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映画 ショーシャンクの空に 監獄に入れば希望を抱くべからず、なのか?

初めまして。ただの大学生です。

今年は授業始まりがずれ込み、未だ春休みの最後というぬるま湯に浸かっています……。

そんな中、バイト仲間からオススメされ、スマートフォンにて『ショーシャンクの空に』を鑑賞。

タイトルは聞いたことあったけど、重〜い話かと思って避けていた作品でしたが、最後はカタルシスがあるよ、と言われて観ることにしました。

公開からだいぶ経ってるし、話題作でもあるので、ふつーにネタバレレビューしていきます。

この作品を鑑賞して感じたことは、「今ここでnote書いてる間にも、刑務所で寝起きする人が存在していて、彼等は自分と同じく感情を持つ人間なのだ」という強い実感、でした。

冤罪、刑務所の悪環境、自由、希望、などなど色々なテーマが詰め込まれた作品ですが、私は1番、上のことについて考えさせられました。

映画の語り手、レッド(あだ名)は実際に殺人を犯して投獄され、中心人物のデュフレーンは、殺意はあったものの実行しなかった結果、冤罪で投獄されます。

メインの2人は異なる背景を抱えていますが、対等に会話をしています。

ショーシャンク刑務所は刑務官や所長の振る舞いが粗暴で、また一部の囚人は他の囚人をリンチ&レイプするという狂暴さを持っている、辛い環境ですが、レッドやデュフレーン、そしてその周辺の人々の会話は、粗雑ながら何故か暖かみがあり、人間味に溢れています。

冒頭の裁判でデュフレーンは「非常に冷酷な復讐犯である」との判決を受けますが、それは全く的外れであると分かります。

初めてデュフレーンが銀行マンだったキャリアを活かして仲間にビールを奢ったシーンでは、とても和やかで温かな表情をしています。

そして、この辺りから、ショーシャンク刑務所の「日常」が少しずつ変化していくのです。

ショーシャンク刑務所の「日常」は、肉体労働、刑務官の怒鳴り声にただ従順であること、狭い檻の中での寝起き、です。
たまに、レッドのような「調達屋」によってタバコなどの楽しみがもたらされますが、ささやかすぎるものです。

しかしデュフレーンの粘り強い予算引き上げ交渉により、刑務所には新しい本と新しい図書室ができます。

そこで様々な本を読み、音楽を聴くことが出来るという、ほんの少し投獄前の「日常」にかするような時間を、囚人たちは手に入れます。

美しい歌声のレコードを、所長の怒りを横目に流し続け、皆がそれに聴き入るシーンも印象的でした。

受刑者たちは法を犯し、塀の中にいる訳ですが、彼等の多くは、美しいものには心打たれ、知識には好奇心を抱く、ごく普通の人間なのだ……と訴えかけるシーンに見えました。

罪を犯した人は隔離し、更生させる。

それは必要なことかもしれないけれど、更生するには何が必要なのか。

劣悪な環境に身を置かれれば、自分のした事を心から反省するのでしょうか。

終身刑受刑者として40年も檻の中で過ごしてしまい、もはや生きていく自信を無くして、仮釈放後自死を選んだおじいさんが登場しますが、それで良かったのでしょうか。

この作品では受刑者たちの罪の詳細がよく分からないので、彼等を憎むことが出来ないのです。

デュフレーンが居なかったら、レッドは最後のシーンで「後悔しているに決まってる。いま、殺した男に会えるなら、お互いの思いを話し合いたい」と言うに至ったでしょうか。

殺人は被害者とその周りの人を絶望に陥れる。

それはそうでしょう。許されることでは無いのかなと思います。

でも犯してしまった罪に本当に向き合わせることが出来るのは、「出られない」「苦しい」という絶望ではなく、希望なのではないか。

タイトル『ショーシャンクの空に』の意味がちょっと難しくて私には上手く説明できませんが、空って希望の象徴……という感じなのかな、と思いました。

中盤までは「やっぱり重い話じゃん……」と思ってましたが、今は観てよかったと思います。

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