復帰。朝鮮戦争の勃発により、GHQによる日本占領も終わり、日本は国家として再始動していくことになる。

 日本は太平洋戦争の敗戦をきっかけに新しく生まれ変わったと思われがちだが、実際はそうではなかった。人材やメンタリティーも含め、日本が戦前や戦中から引き摺っているものは少なくない。その中にはきれいごとでは済まないものも含まれている。

 ゴジラは現代の日本人が失ってしまった戦争の記憶を蘇らせる、一種の「ミッシングリンク」のような存在ではないだろうか。戦争のトラウマを思い出させるために、ゴジラは日本にたびたび上陸してくるのかもしれない。

『ゴジラ-1.0』
監督・脚本・VFX/山崎貴 音楽/佐藤直紀、伊福部昭 
出演/神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、吉岡秀隆、青木崇高、安藤サクラ、佐々木蔵之介 配給/東宝 11月3日より全国公開中
(c)2023 TOHO CO.,LTD.
https://godzilla-movie2023.toho.co.jp




 


 

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