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「センス」は、言葉で説明できるもの

新庄剛志さんが北海道の野球球団と契約。監督になったというタイトルがYahoo!ニュースを占拠していました。ジムでトレーニングしているとき、ずっとテレビに映し出されていた彼の笑顔に思わず笑ってしまいました。人を惹きつける不思議な力がある方だなと思いました。

なんとなく天然キャラ、天才肌で感覚派の人。勝手にそういう印象を持っていました。そして昨日、私のYouTubeアカウントのおすすめに突如現れたこちらの動画を見て少し考えが変わりました。

新庄さんが野球の外野守備について熱く語っています。そしてご覧になると気づくと思いますが、自身のプレーを事細かに、見事に言語化しています。素人の私にも伝わる解説。もちろん動きながら、視覚的にも理解が進みますが、それ以上に彼の言葉、語彙の豊富さにびっくりしました。

「感覚ではなく理論の人」

と、動画を見てそう思いかけたのですが、ちょっと待てよと少し考えてみました。彼の身体能力やセンスはおそらく比類なきもの。現役時代のプレー動画を見ているとそんな感想を持たざるを得ません。

そしてセンスや才能によって生み出される彼のプレーは、彼にとって「できて当たり前」のこと。だから当初は「言語化」したことすらなかったかも知れません。ですが、ここからは私の個人的な想像でしかありませんが、メジャーリーグへの挑戦が転機となって、自分を客体化して分析する視点を覚えたのではないかと思うんです。

与えられた競技やルールを所与のものとしてがんばるのではなく、自分にとって有利な「勝てる場所」を見つけにいくことをがんばる。試行錯誤しながら自分の身の置き方を定めて、そこで自分独自のセンスを深掘りするしか、アメリカで生き残ることはできなかったのでは?と思ってみました。

自分のセンスというものを、アメリカで、そして帰国後の北海道で大事に育て、磨きをかけていく。ひと通りやってみて「そういえばあれやってこれやって、あんなこともやったな」と、いろいろやってみたからこそいま、自分がこういうセンスなりスタイルを確立できたと感じた時期があったのではと、彼の動画を見ながら妄想していました。

その賜物が彼の説明能力。素人でもわかりやすい言語化ができる能力は、こうした高い「事後性」によって育まれたのではないか。彼の持つセンスと、そのセンスを生み出した方法論の因果関係は、事前には明確にわからなかったけど、「勝てる場所」を見つけるプロセスで、ものすごい量の努力をして、センスなり成果なりをもたらす手段との因果関係が事後的に理解できるようになったんだと解釈してみました。

真実はわかりませんが、類まれなセンスと、それに相反するような理論を融合した彼の現在には、上述したようなストーリーが隠されているような気がしてなりません。

久保大輔




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