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政治をより身近なものとして――宇野重規『未来をはじめる』

政治とはなんだろうか。

それは選挙のことだろうか。それとも、選挙で選ばれた代議士による様々な活動のことであろうか。

本書の著者である宇野重規さんは、サブタイトル(「人と一緒にいること」の政治学)からも分かるように、「政治」をもっと身近なものとして説明している。

本書は高校生(一部、中学生)を相手にした講義をまとめたものであり、若者に政治に関心を持ってもらうための、一種の方便なのか? と読みながら考えたが、そうではないようだ。

むしろ、宇野さんが専門としている政治思想が、政治をより身近な問題として捉えていること、それが関係しているようである。

そういうと不思議に思う人も多いだろう。

なぜなら、政治思想とは難解で、身近なものという印象が薄いからだ。

しかし、それは一面的な見方なのかもしれない。

例えば、本書の中でルソーが紹介されている。ルソーと言えば、社会契約論者の一人である。民主主義の思想的バックボーンである社会契約という言葉を、教科書で目にしたことがある人も多いだろうが、例えば、「一般意思」というキーワードにしても、難解なイメージもつきまとう。

しかし、本書の中では社会契約論の中身を深掘りするよりも、「なぜルソーは社会契約論を書いたのか、その根本的な問題意識とは何だったのか」ということが、ルソーのパーソナリティと重ね合わせて説明される。宇野さんは簡潔にこのように説明している。

でも要は、他人と一緒にいたいけれど、自分の自由は失いたくない、それを両立するにはどうしたら良いか。これこそが、ルソーが『社会契約論』の中で一生懸命考えたことなのです。みなさんにとっても、リアリティのある問いかけではないでしょうか(p.143)。

政治思想というと思弁的で難しく感じてしまうが、その根本的な部分にはとても身近な問題意識があったということなのである。

むしろ、選挙制度など、政治が高度に制度化される以前を分析の対象とすることも多い政治思想は、より生身に近い人間の政治を扱ったものと考えることもでき、宇野さんが政治を身近なものとして説明するのは、実は、当たり前のことなのかもしれない。

さらに、「制度以前の政治」ということでいうと、宇野さんの民主主義観も示唆的だ。この本の大きな流れとして、ルソー的な民主主義からプラグマティズムをベースにした民主主義への考え方の変化が描かれている。

宇野さんは具体的に以下のように述べている。

プラグマティズムのもう一人有名な思想家、ジョン・デューイは、民主主義とは一人ひとりが実験していける社会のことではないかと主張しました。ルソーが言うように、社会の共通の意志を実現するのが民主主義ではなく、むしろ各個人がそれぞれの人生をかけて、自分の思いを試してみるのです(p.246)。

この実例として、海士町の地域活性化の取り組みや、NPO法人フローレンスの活動が紹介されている。

すなわち、共通の意思決定のために存在する制度としての議会の外側で生じる、社会をよくしていくための、より生活に根差した活動も含めて、「政治」と捉えているということである。

この民主主義に対する考え方にはとても共感した。


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