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村上春樹は"A Small, Good Thing"をどう訳したか

予備校に通う電車の中で『ねじまき鳥クロニクル』を読んで以来、大半の村上春樹作品を読んできたが、彼の翻訳を読んだことはなかった。

とある読書会の課題図書が『レイモンド・カーヴァー傑作選』だったこともあり、先日、村上春樹の翻訳に初めて触れることとなった。そして、とても驚いた。

それは「ささやかだけれど、役に立つこと」という短編についてだ。

内容もさることながら、深く印象に残ったのはそのタイトルである。

「ささやかだけれど、役に立つこと」

このタイトルの原題は、

"A Small,  Good Thing"

このシンプルな英語をこのような日本語に置き換えた村上春樹の翻訳に驚いたのである。どういうことだろうか。

仕事柄、翻訳の編集に携わることが多い。そして、そのとき常に念頭に置いているのは、原文にできるだけ忠実な翻訳にすることである。

私は翻訳家ではないので、大部分は翻訳家の方の尽力に寄るのだけど、第三者として翻訳を読み、原文と照らし合わせながら、そのニュアンスを訳者さんとすり合わせていく。

その作業は楽しいながらも、なかなか難しいものであり、翻訳の大変さは理解しているつもりだ。

ただし、私が担当してきたのは、ノンフィクションばかりである。著者の主張をできるだけ正確に表現し、誤解が生じないようにと意識することが多く、「意味を限定していく」という側面が強い。

一方、この村上春樹の翻訳は文学作品である。

原文を正確に訳すことは当然だが、原作の持つ雰囲気やニュアンスをどれだけイメージ豊かに表現できるかが重要だろう。「イメージを豊かに広げていく」という側面も強いのではないか。

そこで冒頭のタイトルである。

"A Small,  Good Thing"。作品の冒頭の解説の中で、村上春樹は「原題は、『小さな、良きもの』」(220)と紹介している。直訳するとそんな感じだろう。それを村上は「ささやかだけれど、役に立つこと」と訳した。ほんの少しの違いのように見えるが、読者が受け取るイメージという点でいうと、直訳と実際の訳には大きな隔たりがある。

「小さな」よりも「ささやか」とするほうが、日常をイメージさせつつ、一方で、その日常の儚さが伝わってくる。作品の内容とも親和性が高い。

それ以上に、私が驚いたのは、"Good Thing"の部分である。

"Good"という言葉は誰でも知っている基本的な語彙だ。だが、基本的であるからこそ、意味の広がりが大きく、そのニュアンスを日本語に置き換えるのは案外難しい。

それを村上春樹は「役に立つこと」と訳した。"Good"という言葉からすると、かなり意味を限定的に使っているのだ。

先ほど、「意味を限定する」ことと「イメージを広げる」ことを対比的に書いた。それは意味を広くとるほうが、読者の解釈の余地が大きくなるということを前提にしているからだ。

ところが、村上の翻訳はむしろ、「意味を限定することで、イメージを広げる」ということを成り立たせているように感じられる。

読み始める前にタイトルを見たときには特に気にならなかったが、作品を読み終わり改めて振り返ると、そのタイトルでしかあり得ないという感覚を持つ。しかも、ぴったりとはまるという以上に、作品世界のイメージをより広げてくれるタイトルなのだ。

しかし、"Good"という言葉から「役に立つ」という表現を引き出すのは、その表現のシンプルさから考える以上の想像力が必要とされるのではないだろうか。

それをさりげなくタイトルで発揮してしまうところに、村上春樹の翻訳のすごさが端的に表れているように思う。

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