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「未完成」によって創造される豊かな社会


論理があるから(言語化できるから)
検証が可能になり、

クラブとサポーターが「プロセスを共有する」
ことで、あらたな価値が創造される。

昨日投稿した記事の振り返りです。

それにしてもサグラダファミリア、
圧巻の存在感です。

どこまでが完成して、
どこからが未完成なのか。

そして完成した箇所の、
修繕が必要なのはどこからどこで…

建造物の構造からして複雑なうえに、

完成、未完成、修復
という線引きを要求される。

そんなカオスな状態も
どこか魅力的にうつるから不思議です。


建築に携わる人、
寄付(入場料)する一般市民も含めて、

多くが「完成を望んでいる」のは
間違いないと思いますが、

一方で「完成させないでほしい

という逆説的な感情があるのでは?
と思ったりもしています。


サグラダファミリアという
カタルーニャのアイデンティティは、

人々にとっての楽しみであり、
心のより所でもあり、プライドであり、

街のシンボルであり、
大切な産業でもあります。

「未完成」という価値が、

社会的装置としての役割を
より一層引き立たせているように感じます。


■未完成を通して成立する共依存

カタルーニャでは、

世界的な人気を誇るサッカークラブ、
バルセロナが有名ですが、

サグラダファミリアもまた、
バルセロナと同様、

市民にとって重要な
コミュニティの場。

街のシンボルであるサグラダファミリアは、
建築業や観光業という産業をうるおし

外国人観光客の尊敬を集めることで
カタルーニャ人の心にプライドを宿し、

教会としての機能は、
人々にとってのより所の役目も担う。

「あそこに行けば誰かに会える」
という楽しみは、

かけがえのない価値を
社会に提供しているといえます。

そして、

そんなサグラダファミリアが仮に、
数年後に「完成してしまう」とどうなるのか?

今までどおりの価値が消滅してしまう、
という畏怖の念が、

市民のみならず世界中のファンの
心のどこかにありはしないか?

と思うところがあります。


未完成のサグラダファミリアを通じて、

多くの人がお互いに依存しあっている状況があり、
そこから抜け出すことができない。

心理学ではこの状態を
共依存」という概念で整理していますが、

アルコール依存患者が
パートナーに依存しながら、同時に、

パートナーも患者のケアという行為に
自分の存在価値を見出す関係性

という有名な例を思い出しました。

二人の関係を維持している
依存症というネガティブな側面が毀損されないよう、

依存症の治療につながる活動を
無意識レベルで「妨害」し、

患者の自立を遅らせる、という
自己中心性が報告されたりもしています。


少し極端な引用ですが、
サグラダファミリアも、

未完成(というネガティブな状況)であることが
逆に市民のつながりを維持
していて、

完成を遅らせる、完成させない、といった
無意識の思考と行動が、

いたるところに確認できるかもしれません。

あくまでも憶測の域をでませんが、
個人的にもサグラダファミリアは、

未完成のままでいる方が、
その価値をとどめ、際立たせる
と思っています。


■「予測」することはもはや無意味

サッカークラブには
「余白」が必要であり、

その不完全性が多くの人をひきつける要因、
といった記事を何度かnoteで書いてきました。

意図的に「エラー」を
経営に組み込むことで、

クラブの発展を「進化論的に」促す、
という記事も書いたことがあります。


過去の具体的な成功体験や、
顧客データに立脚したアクションプラン
は、

普遍性、汎用性に乏しく、
ゆえに応用がきかない(適用範囲が限定

そして、時空をこえて波及しづらい。
その時その場で陳腐化しやすい

したがって
不確実性が高い現代社会においては

脆弱であり、
再現性に乏しい。

一方で、

直観に従って寄り道を繰り返し、
不得意なところはいさぎよく外注するなど、

一見すると、
経営の放棄と受け取られかねない行為は、

実は「反脆弱性

つまり弱みにレバレッジをかけて
逆にパフォーマンスを向上させる
ことになり、

予測の難しい時代に生きる
サッカークラブにとって

重要な概念になると考えます。

エラーに対する耐性が常態になれば
モチベーションは安定しますし、

外注によって課題解決の最新のリソース
あらゆるところから集まるので

パフォーマンスの向上は
必然とさえ言えるでしょうね。


サグラダファミリアのように、

サッカークラブも
未完成」であり続けるからこそ、

サポーターやファン、市民が依存しあう、
コミュニティが強化され、

豊かな社会の形成につながる
と感じずにはいられません。


顧客データという
「正しい」モノサシが、

一か月後には「正しくない」結果
を生んだり、

わざとエラーを組み込むという
「正しくない」行為が、

「正しい」成果をもたらしたり。

VUCAの時代における
サッカークラブは、

そんな「不確実性」を織り込みながら、

大量行動による、
論理の引き出しを積み増し、

論理と偶然をしたたかに操作して、
力強く経営していくべきだと考えます。


■事前準備は情報を限定してしまう

過去400人あまりのサポーターに、
ひとりひとり対面でインタビューをしたことがあります。

サポーターがチケットを買ったり、
グッズを買ったり、ファンクラブ会員になる

それぞれの「動機」を言語化して
マーケティング、売上アップをもくろみ、

当初は、

クラブを応援することになった経緯や、
今もクラブを応援し続ける理由など、

定型文を用意して
インタビューに臨んでいました。

しかしながらとある
お年寄りサポーターと接したとき、

「クラブを応援し続ける理由」
という問いに対する答えを得るのに、

5時間ほどお話につきあった
ことがあります。

お年寄りの話から、

その人の生活や家族構成、背景
などが浮かび上がり、

また、抱えている課題
なんかもお話しいただいたことで、

期せずして、

マーケティング戦略の設計が
根底から覆されるような、

非常に有益な情報
を得ることになりました。


「お聞きしたいのはそうではなくて…」

と、相手の話をさえぎるのではなく、

一見無駄に思えるような時間であっても、
思いもよらぬヒント
に出会うことがある

という気づきにもなりました。


予期せぬエラーがもたらす価値は、
そんな「細部の仕事」にまで宿るということ。

計画通り進まないことが、
ポジティブな成果につながることもある

ということです。


■歴史から大いに学ぶ

話が大幅に逸れてしまいましたが、

未完成、不完全、予定不調和
をマネジメント
することは、

イノベーションのタネ
になることも、あるかもしれません。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

といいます。

愚かな者は一度自分で
経験してみないと納得できないのに対し、

賢者は他人の経験(歴史)にさえ
学ぶことができる。


サグラダファミリアを分析することで、

コミュニティの神髄、真理が
透けて見える気がしました。

サッカークラブにも
その概念を取り込むべきだと、

私の信念をさらに強化してくれた
偉大な世界遺産。

一度でいいから行ってみたいと
あらためて思いました。


未完成」の
サグラダファミリアが

人々の楽しみや心のより所、
プライドや街のシンボルであること、
そして重要な産業
であることを

実際に見て、
その空気に触れることで

豊かな社会

とはどういうものなのか?

サッカークラブのあるべき姿を
重ね合わせつつ、

思う存分、
妄想にに耽ってみたい思いました。


※本稿は以下文献を参考にしました。
情報生産者になる(上野千鶴子)



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