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働くことで不幸になる人をゼロにする

ヨコシマ珈琲のnoteアカウントを作ってみたのはいいけれど、何を書けばよいのかわからなかったので、自分がやりたいことを書いてみることにした。

タイトルに書いた「働くことで不幸になる人をゼロにしたい」というのは、私が自分のキャリアを通じて取り組みたいと常々思っていることだ。
といっても、正直なところ、全くと言ってよいほど行動に移せていないし、具体的なビジョンを描けているとは言いがたい。

だけど、人の働き方に対して強い関心は持っているし、新卒で入社した今の会社では人事という働き方に1番ダイレクトに関わる仕事をやらせてもらっている。

人の働き方に対して強い興味を持ったきっかけは、自分の家族だった。

私は東京に生まれ、共働きのサラリーマン家庭で育った。父はマスコミ系の会社勤務。母は大手企業の総合職としてフルタイムで働いていた。
私が子ども時代を過ごした90年代末から2000年代前半頃は「働き方改革」などという言葉はなく、モーレツサラリーマンとして会社にフルコミットしていくことが当たり前の時代だった。私の両親も例外ではなく、いつも母の帰宅は日付が変わる直前、父に至っては終電を逃してタクシー帰り…どころか始発に乗って帰ってくる状態だった。

両親がいない平日の夜はベビーシッターの方が面倒を見てくれたが、それでも23時前には帰ってしまうので、それから先の時間は子ども1人で心細い夜を過ごしたことを覚えている。

私が中学生になっても、両親の激務は相変わらずだった。しかしながら、中学2年生の冬、これまでの激務が祟ったのか、父が脳卒中で倒れた。症状は非常に重く、一時は危篤状態に陥った。「もって1週間」というのが、医者の診断だった。幸いにも父は一命を取り留めたが、40代にして車椅子生活となった。そして、10年以上経った現在もリハビリを続けている。

会社からいつまでも帰ってこない両親を心細い気持ちで待ち続けた記憶。ベッドの上に横たわる父の心電図の数値を追いかけながら「このままずっと目覚めないのかもしれない」と途方に暮れた記憶。

子どもの頃の悲しい記憶は、大人になってからも時々フラッシュバックして心に暗い影を落とす。その度に、両親が激務ではなければこんな思いをしなくても済んだのではないかと考えてしまう。

激務の結果として不幸になるのは、倒れた本人だけではない。家族や周囲の人間みんなが不幸になってしまうのを自分の身をもって痛感した。
働き方改革やダイバーシティという言葉が叫ばれ、多様な個人の働き方について語られる今の時代は、私が子どもの頃よりも圧倒的に働きやすいのかもしれない。

しかしながら、それでもブラック企業や過労死という話は多くの人にとって他人事ではないし、働くことで不幸になる人間がたくさんいるのは今も変わっていない。

子どもの頃の私のような思いをしている人がたくさんいるのだとすれば、何とかして彼らを幸せにしてあげたいと思う。

過去を変えることはできないからこそ、不幸な働き方をしている人を1人でも減らすために未来の世の中に向けて働きかけを行っていきたい。

そうすることで過去の自分もきっと救われるはずだ。

#ビジネス #エッセイ #働き方 #働き方改革 #キャリア #仕事 #人事 #残業 #家族

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