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【読書】大さじ1の味を知り、強火で2分の色を知る

■有元葉子『レシピを見ないで作れるようになりましょう。』

 レシピに頼っていると、鍋の中を見ることをせず、グラムとか何分とか、書かれている数字の通りに作ることになり、自分の感覚で作ることをしなくなってしまう。しかも、グラムや時間を測って作ることは、人間にとって楽しい作業ではないのです。
 素材の状態や鍋の中を自分の目で見て、五感で感じながら料理を作ることに慣れると、料理が確実に自分のものになっていきます。そうなれば食事作りは「ねばならぬ」ものから、「やりたい」ことになっていきます。

P.3

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料理の特訓を始めたのは、まさにこの本のタイトルにあるように「レシピを見ないで作れるように」なりたかったから。以下に少し、前置きを。


私が思う料理の“めんどくささ”のナンバーワンは「メニューを考えること」だ。これは多くの人に共感してもらえるのではないだろうか。中には、夫婦の家事分担において「メニューを考えること」を夫の役割としている人もいるらしい。

そして「メニューを考えること」のめんどくささを突き詰めてみると、ハードルとなっているのは「レシピを探して、レシピを見ながら作ること」ではないかと思う。つまり、自分の脳内で完結する(=丸暗記している)料理のレパートリーが少なく、作る工程や材料のイメージが沸きづらいせいで、メニューが思い浮かばない。だからいっそのこと誰か指定しておくれ──となる。

そこで私は、メインの料理を30種類、暗記しようと決めた。一ヶ月間毎日違う料理が食べられれば充分だろう、というわけだ。

しかしこの丸暗記作戦、なかなか大変である。何度作っても覚えられないのだ。あれ、しょうゆが大さじ1で酒が大さじ2だっけ?逆だっけ?それとも塩だっけ?みりんと砂糖どっちだっけ?……同じ料理を繰り返し繰り返し作っても、なかなか暗記できない。

そこで気づいた。「理屈がわからないから暗記できないんだ!」と。料理に限った話ではない。「どうしてこの時間?」「どうして大さじ1なの?」の「どうして」がわからない暗記は、いずれ頭から抜け落ちるに決まっている。


前置きが長くなってしまったが、この本を手に取ったのは、かようなレシピ丸暗記作戦を一歩前に進めたかったからだ。

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さて読んでみるとこの本、まさに私が求めていた内容だった。指南本とエッセイとレシピを足して3で割ったような内容で、いわゆるレシピ本のような「酒 大さじ1、醤油 大さじ……」という羅列はなく、全てが文章で書かれている。

例として「ねぎと卵の炒め物」の作り方を、加熱部分のみ引用してみよう。

 フライパン(あれば中華鍋のほうが“油たまり”ができるので上手に作れます)を高温にから焼きします。本当に煙がモウモウと上がるぐらいまで熱くしたら、油を多めに入れます。
 卵を一気に入れます。そして、すぐには触らない。ここが重要。触らないで見ていると、鍋の周囲から卵がフワーッと持ち上がってくる。そうなったらヘラで静かに2〜3回返して、ゆるい半熟状態に炒めて取り出します。
 空いたフライパンに油を足して、ねぎの白い部分を入れます。すぐにかき混ぜないで、焼きつけるようにし、箸で転がして焼き色がついてきたら青い部分も加えます。そのまま焼いて、ねぎが香ばしくなったら、しょうゆを鍋肌からジュッと加えます。そこへ先の卵を戻し入れて、ざっくりと混ぜる。なんとなく卵がねぎにからまればできあがり。すぐに器に盛りましょう。

P.30

太字部分を抜き出してみる。
「煙がモウモウと上がるぐらい」
「油を多め」
「卵がフワーッと持ち上がってくる」
「焼き色がついてきたら」
「香ばしくなったら」
「鍋肌からジュッと」
「なんとなく卵がねぎにからまれば」
……これらの説明に特徴的なのは、数字がほとんど登場しないこと、そして、五感をフル活用する必要があるということだ。

冒頭の引用に書いてあったように「素材の状態や鍋の中を自分の目で見て、五感で感じながら料理を作ることに慣れる」訓練、というわけだ。

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一般的に、検索して出てくるレシピには必ずと言っていいほど「大さじ1」「強火で2分」などという数字が並ぶ。それが当たり前すぎて、料理と数字は切り離せないと考えていた(というか、考えてすらいなかった)。

しかし、そもそも、数字とはなんだろうか?

数字は、誰でもどんな状況でも同じ量を計測できるようにと作られた記号だ。言うまでもなく、料理における数字は美味しい食事を実現するためのツールである。「しょっぱさ」「甘さ」「焼き色」「硬さ」といった指標がいずれも感覚的であり数値化しづらいので、代わりに「大さじX」「強火でY分」という数字で、料理のテクニックを伝える。それがレシピの成り立ちだ。

ここで、私たちが感じる「美味しさ」は紛れもなく感覚であり、しかも味覚、視覚、嗅覚、聴覚、時に触覚という五感すべてをフル回転させて感じられるものだ──ということを思い出す。考えてみれば食事というのは、生きる中で五感を最も使う営みと言えるだろう。

だから「美味しさ」を目指すのなら、仮に与えられた数字ではなく、もともとの感覚を直接使うべきだ。という説は理にかなっている。

・・・

もう一点。一般的なレシピで数字が使われるのは、定量的な伝達が可能だから……だった。逆に言えば、この本に書かれているような曖昧な言葉づかいは誤差を生みやすい。読み手は「『香ばしくなったら』って言われても、どのくらいかわかんないよ」と悩む。

有元さんはそのことも理解している。この本は「一度読んですぐ作れる」ことを目指して書かれてはいない。「何度も失敗して、自分のものにする」ために、あえて曖昧な書き方が多用されている。

 失敗をおそれずに。失敗は成功のもと。「それなりにおいしいね」と思えればいいぐらいの気持ちでトライすべし、です。

P.4

──レシピを見てその通りに作ったのに、勘所がわからず、なぜかうまくいかない。あるいは、レシピ通りに作れたけれど、次回またレシピを全部見返さないと思い出せない──そういう経験をすることが、私は多かった。

数字は便利だ。でも思考を停止させるという欠点をもつ。考えたり感じたりせずに作る料理は、自分の骨肉になりづらい。

最初はうまくいかなくても、手で触り、音を聞き、色を見て、匂いを嗅ぎ、味を試す、そういう料理には手応えがある。なかなか毎日そんな悠長なことは言ってられないけれど、できるだけ時間をみつけてやっていきたいなと思う。

料理は、スポーツや音楽と同じく、身体に直接刻み込むべきものなのかもしれない。あるいは、筋トレみたいなものかもしれない。

まずはレパートリー30種を目指し、五感を働かせて頑張ります。



編集後記

私は子どもの頃から、お菓子づくりが大好きでした。普通の料理よりもお菓子づくりのほうが好きで、バレンタインは当然手作りでしょ!と毎年ワクワクしていたタイプ。

お菓子のレシピには、普通の料理よりも細かい数字が使われます。例えば膨らみが重要なスポンジケーキなど、1グラム単位で量を計測することも。ざっくりしたレシピもあるにはありますが、20歳前後の頃の私は「より美味しいものを作りたい!」と意気込んでいたので、小島ルミさんという方の細かめなレシピに行きつきました。かなり細かく指定されるけど、その分上手に作れます。

素人ながらに、お菓子づくりは化学だな、と感じます。私がハマったのはその「ものづくり」感だったかもしれません。自慢じゃないけれど感覚が鋭いほうではないので、五感をフル活用させる料理よりも、キチキチと数字で示されたお菓子づくりのほうが性に合っていました。

しかしながら今は、もう面倒で、お菓子づくりは全くやらなくなってしまいました。すっかり錆びそうなケーキ型たちを尻目に、毎日の料理で手一杯。またいつかハマる日が来るだろうと思うと、捨てられずにいます。


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