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「未来は過去を救う」という言葉について

少し前に読んだ本に「未来は過去を変えることがある。未来が過去を救うことだってあるんだ」と書いてあった。

これを読んだとき、ああそういう表現でこの感覚が言葉にできるんだ、とすとんと落ちる感覚があった。

そのときに考えていたのは羽海野チカさんの『3月のライオン』のこと。

いじめに遭ったひなちゃんという女の子が「わたしは悪くないから絶対に負けない」と主人公の零くんに宣言したシーン。零くんも子どものころにいじめられていたことがあり、だけどそれは考えないように、存在しないように押し殺してきた過去だった。それを、悪くないのなら屈しなくていいと涙まじりに、だけど力強く宣言してくれたひなちゃんに、幼き頃の零くんが救われたのだ。未来からやってきたひなちゃんに、過去の零くんがまさに救われたシリーズ屈指の名シーンだった。

そのあと少しして辻村深月さんの『かがみの孤城』という本を読んだ。

これは、クラスメイトのいざこざに巻き込まれて理不尽ないじめに遭うことがきっかけで学校に行けなくなった中学生が主人公だ。主人公もほんとうは学校へ行きたいと思う。だけど、行けない。なんとかしようとしてくれる母親へもほんとうのことを話せない。でも、打ち明けられたその瞬間、母親が確かな味方になったのだ。

それを読んだときにわたしまでまるごと救われたような気がした。主人公のようないじめに遭っていたわけではなくても、友達と喧嘩したり、あとは理由なんてなんにもなくても学校に行きたくないなあと考えたことは一度や2度じゃない(し、実際にさぼったことだってある)。

行かない理由なんていちいち母親に話すわけない。ただ黙って休む。ちょっと嘘もつく。幸いわたしのサボりたい病は一回につき一週間くらいで治るから、もしかしたら母親は気を揉むことすらしてなかったかもしれないけど、それでも「悪いなあ」「これはサボりではなかろうか」と罪悪感を感じていたのは確かだった。

それを話したあとに力強い味方になってくれた主人公の母親の姿を読んで、もしかしたらわたしの母親もこんな風に思って、こんな風に信じてくれていたのかもしれない。『かがみの孤城』が、あの頃のわたしを救ってくれたような気がした。

たいしたことないのにね、と大人になった今なら言えるけど、もし、あの頃に出合っていたら、きっともっともっと救いになっていたと思う。

物語は救いになる。それは、救いになる瞬間を見ることもあるし、自分自身が救われることだってある。

思い返せばこれまでだってそんな瞬間は何度かあった。でも「未来は過去を救う」という言葉を知ったあったことで、その瞬間のことがぴたりとかたちになったような気がする。

これからだって何度もそんな瞬間をむかえて、おばあちゃんになったときは救われたきらきらした過去でいっぱいにしたい。

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