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『ヴィーガンズ・ハム』とんでもないものをみた日記(2024年1月13日)

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ヴィンセントとソフィーは結婚30年。すっかり倦怠期に陥り、家業である肉屋の経営も厳しい。ある日、店がヴィーガンの活動家たちに荒らされ、ヴィンセントが犯人の一人を殺してしまう。死体処理に困ったヴィンセントはハムに加工するが、ソフィーの勘違いで店頭に出すと図らずも人気商品に……。


私にも、9歳の男の子がおいしそうにみえました。その時、映画のおかしさから目が覚めたような気持ちになって、ゾクゾクしました。ものの見方に影響を与えるのが芸術なら、これはそれだと思います。映画の後、ショッピングモールに行きました。大人や子供がたくさんいて、雑味が強そうでおいしくなさそうな人や、そうでもなくおいしそうな人がいました。書店の雑誌コーナーでは、車椅子の人が立ち読みをしていました。エレベーターの扉の前では、女の子がおもちゃの箱を抱きかかえていました。精肉コーナーに行きました。色がよかったです。寿司や野菜なども色鮮やかでした。パンのコーナーではトングをカチカチ鳴らしている人がいました。

酒もタバコもギャンブルもまだですが、私も遠くないうちに21歳になる成人なので、R18+の映画をみることができます。それにしても、センシティブなテーマで、ハイレベルではないかと思います。私は過去に、『ダーウィン事変』を4巻まで読んでいました、それ以降はこれからです。今日、『ヴィーガンズ・ハム』をおすすめされたのはたぶん、この間、『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』をみたせいです。

ポストモダンとかポスト構造主義とか、人新世とかクトゥルー新世とか、全然詳しくありませんが、ヴィーガンの「動物の権利」論、動物解放思想、また、寝そべり族のフラティズムや、その他の、反出生主義など、あちらこちらの概念が、世間に、「本当に正しかったらどうする?」と問いかけるように、じわじわと浸透している様子をイメージすると、その様子からSCPのことやモキュメンタリーのことなどが頭に浮かびます。世界観が簡単にがらりと変わる気がして楽しい、ということを私は書きたいのだと思います。また、その予感を誰かに与えられる人が私は好きで羨ましいのではないかと思います。私は今後も人肉の味を実際に確かめることはしないと約束したいです。一方で、野菜しか食べないのでヴィーガンの肉はおいしいという発想や、去勢手術を受けていればもっとおいしいという発想には、「ああたしかに」と言いたくなる納得感があります。そして、現代人であれば、ペースメーカーという異物が混入していることもあるでしょう。そういったネタなどからひとつの作品が出来上がり、結果、数多が世の中に存在していることはきっとすごいことです。

座っている間、飽きが来ませんでした。狩りが続く描写が、場面転換する最後まで含めて、すごかったです。描写といえば、時系列順では、冒頭の襲撃の突然さが、誇張なく突然だと伝わって、とてもわかりやすかったです。他にも、わかりやすいと感じた描写はありました。タバコを吸う過激派の男、カミーユが再登場したときには、名前がわからずともすぐにわかりました。飼い犬のペペールが、ヴィーガンを見るたびに興奮するようになっていたので、終盤で吠えたときには理由を察しました。できるだけ瞬間的に理解できるように描かれていました。

そのように、全体的には描写がわかりやすかったことに対して、二人が終身刑を言い渡され、「後悔することは?」と問われた妻、ソフィーの答えが、わかりづらかったです。「ウィニー」とはどういう意味でしょうか。作中において、ソフィーのほうが夫のヴァンサン(ヴィンセント)より、「サイコパス」として言動がはっちゃけていた印象があります。ウィニーを獲物扱いしたことを後悔しているのか、捕まってしまったこと、すなわち、大切に食べていたウィニーのような肉がもう二度と食べられないことを後悔しているのか、それとも。このことは作中作、作中の番組内で明かされているので、メディアによる切り取りが、視聴者に真相をわかりづらくさせていると制作側は伝えたいのでしょうか。映画が番組になったときには驚きました。とても良かったです。

娘の彼氏、リュカについても、わかりづらかったです。彼については、どう考えればいいのでしょう。フェスティバルの、衆人環視の中で、非難したことに関してだけ、謝りに来たのでしょうか。彼にとっての反省点はどこにあるのでしょうか。もちろん結局はフィクションですし、社会的には優秀そうであるはずの登場人物たちが過剰にひどい人間として振舞っていました。初対面の食事会で、彼は早く帰るべきだった気がします、もし自分だったらと考えましたが、それはよくないのでしょうか。他山の石、とはいえ、わかりません。最終的に彼は、人喰い殺人鬼夫妻の娘であるクロエと結ばれたのでしょうか。彼の失態の全部が、若さゆえの過ちだったとして、彼は変われるのでしょうか。絶望に沈む娘を愛し、支え、そして、夫妻は善人のようだったと「真相を語る」動画を撮ってアップロードするでしょうか。口を噤め。「言いすぎ」な人はリュカだけでなく、ブラシャール夫妻もでした。近代生まれで、ESGを知らなさそうな数字好きのイヤな金持ちがマルクとステファニーだとして、リュカも信条のわりには二元論的というか、頭が固く、自己中心的でした。戒めなど、全然奥深くなさそうでした。不安に苛まれていたから仕方ないとしても、肉屋が勉強目的で催し物に参加したことを責めたことは良くなかったと思います。彼自身もたぶんそれがわかったので立派なことに謝罪に向かいましたが、パスカル夫妻の正体は「社会の敵」だったので、どれだけ攻撃してもやりすぎということはなかったのかもしれません。ただし、それが正義と呼べるのかとも感じます。今回、リュカが猟奇的な本質を見抜くというようなことはできませんでしたが、それはそれとして、悪い相手との、認識のズレを理解しようともせず、一方的に奇人呼ばわりすること、安全圏に立ったまま得をすることは、正しいことなのでしょうか。

人肉を口にして病みつきになった消費者たちやニュースを耳にした同業者たちの中から、模倣犯が出現しないかと思いました。ただ、ノンフィクション(史実)ではフリッツ・ハールマンという人物が肉屋として似たようなことをしたらしいですが、それに関して当時、我慢できなかった人々がいたという情報は、検索してもないようでした。

「黒人と女は未知の味」といって「やりたくない」といいつつ、一人を殺してしまいましたが、結局食べませんでした。殺しはしています、余裕があると、どうしても縛りは緩んでしまい、味を食べ比べたくなってしまったのでしょうか。転機が訪れなければ、ヴィーガンでない者にもいつかは興味を持ったのでしょうか。マルクの耳を味見したとき、まずいと言っています。肉の味について、どれくらい研究したのかほんの少しだけ考えたくなります。肉を愛するヴァンサンであれば、飼い犬のペペールに与えるばかりでなく、ちゃんと耳の味は確認していて、それで、マルクの耳がまずいと断言しているという裏設定があるかもしれません。マルクといえば、9歳くらいの男の子の場面だけでなく、ヴァンサンとマルクのプールでの取っ組み合いでも、首を捻って殺しはしないかとゾクゾクしました。

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