池田元久・元経産副大臣の訃報に接し、菅直人元総理の原発対応を振り返る

2024年1月22日、池田元久・元経産副大臣が亡くなられた。
83歳だった。

早稲田大学政治経済学部卒、1964年、NHKに入局。

1990年にNHKを退社し社会党から立候補して初当選。
その後、社民党を経て民主党に合流。
衆議院議員を6期務めた。

菅直人政権において、財務副大臣を務め、また、内閣改造に伴いスライド人事で経産副大臣を務めた。

そして、池田氏は経産副大臣の立場で東日本大震災を迎えた
今回は、彼が残した言葉に焦点を当て、菅直人元総理の福島原発対応を振り返ってみたい。


産経新聞記者・阿比留瑠比氏のXポストから引用

補足:阿比留氏ポスト中にある「プロメテウスの罠」について

朝日新聞は、東日本大震災発災から約半年後の2011年10月3日から、

 「プロメテウスの罠」

のタイトルで福島第一原子力発電所事故、及び原発そのものをテーマとした連載を始めた。

この連載では、東京電力を悪し様に描き、
 「現場を放棄し逃げようとする東電に対し、それを食い止めた菅直人総理大臣」
との構図を読者に与える内容が含まれていた。

あくまで、そう受け取る読者が出そうな内容であるだけで、直接的にそう書いてない所が嫌らしい。
この部分について、正確性への疑義や、他の証言者との食い違いを指摘しようとしても、
 「いえ、そもそも当該記事には、おっしゃるような批判に該当する箇所は在りません。我々はそのようには書いていません」
と言い逃れが可能になってしまう。

文字媒体のメディアが時々やるのだが、自分達にとって望ましい方向に向かって読者の印象を誘導しながら、本文には言質を取られる表現を決して使わないのだ。
そして、印象に関してはあくまで受け手の問題であって、我々は「虚偽情報」を拡散している訳では無いとの態度を取る。

読者に仇なす行為であり、公器としての役割を放棄したも同然だ。
だが、恥知らずにも自分達の政治信条に合致する方向へと世論を誘導する為、また、騒動を大きくする事で売り上げ増を狙う為、このような手法は度々取られるのだ。

メディアリテラシーを身に付ける上で、絶対知るべきマスコミの正体がここにある。

「プロメテウスの罠」に話を戻すと、

 「東電が福一から完全撤退しようとした」

とのストーリーに拘泥し、朝日新聞は記事を書き続けた。
事故調査委員会にしても、東電自身の調査でも、「東電の全面撤退」は官邸側の誤認だと認定されている。
(但し、その誤認は当時の清水社長が官邸の意向を伺う姿勢を取り続け、曖昧な連絡を行った事が背景に指摘されてはいる)

朝日新聞はこれらの調査結果に納得しなかったようで、この後も「撤退」を糾弾し続けた。
そうした中で、朝日新聞は「吉田調書」(当時の福島第一原発所長、吉田氏証言を纏めた調書)を入手し、

 「平成23年3月15日朝に福島第1原発にいた所員の9割に当たる約650人が吉田昌郎所長の待機命令に違反し、第2原発へ撤退した」

とのスクープ報道を行う。
その時点で、公表されていなかった「吉田調書」のスクープ記事は大きな関心を集め、政治的にも、更には国際的にも重大な関心事となった。

福島第一原発事故発生後も現場に残り続け、それ以上の悲劇を食い止めた約50人の作業員に対し、「フクシマ50(フィフティーズ)」と外国メディアが名付けるなど、福一で危機対応に当たった職員たちを評価する声が圧倒的だった。

朝日新聞のスクープ報道は、この評価をひっくり返すインパクトがあったのだ。

吉田氏は

 「国会事故調が内部で調査のために用いる限りにおいて承諾するものであり、本件資料が、国会事故調から第三者に向けて公表されることは望みません。」(平成24年5月29日付け上申書より引用)

との意向を残しており、また2013年に食道癌により死去していた事から、通常ならば公表される予定は無かった。

これが朝日新聞のスクープ報道で局面が大きく変わったのだ。

朝日新聞のスクープ報道を受け、吉田所長へ取材して聞いた内容と異なるとして門田隆将氏が週刊ポストに記事を掲載。
すると、朝日新聞は大いに反発し、法的措置を検討すると通告。

他の報道機関も非公式に吉田調書を入手し、朝日新聞報道とは根本的に内容が異なるとの報道が相次ぐ。
更に、「吉田調書」の公表を求め、訴訟が提起されてしまう。

日本政府はそれまでの姿勢を一転し、2014年9月11日、吉田調書を含む「政府事故調査委員会ヒアリング記録」の公表を決定する。

そして、その当日夜、朝日新聞木村伊量社長杉浦信之取締役編集担当(いずれも当時)らによる記者会見を開き、記事を取り消したうえで謝罪し、11月14日には朝日新聞の慰安婦報道問題での30年以上に渡る捏造報道や誤報報道も併せ含め責任を取る形で辞任を表明した。

つまり、朝日新聞の連載記事「プロメテウスの罠」は、

 「東電と言う無責任体質の巨悪」との結論ありきでストーリーを作り上げ、それが「吉田調書」の内容歪曲による捏造スクープ報道を生み出した切っ掛け

なのだ。
原発事故以降、暮らしが一転し、どう暮らしていくかで悩む人々の姿を追った記事にはそれなりの意味があったかも知れない。
だが、原発事故に至った経緯、官邸と東電の関係性など事件報道としての価値は、記者やデスクなど朝日新聞社内に存在するであろう認知バイアスの為に、殆ど失われたものと言うしかない。

(朝日新聞内部の認知バイアスがどのようなモノだったかの検証には役立つかも知れない。
ただ、それにどれだけの意味があるのか、「朝日新聞は反原発に降り切れている」以上の有意義な分析が出て来るのか、正直私には分からない。)

池田元久氏の残したメモランダム

池田元久氏は東日本大震災発災当日、原子力災害現地対策本部長に任命された。

その池田氏が2011年12月19日に、

 福島原子力発電所事故
 3月11日~15日/2011年
 メモランダム(覚え書)

を自身のHPで公開した。

https://archive.md/ZLC94

死去にともない、HPが何時まで閲覧可能なのか分からないので、念の為に上掲公式ウェブサイトの魚拓も付す。

まだ、見た事が無い方には是非とも一度目を通して頂きたい。

東日本大震災、福島第一原発事故に際し、菅直人総理大臣の言動を間近で見聞きした人物、しかも原子力災害現地対策本部長による貴重な証言だ。

率直な感想を隠さず載せた当時のメモからは、記者による調査記事では消えてしまいがちな生身の人間の思いがもろに伝わって来る。
そして、場当たり的な対応を次から次に行ってしまった菅内閣において、池田氏のようにどうにかその流れを食い止めようと努力する人物がいなかったならば、更に酷い状況もあり得たのではないかと薄ら寒くなって来る。

メモランダム一部抜粋 3月12日午前4時

午前4時過ぎ、菅総理大臣が福島第一原発を視察するとの連絡が入った。未だかつてない原発事故の現場を見たいという気持ちは分かる。

しかし、今回の大震災は原発だけではない。稀に見る大津波、地震であり、テレビ画面が繰り返し伝えるように、家、建物、船が流され、そこに居た人々の安否が気遣われる状況だ。こうした災害では、人々の生存の可能性が高い初動の72時間が、決定的に重要だ。

指揮官は本部に留まって、人命の救出に全力を挙げ、同時に通信手段の整っている本部で原発事故の対応にあたるべきだ。

また、どうしても現地視察に来るのであれば、重責を担っている本部長(総理)に万が一のことがあってはならないので、視察先は第一原発ではなくオフサイトセンターにすべきだと考えた。

このような考えを黒木審議官に東京へ伝えるように言った。(しかし後で聴くと、現地対策本部長(※池田元久氏自身の事)の見解は保安院止まりで、総理には届かなかったようだ。

※注釈は時間泥棒による

上掲池田元久公式ウェブサイトより引用


ここだけで、非常に冷静に物事を俯瞰出来る人物だと分かる。
事の軽重を見定め、何が必要で、何が必要でないか、的確に判断している。

そして、このような至極真っ当な判断が、上にまで上がらず、総理の場当たり的対応が実行されてしまった事が、何処までも悲しく、何処までも虚しい。

メモランダム一部抜粋 3月12日午前7時10分過ぎ

午前7時10分過ぎ、福島第一原発のグラウンドで黒木審議官、内堀副知事、武藤栄東電副社長とともに菅総理を出迎えた。一行はそばに待機していたバスに乗り込んだ。前から2番目窓側に総理、その隣に武藤副社長、後ろの座席に斑目春樹原子力安全委員会委員長に座ってもらい、通路を挟んだ反対側に現地対策本部長が座った。総理は武藤副社長と話し始めたが、初めから詰問調であった。「何故ベントをやらないのか」という趣旨だったと思う。怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばに居ても良く分からなかった。

免震重要棟に玄関から入った。交代勤務明けの作業員が大勢居た。

「何の為に俺がここに来たと思っているのか」と総理の怒声が聞こえた。これはまずい。一般の作業員の前で言うとは。

上掲池田元久公式ウェブサイトより引用

菅直人氏は、その気の短さでも知られる。
いわゆる「イラ菅」だ。

冷静な判断こそが求められる局面において、感情を制御できないのはそれだけでリーダーの資質を欠いている。

そして、原発対応の行政側最高責任者と言う立場にあって、わざわざ現地へ向かった上に、現場の士気が下がるよりない発言を怒りに任せて放ってしまう。
本当に致命的だ。

2階の会議室で菅総理は武藤副社長、吉田昌郎第一原発所長から、事故の状況説明を聴き、特に第一原発のベントの実施を強く求めた吉田所長は総理の厳しい問い詰めに、「決死隊をつくってでもやります」と答えた。

上掲池田元久公式ウェブサイトより引用

ちなみにNetflixで公開されている”THE DAYS”のワンシーンがYouTubeでも視聴可能になっているが、この時のやり取りを再現したシーンだ。

ドラマ的な対比が演出としてある事は差っ引かなければならないが、吉田氏や東電側から出て来る情報だけでなく、菅直人氏に近い複数の人物から漏れ伝わる話でも現場で怒鳴り散らす菅総理の姿は確実に遭っただろう事から、このシーンもほぼ実際のやり取りをトレースしたものであろう。

やりとりの合間に、黒木審議官は、第二原発にも原子力緊急事態宣言を発令することと、3km圏内の住民に対して避難の指示をすることについて総理の決裁をとった。

また、総理は、県副知事に対して、住民へのヨウ素剤配布などについて質問した。東電側にだけでなく、副知事や斑目委員長に対しても総理の口調は厳しかった。

総理は会議室を出てから、現地対策本部長(※池田元久氏自身の事)の背中に手を置き「頑張って」と激励した。しかし、総理の態度、振舞いを見て、同行した旧知の寺田学補佐官に「総理を落ち着かせてくれ」と言わざるを得なかった。また、政権の一員として、同席した関係者に「不快な思いをさせた」と釈明した。

※注釈は時間泥棒による

上掲池田元久公式ウェブサイトより引用

池田氏が政権の一員としてどれだけ歯痒かったか、どれだけ居たたまれない気持ちにさせられたかが良く伝わって来る。
この環境にあって、自分にだけねぎらいの言葉を掛けられるのは、寧ろ有難くないだろう。

各自、それぞれがその責任を背負って事に当たっている。
その範疇において、足りない所を指摘され、叱咤される事は皆覚悟しているだろう。
だが、冷静さを欠いた責任者から恫喝まがいの怒声を浴びせられ、心中穏やかでいられる人などいない。

一番心を向けるべきは、如何にしてこの最大の危機を脱するか、それだけのはずだ。
現場から時間を奪い、精神的猶予を奪い、士気を大いに下げるだけの総理大臣による危機的現場訪問は、やはりやるべきでは無かったのだ。
時の総理が冷静さを失った状態で来たところで、全く動じる事無く応じた吉田所長と言う人物がいなければ、現場対応はもっともっと危険な方向に流されてしまったかも知れない。

視察を終わって、総理がこの時期に現地視察をしたことと、現地で総理の態度、振舞いについて、指導者の資質を考えざるを得なかった。かつて中曽根総理が在任中、座禅を組んだことを思い出した。座禅などを組まなくても良いが、指導者は、短い時間であっても、沈思黙考することが必要だ。思いを巡らせ、大局観をもって事にあたらなければならない。そして、オーケストラの指揮者のように振舞うことが求められる。

上掲池田元久公式ウェブサイトより引用

池田氏の「指導者たるべき者」観に全面的に共感する。

ネットに残る池田元久氏への誹謗に関して

「悪夢の民主党政権」と語られ続け、特に東日本大震災での対応の酷さによって、民主党議員である事を以て、色眼鏡で見てしまう人は少なからずいるようだ。

池田氏への誹謗として、

 「子供たちを残して、自分達だけで避難した」

との主張が一部にある。
これの初出は、自民党の森雅子議員による国会質問だろう。

森まさこ委員(自民、9月28日参議院予算委員会総括質疑、TV全国中継)

「私が予算委員会(6月3日)で指摘しましたように、(中略)10キロの地点に子供たちがいたんです。(中略)現地にそのときにいたのは池田当時の副大臣ですよ。私は、池田副大臣が先に逃げたことを知っています。ここに子供たちを置き去りにして、それよりも遠くの60キロ地点まで逃げ出しました。」

池田元久公式ウェブサイトより引用
森まさこ議員への反論を前提に、池田氏は森議員発言を引用している

これへの回答の一部を引用する。

2.森委員は、6月3日の参議院予算委員会で「当時(3月12日)、(第一原発から10キロ離れた)苅野小学校に子供たち約250人を含め約700人が避難していた」と述べ、委員提出の文部科学省等の資料では、「(その日の)18:30頃、苅野小学校の避難民が津島支所へ向け移動開始」としています。

しかし、3月12日は、事故発生直後で、原子力災害対策本部では池田本部長以下間断なく事故の対応に全力を挙げていました。

従って「池田副大臣が先に逃げた。子供たちを置き去りにした。」というのは全く事実無根で、言いがかりとしか思えません。

3.また、森委員は発言の後半で「子供たちを置き去りにして、それよりも遠くの60キロ地点まで逃げ出しました」と主張しています。「遠くの60キロ地点まで」と言っていますので、この部分は3月15日午後、現地対策本部が大熊町から約60キロ離れた福島市へ移転したことを指していると思われます。そうしますと、子供たちを「置き去りにした」のは12日、「逃げた」のは15日ということになります。これは、違った時点の「出来事」をムリに結びつけており、まさにこじつけ、事実をねつ造したとしか言えません。

池田元久公式ウェブサイトより引用
森まさこ議員への反論部分から抜粋

森まさこ議員が、時系列をごっちゃにした池田氏批判を行ったのは間違いないだろう。
2011年11月15日、自民党は参院予算委員会の理事会で、森雅子参院議員の発言について「一部表現に適切でない部分があった」として議事録からの削除を申し出ている。

また、先にリンクを貼った「池田氏メモランダム」の中でも、原子力災害現地対策本部がどのような経緯で移転したのかも詳細に書かれている。

自分にとってのみ都合の良い話を公開した場合、内実を知る第三者によって暴露されるリスクは常に付きまとう。
後先考えず、他者の思惑を考慮しない、考慮出来ないタイプならその場しのぎの嘘を吐いてしまう可能性は考えなければならない。

だが、池田氏の場合、民主党内部、それも最高権力者であった菅直人氏に対する強烈な批判を公にしている事から、自己弁護の為に下手な嘘を吐いていたならば、身内である民主党議員、関係者がそれを暴く動機が十分にあるのだ。

池田氏のように冷静で論理的思考の出来る人物が、小賢しい嘘で自己弁護を図るとはちょっと思えない。

自民党として議事録削除を求めた事と合わせ、池田氏の置かれた立場を客観的に見れば、やはり森まさこ議員による疑惑提起は、実態から懸け離れた邪推とするのが自然だろう。

アベノミクス的発想を持つ政治家・池田元久氏

デフレ脱却議連発足

2010年3月30日、民主党の中で脱デフレを志向する議員が集まり、

 デフレから脱却して景気回復を図る議員連盟(デフレ脱却議連)

が発足、設立総会を開いた。
会長には松原仁議員
顧問には池田元久議員らが就任した。

デフレ脱却にもっとも効果がある金融政策を駆使し、政府・日銀が一体となったデフレ対策を実現していこうというもの。当然、民主党のマニフェストへも反映させていくべく、活発な活動を展開していくことになる。

池田元久公式ウェブサイトより引用

当時は、「日銀の独立性」に関する誤認が今より凄まじく強い時代だった。
つまり、

 「日銀に対し、政治が物申す事は許さん」

とする間違った認識が優勢だったと言う事。

その時代にあって、民主党の中にあって真正面から「金融政策によるデフレ対策」を論じていた議員は、本当に経済について熱心に勉強し、マスコミからの不当なバッシングに立ち向かう気概を持った人達だ。
アベノミクスで正式に導入され、現在も引き続き採用されている「インフレターゲット」の導入を求めていた事も重要なポイントだ。

財務副大臣就任

党内のリフレ派からの評価は高いが、当時は日銀も金融緩和に否定的な白川総裁時代であり、池田氏の財務副大臣就任は日銀から警戒されていたと言う。

デフレ脱却議員連盟・緊急シンポジウム開催

2010年8月30日、経済評論家の勝間和代氏をコーディネーターに迎え、円高是正と日銀法改正を提起する緊急シンポジウムが開催された。

翌31日には、勝間和代氏が中心となり、デフレ脱却国民会議が発足。
事務局長には経済評論家の上念司氏が就任。
呼び掛け人には勝間和代、浜田宏一、岩田規久男、田中秀臣、高橋洋一、森永卓郎、松尾匡、安達誠司、宮崎哲也、片岡剛士、飯田泰之、山崎元などなど(敬称略)、リフレ的経済論を強く支持する錚々たる顔触れ。

経済産業副大臣就任

2010年9月21日、菅直人第一次改造内閣において、スライド人事で経済産業副大臣に就任。

2011年度税制改正で法人税5%減税を実現

2011年度税制改正では、人々を苦しめている長期のデフレから抜け出すため企業などの雇用や投資を増やす目的で、法人税の引き下げが焦点となる中、池田元久経済産業副大臣は、先進各国と比べて10%程高い日本の法人税率をまず5%引き下げる必要があるとして、財務省や政府税制調査会と折衝し、同僚議員にも働きかけた。

財務省側は、財政が厳しいなか、税の特例措置の縮小や課税強化の額に見合う額だけ法人税の引き下げを行うことを主張した。

池田副大臣「減税と増税が同額では効果は打ち消しになる。企業の負担を実質的に減らし、来年以降の景気刺激=増収効果も考えるべきだ」と関係大臣、特例措置の縮小に渋る経済界首脳など幅広く粘り強く説得した。

その結果、政府税調幹部=四大臣会合では決着がつかず、最終的には、12月13日、菅総理大臣の「決断」で、法人実効税率5%の引き下げが十二年ぶりに実現した。

池田副大臣は、「所得税の方で、企業の役員には負担をお願いした。決して企業優遇ではなく、経済を活性化して人々の雇用と所得を増やすのが目的だ」と述べている

池田元久公式ウェブサイトより引用

超党派によるデフレ脱却議連発足

2011年2月23日、超党派によるデフレ脱却議連が発足した。
「日銀法改正とインフレターゲット政策」の実現を目指し、超党派の議員立法で緊急緩和によるデフレ脱却を掲げた。
民主党デフレ脱却議連からも参加し、此方でも池田元久氏は顧問に就任している。
会長は松原仁議員。
事務局長は金子洋一議員。
自民党からの参加議員の一人、山本幸三議員は自民党きってのリフレ派であり、自他共に認める「アベノミクス」仕掛け人でもある。

民主党デフレ脱却議連会長に就任

2012年2月3日、池田元久氏が民主党デフレ脱却議連会長に就任。
松原仁会長が大臣に就任する事に伴って、新たな役員人事を定めた。

デフレ脱却議連会長として日銀の積極的な対応について主張

東京新聞において、脱デフレにおける日銀の役割について自説を語っている。
当該記事は此方。

現在でも日銀に対する政治家への介入に否定的な議員、マスコミ論調は少なくない中で、早くから脱デフレへ向けたブレない政見が窺える。

まとめ

正直なところ、私は今回の訃報に接するまで、池田元久氏と言う政治家に注目した事は無かった。

菅直人政権の震災対応について視聴したり拝読した情報の中に、池田氏発の情報が含まれていた事を今回知った。
この記事中でも触れた森まさこ議員からの批判的論調についても、「民主党政権の失態」の一つとして聞いた事はあったが、詳しく掘り下げた事が無かった為、それが議事録から削除され、真実味の無い疑惑だった事を今更ながら知った。

私個人は民主党政権について、全くと言って良い程、評価していないが、かと言って民主党所属議員に対しては是々非々の姿勢でありたいと考えている。

菅直人総理が、余りに小さな震災対策の一次補正予算だけで国会閉会を示唆した時、民主党内からも菅総理を見限る声が上がり、菅降ろしが与野党合作で進んだ事を私は忘れない。
東日本大震災において、真に被災地に心を寄せ続けた議員は政党問わずいた事、特に自分が所属する民主党に苦言を呈した議員がいた事はきちんと記憶しておくべきだと考える。

池田氏は正にそのような議員だった。

経済政策についても、非常に先見の明がある人物で、議員としての活動、その発言を軽く浚って見ても、脱デフレを本気で志向していた事が良く分かった。

NHKから社会党出身との経歴だと、普通はマルクス経済学、マルクス史観に冒されていてもおかしくないだけに、その中にあって脱デフレに行き着いた池田氏は世界経済にもアンテナを張り、現実主義に立脚した政治を語れる人物だったのだろうと推察する。

私のこの記事で、池田元久と言う議員がいた事、東日本大震災において政権内部で奮闘した事実を知る人が、一人でも増えて欲しいと心から願う。

改めて、心からご冥福をお祈り申し上げます。

<了>

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