男女を混ぜる教員は要らない

学校では、さまざまな学習や行事の際に、子供たちをグルーピングやペアリングしなければならないことが多々ある。

・給食や掃除の班決め、
・遠足や社会科見学などの班決め、
・組体操のペアやリレーのグループ決め、
・教室で席が隣り合わせになるペア決め、
・校外学習のバスで隣になるペア決め、

などである。

この時、教員同士で確認されるのは、
男女混合にするか否かである。

確認するとは言ったが、学校には昔から、グルーピングもペアリングも男女混合が良いとされており、基本的には全て男女混合で行われる風習がある。

しかし、高学年ともなれば、当然に異性を意識する子供も少なくなく、学校では男子は男子同士、女子は女子同士で過ごすことが普通だ。

だから、グルーピングやペアリングの際も、子どもたちは同性と組むことを望むようになる。これも当然のことである。

しかし、日本の学校では、この発達段階による異性への反応についてはほとんど配慮しない。
異性と手を繋いだり肩を組んだりするだけでなく、隣の席にいたり、話したりするのも恥ずかしい人間もいるが、それはほぼ無視するのだ。

その訳を聞くと大抵の教員は
「男女関係なく触れ合ったり関わったりできるのは今しかないから」だとか
「男女分け隔てなく関わってほしいから」
などと理由を並べる。

しかし、それは異性を意識するだけの心身の発達に至ってない段階の子供にとっては良いかもしらないが、異性を意識するようになった子にとってはたまったものではない。

それでも教員らは男女混合の関わりを強要する。

確かに仕事であれば、パートナーの性別について文句を言うなどということがあれば問題視されるだろうが、仕事のパートナーを決めるのに、男女混合しなければならないという縛りはない。結果的にそうなるだけだろう。

だから、グルーピングをする際に男女混合にしようという縛りを設けることが不自然なのだ。
グルーピングやペアリングには、学習や活動がより良くなるための意図が必要なだけである。

なのに、古いしきたりの大好きな思考停止教員たちは、勝手にこの縛りを設けて、子どもにそれを強要するのだ。

管理職から、仕事に関わるグルーピングで、納得できる理由もなく「必ず男性と女性でペアになりなさい」と言われたらどうだろうか?
このような教員たちはだまって従うのだろうか?おそらくセクハラだとかパワハラだとか言って騒ぎ立てるはずだ。

このことから『発達段階に応じる』という言葉がいかに教員都合の言葉なのかがよく分かる。

教員は自分の考えが正しいと疑わず、思い通りになればそれでいいのだ、子どもの発達段階などはほとんど考えてはいない。

これが日本の学校教育の真実である。

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