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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(52)

〈前回のあらすじ〉
 黒尾のワンボックスカーで清水についたかおりは、居眠りをしている黒尾を起こさないように旅館にたどり着いた。旅館ではすでに夕食の支度ができており、女将がてきぱきと配膳をしてくれた。その様子を見て、かおりは生前の母親や祖母を思い出し、生気をたたえた父親も交えた円満な家庭を彷彿させた。その様子に気づいていたのかいないのか、黒尾は無邪気に美味い料理に唸った。かおりも負けじと箸を取り、舌鼓を打った。

52・目に見えない勾配をゆっくりと登るような黒尾との関係の構築

 静岡県の熱海駅に着くと、そこで電車を乗り換えなければならなかった。同じ東海道線なのに、運行している会社が変わるせいだ。静岡県から先の東海道線は、運行している本数も減る。次に乗り換えるべき電車がやってくるまで、幾分待つことになったので、僕はホームにある立ち食いそばの店で黒いはんぺんが載った温かいそばを食べた。

 やがてやってきた旧型の電車に乗り込むと、小田原で乗り換えたときには幻のように思えていた「清水しみず」という駅名が、現実味を帯びてきた。乗り換えた東海道線島田行きの長い列車の車内に掲示された路線図に、「清水」の駅名を見つけることができたからだ。終点の島田は、「清水」のまだ先にあった。

 僕はただしに対して、揺るぎない敬意を抱いていた。だが、それを形や態度にして表したことはなかった。正しく言えば、直にその思いを伝える術を見つけられないまま、直が不在になってしまった。

 その堅実さ、寡黙さ、実直さ。父親がその名に託したとおり、また、黒尾が先人の言葉から紐解いたとおり、直はその名を態で表していた。マナティーや飼育員の竹さんに寄り添ったのも、きっと直の「弱き者」への真っ直ぐな思いがあったからだろう。

 僕は直への漠然とした憧憬を弄ぶばかりだった。それは、まだ心のどこかで、直がいた場所に足を踏み入れてはいけないような畏れを感じていたからかもしれない。竹さんやかおりや黒尾が現れなければ、柳瀬結子が不躾に僕に宛てた虚ろなメッセージを引き受けようとは思わなかったかもしれない。仮に、何らかの衝動で僕が一人で直の足跡を辿ろうと決めたところで、きっと何にも辿り着くことができず、ただ直への贖罪のようなものを持ち帰っただけだろう。火葬場の空に昇っていく父親の魂を、他人事のように眺めていたあの時ように。

 ただ、僕は「兆し」を頼りに水族館で働くようになり、竹さんやかおりに会い、触れた。そして、本当はそうではないのだと、自覚した。

 その時点で僕にわかっていたことは、ただ「そうではない」ということだけだったが、そこに辿り着けただけで、僕は見えない呪縛から解き放たれたし、時には希望のようなものさえ見つけることができた。

 僕が奇しくも柳瀬結子を介して直に導かれるように水族館で働くようになり、竹さんと知り合い、ピッピやベーブに触れた意味を、僕はこの旅で解明しなければならなかった。そうしなければ、僕はこれからも、残された唯一の肉親である母親と和解することもできず、大人への節目を迎えようとしている今、まだどこかで自分の不遇を父親や直のせいにしている自分から脱却することができそうになかった。

 これまでの僕ならば、誰にも関わらず、誰からも関与されずに生きることに甘んじ続けたかもしれない。でも、僕は彼らと出会い、彼らを知ってしまった。彼らとは、かおりであり、竹さんであり、ピッピとベーブであり、高木であり、柳瀬結子であり、黒尾であり、他ならぬ両親と直であった。その彼らとのかかわりを、僕はこの旅で結実させなければならないように感じていた。そして、その意志を黒尾とかおりが後押ししてくれた。いつでも目先の苦難から逃げようとしてきた僕を奮い立たせてくれたのは、この二人だった。

 自分は直の高校時代の同級生だと、黒尾は言った。そのことは、母親が直の遺品から探してきた高校の卒業アルバムで明らかになった。だが、今でも腑に落ちないのは、なぜ僕ら・・なのかということだった。

 直は決して社交的ではなかったが、だからといって無愛想でもなかった。学校で孤立していたような気配は感じさせなかったが、家に友人を連れてきたことは一度もなかった。黒尾は直のことをとても親しげに話すが、卒業アルバムの写真を見る限り、二人の間に共通点を見つけることは難しかった。だから、黒尾が我が家に介入してきたのは、ただ単に自分の商売のためだとばかり思っていた。

 でも、母親が飢餓状態に陥ったときに彼女を救ってくれたのは、ほかならぬ黒尾だった。降りかかった火の粉だから払わなければいけなかったのだろうが、それにしても仕事も放って朝まで僕や母親に付き添ってくれたことは、ただ商売のためだとは考え難かった。黒尾がいなかったら、僕は最後の肉親まで失っていたかもしれない。

 そうした、目に見えない勾配をゆっくりと登るような黒尾との関係の構築は、家族の間にも芽生えない不思議な信頼関係を生みつつあった。

 黙ってワンボックスカーの旅から離脱した僕に対して、黒尾は怒りを募らせているだろうか。僕の独断による強行に見切りをつけて、かおりとともに福島に帰ってしまっただろうか。僕は東海道線の旧式の車両が軋む音を聴きながら、財布の中にある一枚の名刺の温もりを感じていた。

(何かあったら、いつでも連絡よこせよ、諒。そのために名刺をやったんだからな)

 不運な我が家を餌食にする肉食動物のような黒尾への印象は、もうすっかり消え去っていた。おそらく、もう直には伝えられないだろうと思っていた憧憬の念を、黒尾への信頼感に重ね合わせることができていたからだと思う。

 だが、今は黒尾に連絡できない。

 僕が大人になるための旅。僕が自分の意思で彼らから離脱したのだから、この先は一人でやるしかない。何事も自分で決め、孤独の中で完遂してきた直のように。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(53)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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