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学校における性教育

今まで割と不思議に思っていた。
どうして”性教育”と謳っておきながら性行為自体には触れないのか。
「身体が丸みを帯びて~」だとか、「胸板が厚くなって~」だとか。
身体的な差が生じることだけを教えられる性教育。

もしくは「受精卵が着床して~」といった受精卵の成長の仕方を教わる。
性教育というより「人間性物学」と名称を変えた方がよい。
そう思っていた。

先日アベプラで性教育について議論している会を視聴した。
(議論自体は物凄くつまらないので見なくていい…)

そこで「はどめ規定」なるものを知った。

中学の保健体育では「受精・妊娠までを取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする」としているこの規定。
あ、だから「女性の膣内で射精をして妊娠する」という性行為自体を取り扱わないのか、とようやく合点がいった。

中学時代で僕の学校教育への疑問はただ一つ。
「どうやって精子は子宮内に入ってくるのか」だ。
動く点Pの行方より、突然子宮内に登場する精子の出処が気になった。
こればっかりは当時のくまはん少年には考えても理解できないことであった。

結局「自分の陰茎を女性の中に入れる」という至ってシンプルな答えを教えてくれたのは二個上の先輩だった。

僕のそういった性知識を得たのは中二とかなり遅く、振り返ってみると小学校の高学年でそういった知識は勿論、経験も済ませている子もごくわずかではあるが何人かいた

何故子供をそういった知識から遠ざけるのだろう。
危険があるが避けては通れない事柄だからこそ、教育と勉強が必要なのは、他の資格を見れば火を見るよりも明らかなのに。

そそくさと先生が教えて終わるコンドームのつけ方だってそうだ。
僕は自分で買ってみて、初めてコンドームにサイズがあることを知った。
それと同時にサイズが合わないと避妊失敗することも知った。
コンドーム一つとっても教えられてない性教育なんか無い方がいい。

性行為は汚いもんじゃない。
僕らはカトリック教徒じゃないんだ。
神道の起源を記す「古事記」にだって、イザナギとイザナミの結婚についてこう書いてある。

我が身は成り成りて、成り余れる処一処在り。
故此の吾が身の成り余れる処を以ち、
汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて、
国土を生み成さむと以為ふ。
生むこといかに。

新版 古事記 現代語訳付き 【二神の結婚】より

神ですらする行為をどうして避けるのか。

性行為を遠ざけるのではなく、危険性を伝える授業はすべきだ。
特に男子は妊娠という身体的リスクがない分、強く伝えるべきだ。

子宮頸がんが男性によってのみ引き起こされるものという事実であったり。
望まない妊娠をさせてしまったときにどういう将来が待っているのか。
仮にそうなってしまった場合に、他人事だからこそ冷静にアフターピルといった選択を採れるようにすべき、など。
男性が出して終わりと思ってしまう原因は現行の性教育にもあるんじゃないのか。

性行為についてはいつかは学ばなくてはならない時代だからこそ、学校教育の一環で教えるべきと思う。
両親がその教育をしづらいからこそ、学校がすべきなんじゃないのか。
ネットの知識だけで理解したつもりになり、実践することの方が僕は遥かに恐怖を感じる。

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