黙殺された日本経済停滞の原因、そして誰も本当のことを言わなくなった①

日本病の原因は、BIS規制に加えて厳密に定義された不良債権の比率を下げることを行政側が銀行に強要することで、貸せば貸すほどBIS自己資本を銀行が棄損してしまい、信用創造が一定以上にできないようにしている貸出総量規制が日本経済に掛けられていることです。

つまり民間企業の借金が増えない=国内投資が増えない=名目GDPが増えない(経済のパイが増えない)=給料が増えないという人工的な経済抑制策を政府自身が行っている事なのです。

※このメカニズムを理解するのは私も含めて非常に難しいです。金融は商業のメタ的位置づけで仕組みが特殊だからです。本来私のような一般国民がこんなことを考える必要はないのですが、いかんせん政府自体が国民をだましているとすると国民側で理解しなければいけない事態になっていると私は思います。

調べると、この事実を20年余りも前、極めて初期段階で指摘している経済学者の方とバンカーの方を今更ながらに見つけました。
しかしこの意見は、全く報道や議論されないどころか、社会的に黙殺され、以後人口減少や、構造改革が足りない、反緊縮、MMTなどの空を切る誤った原因ばかりがとりだたされ、いつまでたっても日本病が解決できない事態になったと私は考えます。

この2名の20年前の日本経済に対する警笛を2回にわたりご紹介したいと思います。(この意見がメジャーになり、マスコミが活発に取り上げて議論が進めばとっくの昔に日本の経済停滞は解決していたと思います!)

不良債権処理策とBIS規制 小嶋康生先生

この論文ではまず、90年代当時日本中が当時大騒ぎした銀行の不良債権について、不良債権という概念そのものが疑わしいことが論じられます。

問題の一つは「定義」次第で不良債権額が変わる。 深刻さも変わる。現に政策的に数字は操作されてきた。
<リスク管理債権> の場合見ていく-。 バブル後から1995年まで、 不良債権はく破綻先債権> とく延滞債権> のみであった。 それが96年3月からく金利減免債権> が加わった。98年3月からは 〈破綻先〉 〈延滞先〉のほか <三か月以上の延滞債>、 <貸出条件緩和償> まで拡大された。要は不良債権掘り起こしである。
(中略)
金融庁が銀行監査を厳しくすればするほど、銀行が企業内容、資産状況を点検していけばいくほど、 融資先のグレーゾーンが拡大していく。 その結 果、約定にしたがって元本・利子の支払いをしている中小零細企業が次々と「不良債権」企業の烙印を押されていく。
改めて問う。 「不良債権とは何か」。
(中略)
問われるのは拡大解釈された不良債権の、その分類ではなく中身である。中身とはなにか。
金融機関の資産内容を不良化したものにふたつの種類がある。 一つはバブル崩壊で実態释済の悪化。 とりわけ取引対象の地価・株価の反落、それらが融資先取引企業を直撃して、 利返済延滞が生じ、 貸出債権が不良化したもの。
もう一つは担保物件の下落など地価下落の二次被害による貸出債権の不良化である、 本業とは関係ないところで起こった債務者の責任範囲外の価格変動による 「被害」である。
前者は いわば、原因としての不良債権、後者は、結果としての不良債権と分類するのであろう。 それをひとくくりしてく不良債権> と捉えるところに問題がある。 この論でいけば帳簿の上で <過剰> な債務はすべて不良債権となっていく。
(中略)
問題が表面化した1998年から01年までの3年間、銀行は毎年10兆円を最終処理している。
しかし、ほぼ同額の新規の不良債権が発生した。
なぜ、新規発生が続くのか。それは上述した「結果としての不良債権」がふえ続けているからである。銀行の恣意的判断に基づく貸し渋り、貸し剥がし、そして競売転売が 「不良債権」をどんどん作り出している。「原因としての不良債権」は地価や株価が回復しないならば健全化しまいが、「結果としての不良債権」は不況が克服されれば健全化するのである。
不況下、ごり押しの処理策は不良債権の拡大再生産となっているのである。

不良債権処理策とBIS規制 小嶋康生先生

不良債権問題というものが政策主導でクリエイトされたというこの説得力のある意見自体、知っている人は小泉改革以来25年たっても日本においてほぼ皆無です。
それでは、氏は日本経済停滞の原因を何だと考えているのでしょうか?

BIS規制を仕掛けたのはアメリカである。 87年1月に米英両国より共同提案があり、初の 国際的合意を取り付けた。大蔵省・日銀ともにアメリカの意図を承知した上で異論を挟まなかった。いつもの通りである。
(中略)
標的は日本であった。 バブル期、日本の銀行の野放図の融資で、マンハッタンの中心部が買収攻勢にさらされたことから、ジャパンマネー捕縛、規制強化に乗り出したと一般には受け取られている。この点、スーザン・ストレンジ [1999] の 『マッド・マネー』にもふれられている。
(中略)
(BIS規制は)日本の銀行商法への批判もあって多分に報復的措置の色合いが強い。 当然、一方的な規制に反発する空気もあったが、ほとんど声にはならなかった。官僚が「日本国の代表」として「1988年合意」 に賛成してしまっているのであるから。
(中略)
銀行にとってBIS基準が至上命題となった。 いかにして分子の自己資本を大きくするかであるが、同時に分母の資産(銀行にとっての資産は貸出額の事)をいかに小さくするかでもあった。 いわゆる “分子対策”“分母対策" であった。
(中略)
分母の資本縮小策はどうか。 貸し渋り、 貸し剥がしが始ったのは予想された通りであった。 とりわけ中小企業が標的とされた。 背後にバブル後の厳しい不況が続いていただけにより事態は深刻となっていった。
信用収縮が拡がり、97年金融恐慌につながって いく。
その結果、なにが問題となったか。
一つは金融仲介機能の低下である。不良債権によって銀行収益が圧迫されるのが原因と の説は誤りである。原因の取り違えである。 “分母対策” がすべてであった。
二つ目は、銀行のリスクテイク能力低下である。 従来の銀行経営では自己資本比率は経営上のバッファーのひとつの指標に過ぎなかった。 銀行法、銀行行政が最大のバッファーであったからだ。
唐突な8%ルールは銀行をシュリンク(委縮)させた。 貸し渋りはその結果である。 銀行の貸出姿勢の厳格化は中小企業の前向き投資を押さえ込んだ。
『経済財政白書 01年版」でも貸し渋り で経済成長率は1%以上引き下げとなった(Motonishi and Yoshikawa 論文を引用して)ことを事実上、認めている。
(中略)
それでは銀行本来の預貸業務が低迷するとなると、それにとって代わったのは何か。 国償・地方債の購入であった。 BIS規制ではソブリン向けはリスクゼロであったからである。
(中略)
BISの次元と不良債権処理は本来、別次元であった。 しかし、返済条件を巡る町工場の親父さんと銀行支店長の交渉の枠組みを設定したのがBISである。 銀行支店長には分母縮小があたえられている。その限りいかように理詰めの説得をしたとしても町工場は不良債権企業となる。貸し剥しは合理的なものと見なされる。

不良債権処理策とBIS規制 小嶋康生先生

つまり、BIS規制こそが問題の根源で、不良債権処理がそれと一体となることで、中小を潰し、信用拡大が起こらなくなり、銀行が国債ばかり買うような体質になるという事です。これは私が言っていたことと同じです!!私はそれを再発見していたことになります。

※倒産した企業の負債総額推移

※貸しはがしによる企業負債額の総額が200兆円レベルで2000年前後から小泉政権(竹中金融相)時代に低下しているのがわかります。

財務省 法人企業統計調査 時系列データ 金融業、保険業以外の業種 金融機関借入金(流動負債+固定負債)(単位兆円)

バブル崩壊後に起こった金融危機のその根源はBISにあることがはっきりしたのでないか。
それから10年余、政治を引っ張ってきたのは「自由化・国際化」路線であるが、BIS実害は予想を超える大きなものになってきた。その「国際化」は「アメリカ化」に他ならないことも明らかになってきた。
(中略)
もともと銀行の倒産確率を減らすのがBISの目的でなかったか。
それが銀行破綻を次々、呼ぶにいたっているのである。
また、自己資本比率の一律強化は金融システム全体の安定性・安全性を計るものとされたが、日本経済は逆に混乱と不安定を巻き起こしたではないか、中小企業に決定的という打撃を与え、国運を左右する〈バーゼル合意〉、民意に問うこともなく、一握りの役人の判断でことを進める、そのようなことがまかり通っている
元を糾せば「バブル経済」も、そして「BIS押しつけ」も、政府・日銀の政策ミス、判断ミスから生じたといわざるを得ない。何一つ対抗しなかった。
「政府の犯罪」、「不作為の罪」でなかったか。
(中略)
BIS規制実施を前に「嵐に向かって窓を開くな」という投書があったことを覚えている。
大恐慌の嵐が吹き出した時期に井上準之助蔵相は金解禁に踏み切ったが、大内兵衛は「嵐に向かって窓を開くな」といって批判した。いま再び、バブル後の不況が深刻さを増している最中に、金融システムの改変することの愚を説いたものであった。
その後、BIS批判はタブーで、諸悪のもとは不良債権で、それを処理すれば日本再生といった幻想が振りまかれた。
(中略)
政府・日銀は、バブル後、銀行が「窮地」にたたされた本当の理由を隠している。
問題の本質は「不良債権」ではなく、「押しつけられた」BIS規制である。
それは昭和初期の「財界整理」と同じく「銀行整理」を、結果として強制することを目指している。
その影響は「与えられた」間接的金融体系のもとで銀行に依存してきた中小零細企業に及んでいる。破綻、廃業相次ぐ中小零細企業を構造改革の名のもとに合理化するのが小泉政治である。
バブル期の銀行犯罪を隠蔽するわけには行かないし、「政」「官」「銀」のもたらしたバブル責任の追及は徹底的であるべきである。
しかし、BIS規制に代表される外圧によって戦後蓄積された富が外資にくいちぎられていっている実情は、無視できない。
(中略)
政権党はアメリカンスタンダード一本化のための金融ビックバン、BIS規制が金融システムを揺るがし、長期不況を余儀なくされていることをわかっているはずだ。

だから、それを公的資金投入で糊塗する。
しかし、銀行は生き残るためにその皺寄せをもっぱら取引先の中小零細企業に及ぼしてきた。それにより日本産業の土台が崩れていっている。どこまで、いつまでアメリカに追随せねばならぬのか。
バーゼル・クラブからの脱退は論外としてもアメリカの国益に他の国を犠牲にさせる手法には修正意見を持って対抗するべきである。問題は対米公約を優先して国民に損失と混乱を与える政策が続いていることである。そのつけをどう始末するつもりなのか

不良債権処理策とBIS規制 小嶋康生先生

対米公約を優先して国民に損失と混乱を与える政策が続いていること

その通り、、、、今でもそうだし、より露骨になってきていません?

そして政府は経済成長の為と国民に嘘をつき続けている。これが日本の現実だという事が、ほとんどの方がわかっていないと思います。
政府はバカではありません。素晴らしい知能で対米従属しつつ、国民にそれを実施するために損害を与えているのを極めて巧妙に隠し、そしてあろうことか協力までさせているのです。

↓小嶋康生先生の怒りに満ちた労作である論文は下記のリンクから読めます。
https://www.i-repository.net/contents/osakacu/kiyo/DB00011607.pdf


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?