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ご縁の意味 学びに気づく事③~心の奥の見えない気持ち~




介護の不安に対して心持ちを整えた後も、義父母と会った後、なぜかまた腹痛になったり気持ちのモヤモヤを感じました。
心身に無理をしていない範囲なのに、会い関わると、何かに苦手意識があり、私の内側が反応して、私の心身に症状が現れる。...何なんだろうと思い向き合いました。
何が苦手なのか、何が嫌なのか。
そしてそれは、なぜ嫌なのか。心がモヤモヤするのはなぜだろうと自分の内側に問いかけて感じました。


私が苦手に感じていたのは義父の言動でした。
義父は普段は優しい人でしたが、時々、特にお酒が入ると、義母に対して邪険で横柄な言動になりました。
私は、その義父の義母に対する言い方や空気感に、(飲酒の有無は違いましたが)自分の父親と私自身を重ね見てしまい、その為に自分の内側が反応するんだと気づきました。
同居して近い距離感で居た時には、その事には気づきませんでした。当時は我慢してひと時やり過ごし、なぜ嫌だと感じるのか、その理由を深く考えたり掘り下げる事はせず、気づいていませんでした。
義父母と離れて一定の距離を作り、心の事と向き合って、今になって気づいた事でした。


義父母は、結婚当初仲が良かったものの、その後、義父の飲酒量が増える事と義母が友人と出掛ける事が比例して増えたそうです。義父はいつも同じ愚痴を言っていました。
入院当日も私に義母の愚痴を言ってきた為、こんな時にまで言わなくてもと思い、思わず言い返しそうになったのを堪えました。
義父は自分の連れ合い(妻)なのに義母を見下したような言い方をするので、私は聞くと義父の言動に苛立ち、抵抗感、拒絶感を感じました。
そう感じながらも、嫁の立場上、義父に反論しにくく、いつも何も言えないままその場をやり過ごす私は、私自身にモヤモヤしていました。その心のモヤモヤを帰宅後も引きずっていました。
私からは何も言ってはいけないだろうか...、必要時、違う事は違うと、言ってもいいのでは?と思いました。
次にまた同じ事があった時、言ってしまいそうに思い、言い方は慎重に適切にと、義父にどう言おうか、どんなふうに伝えようか、自然な流れで真剣に考えてしまいました。
私にとって大事な事に思えました。


義父の言う事を否定せずに聞きながら、自分の言いたい事を伝える事や、その伝え方を考える事...そう考えて、これは少し前に、実の両親に対しても考えた事だ ...と思いました。
私、同じ事を考えている... 、共通してる...と思いました。

思考が飛躍したかもしれません。
もしかして、義父母達は、今、再度私にこの事を考えさせる為に、1度関係性は離れたのに、また目の前に現れてくれた人達なのかもしれない、そんなふうに思いました。
義父への言い方を考えた事は、私はいつも話す事がうまく(適切に)出来ないという意識があって、その為にいつも同じ所(言い方伝え方を考える事)で同じように悩み考えると思えばその通りでした。
ただ、こんなに短期間内に共通している事を考える、考えさせられるなんて、私が別の何かに気づく事が必要なのかもしれない、とも思いました。
そう考えて、... ... あ... ...、と。
実家の父親の姿が思い浮かびました。
私の父親は愛情表現は歪んでいましたが、心の奥には親としての愛情がありました。
実の父親と義父とが重なりました。
私は、義父の表面的な言動だけを見ていた、と思いました。
義父も、心の奥に見えない気持ちがずっと隠れていたのでは?  そう思いました。


そうか、そうなんだ、義父は、夫としての愛情が心の奥にあるのに、それを素直にそのまま表現せずに、義母に対してああいう言動しか出来ない。本音は隠され、義父も、歪んだ愛情表現なんだ、と思いました。


義父は、義母が好きで、でも、いつからか(義母は自分の友人優先で)自分を1番に優先して大切にしてもらえなかった事、これがショックで、悲しく寂しかったんじゃないか...。義父にはこの時の未完了の気持ちがあるのでは?と思いました。
同居をしていた頃、義父母と私の距離感が近い時、義父は小柄で可愛く明るい性格の義母がタイプで結婚したと話した事がありました。
義父にとってその後の夫婦間のすれ違いはきっと寂しく悲しく、期待は失望になり、心に傷を負ったかもしれない。
義父は不器用さもあり、プライドもあり、素直に気持ちを表現出来ずに、怒りだけを表して、喧嘩の繰り返しになった。本当の気持ちは表現されず、義母には汲み取られず、理解されず、義父の本心は未完了のままになり、邪険で横柄な言動になって現れた。
心の奥に、本当は満たされない愛情を願う恋い慕う気持ちがあったのではないか...。
義母に対して、自分を1番大切にしてほしいと、愛してほしいと、気持ちをわかってほしいと、そういう本心があったのではないかな...と。たぶん義父本人は、その気持ちは無自覚だったのかもしれないけれど...と思いました。あくまでも私の推測でしたが...

私は、実の両親、義理の両親、双方から同じ事を教えられていたんだ、と思いました。
人の心の奥にある、目に見えない愛情。隠されている、表面的には表現されない、心の奥の気持ちがあるんだよと。それに気づくように、という事を教えられた気がしました。
実の両親、義父母、4人はその大切な事を私に教えてくれていたんだ、と思えてしまい、そう思ってしまったら、急に4人に感謝の気持ちが湧いて涙が込み上げました。
瞬間的に脳内でぐるぐると、
めちゃくちゃにこじつけているだろうか?...
私は脳内お花畑なのだろうか?と思いました。
でもこの捉え方が思い浮かんだ瞬間、私は  はっ として、同時に脳内ぐるぐるしながらも、迷う間はなく、ストンと腑に落ちてしまいました。

同居の頃の耳にしたくなかった言葉や、辛かった事等を思い出しました。義母の言葉のキツさや、義父の愚痴や、私の受け取り方の癖があった事も頭をよぎりました。色々な事がありました。離れてから後、2人と会う事が怖く会えない時期もありました。
でも、それら諸々を消し去る程の大きな感謝の気持ちがこの時湧きました。
この人達(義父母)は、いろんな関わりから実の両親と共に、私に大切な事を教える為に出会ってくれたご縁の人達だったんだ。もう感謝しかないじゃないか...そう思いました。
頭でわかって感謝していた状態から、腑に落ちてわかっての感謝になったと思いました。



④に続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。





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