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【映画感想文】青い星は遥か

 映画「BLUE GIANT」を観た。

ジャズに魅了された宮本大は、河原でサックスを吹く毎日を送っていた。高校卒業を機に上京した宮本は、同級生・玉田と訪れたライブハウスでピアニストの沢辺に出会う。3人はジャズバンドを組み、ジャズクラブ“So Blue”への出演を目指していくが……

映画ナタリーより引用

 ジャズに魅了され、ジャズを信じる人々の物語だった。主人公たち若きジャズバンドマンたちもさることながら、彼らを取り巻く大人たちが実に大人らしく大人らしくなかった。
 以下、ネタバレを含みます。映画未視聴の方、ネタバレ嫌だよぅという方はどうぞご自衛ください。



 夢を追う若者に、冷酷な現実を教えるのはいつも大人だ。
 大人は、夢は所詮夢だと知っている。子供の頃に思い描いた夢をそっくりそのまま現実にした大人が一体どれほどいるだろうか。夢は所詮夢、現実はそう甘くない、という論調が一般論になるのは仕方のないことかもしれない。
 ジャズピアニスト、沢辺雪折は自分のピアノの腕を信じていた。4歳の頃から全てをピアノに捧げんばかりに打ち込んできたのだ、自分は誰よりもうまく、自分よりも歴が短い下手くそな人間をナチュラルに見下している……と言う程苛烈な描写は無かったが、主人公の宮本大に影響されてドラムを始めた玉田俊二に「初心者は呼んでない」「今日のステージは132回ミスったな」などと、まるで姑のようにつつくあたりに本性が見て取れる。
 それを指摘したのは、沢辺雪折が憧れるライブハウス、ソーブルーの支配人、平さんだ。主人公たちの演奏を聴いた後、沢辺雪折に対してこう突きつける。

君のピアノは、つまらない。「ソーブルー」は日本一のクラブだと自負してるんだが、君、バカにしてないか?バカにしてないとしたら、なぜ本当のソロをやれてない?君は、おくびょうか?ビビり屋?ナメてる?調子に乗って、それでいいと思ってるのか?全力で自分をさらけ出す、それがソロだろ。内臓をひっくり返すくらい自分をさらけ出すのがソロだろ。君はソロができないのか?

BLUE GIANTより

 沢辺雪折のピアノは間違いなく上手い。重ねた練習は裏切らない。しかし音楽は、ジャズは、テクニックだけでこなすものではない。沢辺雪折はテクニックに優れているが、それだけだ。沢辺雪折は自分のピアノを、テクニックに優れているという点しか信じることができていない。
 対照的なのが、テナーサックス奏者の宮本大だ。彼のサックス歴は三年、沢辺雪折の歴に比べたらあまりに短い。しかし彼が信じているのはジャズだ。ジャズを信じて、身体も心臓も全部ジャズに預けて、毎日毎日技術を磨いている。
 どちらが正しいということではないのだろう。ただ平さんは、自分をさらけ出すことができていない沢辺雪折を、ソーブルーに立つには相応しくないと指摘した。

 就職活動をしていると、「お前はうちに相応しくない」という烙印を押されるシーンは頻繁にある。面接で全然うまく話せなかった企業にそう言われるならまだ理解できる部分があるものの、たまに履歴書だけでお祈りされることもある。いずれにせよ、企業がくれるのはお祈りだけだ。「うちとは縁が無かったね、まぁ他所で頑張ってね」と言われるだけで、その理由なんて教えてくれないし、高倉の非なんか指摘してくれる筈もない。企業は縁が無かった相手に対して、わざわざそんな指摘をする義理なんか無いのだ。
 相手の非を指摘するには体力が要る。他人に怒ってもらえるうちが花なのだと、誰かが言っていた。怒ってもらえるということは、それを直すチャンスを与えられるということだ。自分が何をやらかしたのか、それがどう悪いのか、言ってもらわないと分からないこともある。しかし年齢を重ねるにつれて、人はなかなか怒ってくれなくなるものだ。言わなくても分かるだろうと想定されるからか、大人を叱ったところで何も直らないと諦められてるのか、逆ギレされたら面倒だと思われているのか。

 しかし、平さんは指摘した。ソーブルーに立たせるわけにはいかない未熟で舐め腐った若者に、「今回は縁がなかったね」で終わらせず、何が駄目だったのか、どうして駄目なのか、辛辣な言葉だがきちんとぶつけた。
 平さんもまた、ジャズを信じているのだ。ジャズを信じ、ジャズが好きな若者を信じて、誠意と敬意をもって向き合っている。
 沢辺雪折は此処からスランプに突入するが、平さんの言葉を反芻し、自分のピアノと向き合い、結句内臓をさらけ出すような圧倒的な演奏を披露する。自分のピアノを信じ、そしてジャズを信じることができるようになった、沢辺雪折の成長だ。

 高倉はジャズをしたことがないが、自分の心をさらけ出す媒体を信じる彼らの物語には思うところが沢山あった。彼らにとってのジャズは、高倉にとっての活字で、文章で、言葉だ。
 高倉は、内臓をさらけ出す文章をつづっているだろうか。自分の弱いところもかっこ悪いところも全て全て、活字は受け止めてくれると信じきれているだろうか。言葉を信じ、言葉を愛し、言葉と向き合うことができているだろうか。下手でも、稚拙でも、それでもこれが世界一の文章なのだと、高倉は確信していない。平さんの台詞が、沢辺雪折の絶望が、高倉を指弾している。信じなければ。信じている。信じろ。

 内臓から込み上げるものがある。ばん、と、ジャズを信じたテナーサックスが轟く。

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