なぜ高級ブランドのロゴは似たように変化したのか
個人的には、YSLのロゴとか結構好きかな。
大文字なんだけど小文字っぽく、太すぎず細すぎず絶妙なバランス、一種の模様のようにも見える滑らかな連結、上品かつコンパクトにまとまっている感じが美しい。
ただ、サンローランをはじめとして、多くのハイブランドが自社のロゴをサンセリフ体ベースのロゴに変わっていってしまった。
サンローランが言うには、
という感じらしい。
デジタルに付随するハイブランド
現在我々はデジタル中心の時代にあり、高級ブランドも時代に付随していきたというのが、高級ブランドがこぞってロゴを変えていった答えの一つだろう。
そう、スマホで読みやすいロゴにしたということ。
旧ロゴの時代の消費者が情報を得る手段としては「紙」が主流だった。紙面で見るタイポグラフィーとしては、「セリフ体」と呼ばれるものが視認性が高く、ロゴが伝わりやすかったので多く使われていたと考えられる。
もはやどの高級ブランドのロゴが同じように見える。基本的にはセリフのないシンプルな黒い文字での仕上がりになっている。この均質性は、最終的には独創的ではなくなり、それによってカリスマ性、信憑性、創造性が低下してしまうように感じる。 それほど記憶に残るものじゃないんだよね。
そもそも高級ブランドの商品は、一般的なモノの値段よりも数倍、数十倍はするわけだ。Burberryのようなブランドならば、歴史が100年以上も続いており、歴史や伝統、文化というものが付加価値となり、人々を魅了している。おれも魅了……されてるのか?
銀座などにある高級ブランド店の入り口には、お客さんがいてもいなくても常にドアマンが立っている。効率性を重要視するおれのような人間からしてみれば、「暇そうだな、いる必要なくね」とか思ってしまいがちだが、あえて店の前にスーツを着たドアマンがいることによって、「高級なブランド」という世界感を表現している。入るとき、ちょっと緊張するよね。
同様に、ロゴはブランドの顔。
それを変更するというのは、会社の世界観やイメージを大きく変えることになり、簡単にできるような話ではないはず。
マーケティングは常に変化する環境に適応する必要がある
このロゴ改革には単なるマイナス面以上のものがある。高級ブランドのロゴをさまざまな画面やプラットフォームで調整できるため、スケーラビリティの問題が解消される。それこそ、さっき言ったみたいに、スマホでみたり、PCで見たりしても互換性があって読みやすいわけよ。特に、いまはインスタやAmazon、ZOZOのようなネットで物を買うのが当たり前の文化なので、デジタル対応は必須なわけだ。より用途が広く、再現しやすくなるし、ブランドは不可欠な新しいセグメントであるZ世代に売り込むことができる。
ほとんどの若者が朝起きた瞬間と寝る前になにをしているか知ってるか? インスタを見るんだよね。そして、タイムラインに流れてきた服が欲しくなり、趣味嗜好にあった商品を自動で打ち出すアルゴリズムによって目に入ってくる広告を見てものをポチる。つまり、現代ファッション業界は、インスタなしにブランドを存続することはもはや不可能なのだ。
インスタによって顕著になった消費者行動によって、ブランドのターゲットも富裕層から、「ハイブランドに憧れを持つ若者」に変わっていった。だからこその、ブランドのデジタルシフト的なことに繋がった。
でもね、おれはあらゆるものを「SNSに寄せていく」考えは好きじゃないなあ。
ロゴをSNSに寄せるという一歩を踏み出したことで最初に批判されたブランドは、エディ・スリマンが73歳のレーベルの名前を変更したときのCELINEだった。その後、Burberryはロゴに同等の変更を加え、否定的な意見が続く。しかし、これはすぐにトレンドになっていき、BALENCIAGAとBalmain もロゴを更新した。どんどん流れができていくやん。
2012年、Yves Saint Laurentのディレクターとして、エディスリマンもブランドを変更に手を加えた。彼はプレタポルテのラインをオートクチュールから切り離した。贅沢を好む人々はそれを受け入れなかったようだ。
ブランドのリブランドは決して簡単な作業ではないはず。人々は新しいイメージを好きになるのだろうか? 人々は新しいイメージをブランドに関連付けることができるのだろうか?
マーケティングは常に変化する環境に適応する必要がある。一部のブランドは、たとえば、消費者に対応するためだけにロゴを変更し、他のブランドは、新しいビジュアルアイデンティティの紹介メッセージを送信するためだけにロゴを変更している。
ちなみに、高級ブランドに限らず、多くのグローバル企業のロゴにもこの兆候は見られている。
そのうちまた、セリフ体チックでユニークなロゴが流行るかもね。
均質は悪か
グローバルなクリエイティブ産業にとって、均質性は危険でもある。それは異なる文化が彼ら自身の独特の声で彼ら自身を表現する能力を抑制してしまうからである。一方で、それは、企業的でなく、保守的でなく、地元の遺産の独特の味を取引する意欲のある新規参入者からの可能性のある挑戦に業界を開放することにもつながる。
どっちが正しいかわからなすぎて、頭おかしくなって、首吊りたくなってきた。
リブランドで革命的なトーンを打ちたいという願望は明白だ。しかし、ファッション業界にとって、地獄は50通りに歪んだグレイかもしれない。
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