土曜日と結婚した男

あるところに、土曜日と結婚した男がいた。

プロポーズをしたのは、男のほうからだった。

土曜日のことが好きだ。ある土曜日の深夜、彼は自分の気持ちにふと気が付いた。勢いのまま、愛の言葉が口を衝いて出た。これは一目惚れではない。雷に打たれたような衝撃で、彼の意識はとても正常に機能しているようには傍目には見えなかったが、彼はそれを確信しているようだった。

事実、土曜日は彼をずっとそばで支えていた。不器用な彼はしかし、どうしようもない鈍感ではなかった。水泳教室に通っていた小学生時代、半ドンで早く帰れた中高生時代、また、大学生時代、そして、社会人時代。土曜日は彼を毎週特別な気分に浸らせ、楽しませていた。彼は土曜日のおかげで日々を生きられた。それに比べると日曜日は、彼を満足させることができなかった。日曜日、彼が決まって憂鬱であることを、理解する者もいたし、理解しない者もいた。

結婚式はよく晴れた土曜日に執り行われた。「健やかなる時も病める時も」という、例の「誓いの言葉」に、二人は笑って顔を見合わせたそうだ。私はその場に立ち会うことができなかったが、その様子は容易に想像できる。二人は週に一度しか会えない。それでも、伴侶として共に生きることを選んだのだ。会場に招かれた数少ない人物たちも、きっと承知していただろう。

彼は重々しい曇天の日曜日に、この世を去った。葬儀はしめやかに執り行われ、土曜日は、彼を看取ることも、見送ることもできなかった。

以来、私は、未亡人となった土曜日と、うまく関われないでいる。土曜日は変わり者の彼と一緒になってよかったのだろうか。土曜日は彼と短い時間を過ごして、幸せだったのだろうか。土曜日の隣、日曜日として、思う。

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