生活を想像する

▼最近気づいたのだが、
どうやら私は他人の生活を想像するのが好きみたいだ。

▼というのも、私の職場は完全服装自由なのだが、にも関わらず隣の席のBさんはこれまでいつもスーツで出勤していた。
ところが最近になってBさんが私服で出勤してくるようになり、これまで捉えどころのなかった彼のことが何だか一気に身近に感じられるようになった。

それまでは「たくさんいる社員のうちの一人(無個性)」であったBさんが、初めて「こういう服装を好む、こういう趣味を持っている(と類推される)、何歳の、こういう男性」という個性を持って私の中にインプットされた。

また彼は毎朝ヘッドフォンをして出勤しており、スーツの頃は「音楽好きなのかな」程度にしか思わなかったのが、私服になってからというものの、「こういう服装するってことはこういうバンド聞くのかなあ。いやはたまたこういう系か?!」などと勝手に想像を巡らせて楽しんでいる。

▼服装はもとより、その人が何を食べて生きているかを想像するのも楽しい。
その場合は昼間会社にいる社会的な時間より、夜のプライベートな時間に誰の作った何を食べているか?そこから人となりを類推するのだ。

▼先ほどのスーツの話からも分かるように、
想像するには、やはり何かしら手がかり(個性)が必要だ。そして均一的な環境ではそれは生まれない。
これまで無意識に「均一的でなく個性が尊重される環境」を良しとしてきたが、こういう背景があったのかもしれない。

▼私は決して社交的な方ではないのだが、そういう人にこそ、ある人間の生活を想像するという「1人遊び」は向いているように思う。
お金をかけずに頭の中だけで楽しめるこの遊び、皆さんもぜひお試しあれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?