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人生の質を変える二つのファクター

物事に取り組む姿勢には、「一生懸命に取り組め」という意見と、
「自分らしくやればいいのだ」という意見があるように思います。

教育現場でもよく問題になるでしょうし、
人を評価する場面でも聞かれるものだと思います。

一般的には前者は古い意見として認識され、
後者の方が比較的最近出てきた考えではないでしょうか。

そして、両者は対立軸上にある考えだとされているように見えます。

私は、というと、これはどちらも正しいと思っています。

私の解釈では、これらは階層上になったひとつの概念で、
本来は比べるべきものではなく、
人がより充実した生き方をするための方法論を語っている。

どうでしょうか?

私は、やはり人は何かに対して一生懸命になった方が、
人生が楽しいと思います。

一生懸命を「夢中」と言い換えてもいいかも知れません。
これは、最高に楽しいはずです。

一生懸命になれるものがある、というのはとても幸せなことなんですね。
せっかくたった一度の人生を手に入れたのですから、
一生懸命に生きる喜びというものを誰もが享受すべきであって、
その権利を何人にも奪われてはいけません。

そして多くの場合、あなたからその権利を奪い去っていくのは、
あなた自身なのです。
「一生懸命」を冷笑してしまうと、
損をするのは最終的には自分なんですね。

その喜びは、人生を満喫する、ということで得られるものであって、
満喫とは、必ずしも「のんびり過ごす」というものではなくて、
頑張り抜いた先にある自分の成長を感じとることなのだと思っています。

しかし、ここが問題の核心なのですが、
人からやらされていることには、絶対に一生懸命になれない。

だから、「一生懸命やれ!」と人に命令されてやるのはまちがいだと、
私は感じています。

そういう意味で、やはり、自分らしくやらなければならないのです。

それと、「一生懸命」の在り方は人それぞれです。
だから、決して自分にとっての一生懸命のイメージを
他人に強要してはいけません。
「がんばる」のイメージと言ってもいいでしょう。

「がんばる」とは、必ずしも歯を食いしばって苦しみに耐える、
という見え方をしないものなのです。
「がんばる」とは「追求」や「探求」の姿勢のことです。

自分の一生懸命のイメージを他人に強要するときに、
それは初めて「誤ったもの」になるのだと、私は思っています。



では、「がんばる気持ち」や「やる気」というのは
すべて自分の中からフツフツと湧いてくるものなのか?
というと、残念ながら、それもちがうのです。

だから人は「師を請う」のです。

未熟な自分を、もっと厳しい環境に自ら投じる。
そのために他者の助言を活用するということですね。
環境が厳しいわけですから、
そこでは当然、くじけたり、やめたくなったりするのです。

最近の教育では、くじけたり、やめたくなることを
過度にマイナスなものとして位置付けていますが、
そんなことはまったくありません。

むしろ逆です。

くじけたり、やめたくなることは、むしろ成長のきっかけですから、
やめたくなることを人生から排除してはいけません。

やめたくなったなら、やめたくなったことを褒めてあげればいいのです。
そして気づきを与えてあげればいいのです。
「やめたくなる自分を否定する必要はないのだ」と。
そして、「今が成長のチャンスだ」という事実を。

筋肉だって鍛えられて筋繊維が壊れ、筋肉痛を修復するときに成長します。
成長のメカニズムは同じです。
だから「成長している真っ最中だな!」と褒めてあげればいい。

やめたくなることと、本当にやめてしまうことはまったく別ですからね。
そして、「どんなに好きなことでもやめたくなる」ほどの鍛錬をすると、
人はとんでもなく成長するからです。

いま、成長しているんだよ、と気づかせてあげることが、
とてもとても重要なのです。



人から言われてやるのはまちがいです。
人から努力を強要されるのも、まちがいです。

しかし、人はそんなに強くないから、自分の中からものすごい熱意や
モチベーションを産み出すことができる人は少ない。

それが現実です。

だから、やはり他者からの
「努力の(強要ではなく)要請」は意味があって、
それがきっかけとなって「熱意の持ち方」や「努力の仕方」を学んでいく、
というのが、多くの人にとっては「人間教育」として機能する。

こういうと、「努力の強要」を是としていると聞こえますか?
そうだとしたら、「努力する」ということのイメージが
ステレオタイプなのかも知れません。

「努力」とは、その形も、方法も、見え方も、人それぞれにちがうのです。

そもそも、教育の方法に、絶対値としての正解は存在しません。

その理由は、人は一人一人がそれぞれちがうからであり、
当たり前のことです。
そして、教育者もまた一人一人が異なる不完全な人間なので、
教育そのものが「完璧になる」ということは永遠にありえないのだ、
という現実を、まずは前提条件として理解すべきでしょう。

ここに異を唱えても始まりません。

その上で、人がよりよく生きるためには、
やはり自分に対する「向上心」が必要なんですね。

それは、自分という人間がいったいどんな一生を送りたいのか、という
非常にパーソナルな問いです。

そして、自分にとっての「向上」とは、何がどうなることなのか、という
具体的な変化の目標を立て、それを実現するために必要なことを考え、
実際に行動に移していく。

それが、その人にとっての「努力」だと思うんですね。

だからこそ言えるのは、本当に幸せな人とは、
「自分が努力すべきこと」を確定できている人、ということなんですね。



自分の人生を何に使うのか。

それを確定できている人ほど「強い人」はいません。
それほど「幸せな人」もいません。
また、その人は、誰よりも「ラクな人」でもあり、
「楽しんでいる人」でもあります。

人生にとって最大の苦痛は、おそらく「根源的に、迷っている」ことです。
迷いがすべて悪いのではありません。

方法論などといった物事の表層的な部分において悩んでいることは、
まったく問題ありません。

しかし、自分のもっと奥底にある基準に迷いがあると、
人はいつまでたっても気持ちを落ち着けることができないでしょう。

冒頭の「一生懸命取り組め」と「自分らしく」とは、
「自分らしく」が基準の持ち方で、
それを実行する態度が「一生懸命」なんですね。
両者はつながったひとつのオブジェクトであって、対立した概念ではない。

なので、人から強要されることなく、
全身全霊で取り組めることを見つけることが、
おそらく初期のテーマになるわけです。

それを見つけるには、考えてばかりではダメで、
実際にやってみる必要がある。
実際にやってみて、例えば人から
「もっと一生懸命やれ」と言われたときに、
「嫌だな」と思ってしまうか、
「よっしゃ!」とか「苦しくても頑張るぞ!」と思えるか。

その差は何かと言えば、
その対象が「自分ごと」になっているかどうか、です。

ここでは「もっと一生懸命やれ!」というのは
他者からの言葉のようですが、
それを発するのは実際には環境であったり、状況であったりします。
場合によっては「自分自身」であることもあるかも知れませんね。

そして、ここもまた難しいのですが、
これは「自分に向いてるものを探す」という
「自分探し」的なことではないので、物事に向き合うときは、
「とりあえず本気で頑張ってみる」姿勢が必要なんです。

なぜなら、その方が、探し当てやすいからです。
ここは判断ですね。
探し当てやすい、ラクな方法こそが
「とりあえず本気で頑張ってみる」という姿勢であって、
どんなこともイヤイヤやっていては、
その事象の良い面を発見しにくくなる。

それが現実なので、あとは判断でしょう。
遠回りしてもいいか、近道をするか。

遠回りと近道が、イメージと実際とでは逆なので注意が必要です。
そこを勘違いしてしまうと、
延々と「自分に向いてるもの探し」の旅をつづけて、
不覚にも一生を終えてしまうことにもなりかねません。



私は、誰もがものすごいことをできる力を持っていると思っています。
ここで言う「すごい」とは、他者から見たら、
まったく意味がわからない場合もありますが。

自分では想像もできなかったような力を発揮できる、という意味です。

人間は誰もが「絶対に」成長できます。それは断言します。

しかし、成長とは、常に過去の自分と比べるべきものなのであって、
他人はほぼまったく関係ないのです。

他者からの評価に関係なく、自分らしく探究をつづけるうち、
限界値が段々と高まり、さらに成長していく。成長のサイクルです。

そんなイメージなのだろうと思います。

一生懸命という「努力の度合い」は、
自分の中に人生のテーマ設定ができれば、
自動的にそうなるというだけです。

テーマ設定に必要なのは、「物事の意味に気づいていく力」であり、
「自分の人生をちゃんと自分ごと化する力」です。

もちろん、いちど設定したテーマが、
途中で根こそぎ変わってしまったっていいのだと思います。

人生はつねに学びなので、その姿勢があれば気づきのチャンスが増えて、
自分の考えが思い込みであった、ということに気づく可能性も高まる。
それを繰り返すうちに、階段を一歩一歩登るように、
死ぬ時まで成長をつづけるのではないでしょうか。

ずっと成長がつづけられる人生こそが、質の高い人生なのだと思います。

そのための「気づき」と、「自分ごと化」。

これが人生の質を変える最も大きなファクターなのだと思っています。

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