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1番を選んだことのない人生でした。

ここしばらく文章らしい文章を書く機会がなかった。機会がなかったというよりも、書く気力がなかったというのが正解かもしれない。どうも、自分の性質として「読書」をしていないと文章を書こうとしないようだ。ただでさえパンパンの本棚に読まずに購入したまま本棚に積み重なっている「積読」状態の本が過去一の多さになってしまっていて大変困っている。「変われる季節」である4月なので、それぞれ解消していこうと思いたった3月末。自分を取り巻く環境は相変わらずで、でも少しだけ「自信」を取り戻していて、相変わらずな環境にその「自信」を持って向き合ってはいるけれど、「それは今の自分が望んでいるものではない」こととの間でモヤモヤは募るばかりだ。
 
「どこで誰と何をするのか」「自分はどうしたいのか」によって自分の人生が大きく左右されていくことはよくわかっていてその答えはもうとっくに出ているのに、踏み出せないまま時間ばかりが過ぎてしまっている。2023年は年末に近づくにつれて転職活動に力を入れる割合が増し、そのお陰が4社(他1社は最終選考辞退したが、恐らくは参加していれば合格していたと思う)から内定を得た。46歳という年齢にも関わらずこれだけの内定を得たことは自分の中で大きな「自信」となったけれど、結局踏み出せずにアイモカワラズな環境に滞在し続けている。「100%」納得のいく環境なんてあるはずはない。だから、その中で「譲れないもの」「受け入れられるもの」を線引きして判断して、次の世界へと一歩を踏み出していくしかないことはわかっていた。それでも踏み出せなかったのは、現職にやり残したことがあったからでもあり内定先に「違和感」を感じていただから何だと思っている。
 
それは「やらないことの言い訳」のような気もする。けれど、長年生き抜いてきて学んだ「感じた違和感はほんとにやばいものだ」ということは大切にした方がいい考え方だと思う。だからこそ、私は4つもの内定先を辞退した。2024年になっても転職活動は継続しているけれど、2023年よりも上手くいっていない現状を考えるとそろそろ「年齢の壁」が出てきたのだろうと感じている。それだけじゃない「自分を取り巻く環境に対するストレス」も溢れ出てしまっているから…とも思う。それでもなんとか3月末になり少しずつ改善されてきて、内定が出た頃のように前進しつつあるけれど。
 
これまでの人生を振り返ってみると「自分の意思で、1番好きなものを選んだことがない」人生だったと思う。だから、「いざっ」という時になって「やらないことの言い訳」を持ち出してしまって内定辞退をしてしまったと感じている。自分の意思で決めたことならそれが「1番」の選択なのだろう。語弊があるかもしれないけれど、「1番だと無理だから、2番に…」と逃げてしまっていたことはなかっただろうか。それはそれで悪い選択ではないとは思う。「2番が1番に」変化することだってあるはず。それにそうやって「妥協」せざるを得ないことが人間にはある。誰もが「1番」を選べるわけではないのだから
 
本音の部分はそうであっても建前としては「2番…だけど、2番とはいえない」のが現実。その中で折り合いを付けたりしていくことが必要であり、「2番」に向き合っていく中でそれが自分自身にとっての「1番」になればそのことほど幸せなことはないと思う。…それでも、「1番を選択」できるのが「1番の選択」ではあるけれど。
 
「自分自身の1番」を選べればそれでいいじゃないか、周りのことなんて関係ないね…と言いたいけれど、それが言えないから私は内定4社辞退してしまったのだろう。数か月後、周囲を取り巻く環境が変化して、そちらに巻き込まれ事故をくらいそうな状況になりつつあることを鑑みると「ああ、なんで俺、辞退しちゃったんだ」と思い悩み、またモヤモヤが募ってしまう。
 
(当初の予想通りの方向になっていきそう。それは面接ではご法度とされる「ネガティブな発言」になってしまうのが悔しい)
 
今の自分自身、これからの人生において「自分の意思を明確に示して進んで行くこと」が必要なのは内定先の面接でも発言した通り。そこの部分が自分自身には大きく足りていないから、巻き込まれ事故にくらいそうになってしまうんだ。「決断をすること」を実現する為に、転職活動を成功させたい。あと一歩踏み出せばその実現は近い。そして、さらにもう一歩踏み出していけば…。

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