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こちらが私の地獄です

いま、私の身体では化学流産が起きている。

ちくちくした嫌な痛みから始まり、身体が震えて冷や汗が出るほどの激痛。止まらない出血。悲しさを超えてくる身体の異常。

やっと痛みが和らいできたと思ったら、襲いかかってくる絶望感。なんとも残酷な時間を過ごしている。泣いても泣いても何も変わらない。どんどん虚しくなるだけ。頭のなかが様々な感情とここ数週間の思い出で埋め尽くされる。救われない沼にものすごい勢いで沈んでいく。もがけばもがくほど溺れていく。泥まみれ。

もうひとりで抱え込めない。だからといって周りに助けを求めてもきっと逆効果。いまの私はどう励まされても歪んだ言葉しか返せない。

どうしようもなく辛いときは、文章にしてアウトプットする。それが一番いい。私にはそれが一番合っている。こんなこと誰でも見ることができる場に書くなと言われるだろうか。構ってちゃんだと言われるだろうか。それならあなたは読まなければいい。ここは私の場所だ、私の勝手だ。いまの私は歪んでいる。荒んでいる。弱っている。勇気もない。だからここで叫ばせてよ。辛いですと。これは、弱い私の精一杯の予防線。助けてくれなくていいし、いや助けることなんてきっと誰もできない、だからいまはこれ以上攻撃しないで。

開き直るなと言われても、悲劇のヒロインぶっていると言われても、もっと辛い人はたくさんいると言われても、この辛さは私のものだ。



妊娠がわかったのは今月上旬。

仕事終わりにお手洗いに行くと少量の出血があった。2020年、一番の願いが叶わなかったと悟った瞬間だった。悲しくて夫にも連絡した。だめだったと。

でも出血はそれだけだった。基礎体温も下がらない。ずっと高温期が続いている。いま思えばあれはきっと着床出血だった。身体が火照ってだるいし、めまいに吐き気に尋常じゃない眠気。様子がおかしい。期待してしまう。期待しても落ち込むのは自分だから期待なんてしちゃいけないと思いながらも、毎朝「下がっていませんように」と願いながら舌裏に体温計を押し込む。安堵の気持ちとともにベッドから起き上がる。

そんな日々が一週間以上続いて、モヤモヤとしてきた。周期のズレは二日三日あれど、基礎体温が乱れたことは今までなかった。こんなに何週間も高温期が続くなんておかしい。排卵日に体温はぐっと下がり急上昇、そのまま二週間程度の高温期を挟んだのち生理開始日には急降下。(学生時代は数ヶ月生理が来ないこともあるほどの不順で、その頃測っていた基礎体温はそれはそれはひどいものだった。よくこんなに綺麗なグラフができる身体になれたものだ。)

以前購入した妊娠検査薬をリビングのテーブルから取り出し、こっそりパジャマのポケットにいれてトイレにこもる。驚くほどのスピードで青い線がくっきりと出現した。陽性だった。期待する気持ちがあったとはいえ、こんなにすぐにはっきり結果が出るとは思っていなかったから急に鼓動が速くなる。落ち着け、と深呼吸をしながら写真を撮る。夢ではない証拠を作った。

どんな顔をすればいいのか、なんて言えばいいのか、わからないままリビングに戻り夫に報告する。○○君、どうしようとか言ってたと思う。

夫の嬉しそうな顔が忘れられない。自分に言い聞かせるように「まだわからないから喜んじゃだめだよ!」と私は何度も繰り返したけれど、口元はどんどんゆるみ、目は潤んだ。

翌朝月曜日、家から一番近い病院に電話した。平日は予約がいっぱいとのことで土曜日の朝になった。約一週間。長い。

「妊娠検査薬 正確性」

「妊娠初期 流産」

検索魔になった。期待しないように。

「妊娠初期 気をつけること」

「○○市 妊婦 助成金」

万が一無事に妊娠してることも考えて、一応調べた。一応。期待なんてしていない。していないけど。


安静にしてね、身体温めてね、と今まで以上に気をつけてくれる夫。こたつに入る私の上半身は毛布でぐるぐるに巻かれ、埋もれていた。そんな時間が幸せで嬉しかった。

「しばらくお寿司や海鮮丼は食べられないね。」

「コーヒーは一日1杯程度ならいいみたい。よかった。」

「6〜7週はいくら一粒くらいの大きさなんだって。」

楽しかった。どんどん人生の解像度が高くなっていった。まだ知らない世界がたくさんある。その世界にようやく一歩踏み入れた。

私にはドンキやTSUTAYAのすみっこにあるR18コーナーのように見えていたアカチャンホンポ。いつも前を通るたびにちょっとドキッとして、まだ私は入れないけどいつか行ってやると思っていた。そこに入れる日も遠くないと思うと、嬉しくてそわそわした。


その頃ごく少量の出血がたまにあったけど、また検索魔になっては「初期はよくあることらしい」と無理やり自分を落ち着かせていた。

待ちに待った土曜日の朝。内診に備えてスカートを履いて。足元はタイツではなく着脱が簡単な靴下にして。コロナの影響で病院にはひとりしか入れないから、車で送ってくれた夫に手を振りながら受付に向かった。

問診票を書いて、血圧と体重を測り、尿検査をして待合室に座る。土曜日だけど完全予約制だからか広い待合室にいるのは数人。

呼ばれた診察室に入ると女医さんで安心した。ほとんどの診察室は男性の名前の札がかかっていたから。

持病でいま飲んでいる薬を伝えたり、基礎体温表を見せたりして早速内診にうつった。子宮頸がん検診は社会人になって毎年受けていたし、重い生理痛で学生の頃から婦人科ヘビーユーザーだったから内診は慣れたものだった。

でもいつもと違う。壁に小さなモニターが取りつけられている。あぁこれが噂のエコーを見るモニターですか。胎嚢だけじゃなく心拍まで確認できたらいいな。そしたら来週には母子手帳もらいに行って助成金の手続きもして。検診って高いらしいもんね。そういえば○○市の母子手帳ってどんなデザインなんだろ、ディズニーとか可愛いのだといいな。

このときの私は期待どころか妄想が止まらなかった。不安も頭の片隅にはありつつも。


ひやっとした器具の感覚のあと、モノクロのざらざらとした映像がぽっとモニターに映った。

どきどきしながら見つめる。どこだ。黒い点を必死に探す。たまに出てくる十字のカーソル。先生がカチカチとボタンを押す音も聞こえる。

「見えますか?これが胎嚢です」という台詞を待ったけれどカーテン越しに飛んできた言葉は違った。

「はい、終わりです。着替えて診察室へお戻りください。」

一気に口の中が乾いてくる。


先生の手にはエコー写真。よく見るやつ。「ご報告♡」の文字とともにSNSでよく見るやつ。まだ見えないんだよね、と言いながら渡してくれる。

「子宮内膜は厚くなってきているし、基礎体温を見ても妊娠の可能性は高いけれどまだおめでとうとは言えない段階。まだ確認するには早かったのかもしれないから一週間後にまた診てみようね。…でも出血があるから心配なんだよね。もしかしたら今後ものすごく出血してしまうかもしれない。生理二日目くらいの出血やお腹の痛みがあったらすぐに連絡してください。じゃあ今日は風疹の抗体検査して帰ってください。」

採血をしながら看護師さんが「これからは走ったりしちゃだめだよ?安静にしてね、ゆっくり動くこと!」と言ってくれて、今日は見えなかっただけでまだ可能性はあるから妊婦さんになったつもりで行動しないといけないと思った。

今日はまだ早かっただけ。そういうことって、よくあることみたいだし。8週まで見えなかったってひともいるし、出血だって経験するひと多いみたいだし。

何もうつっていないエコー写真を迎えにきてくれた夫に見せながら、診察の内容を報告する。

緊張して朝から何も食べてないからお腹が空いていて、ちょっと早いけどお昼ご飯を食べに行った。そのあと本屋さんに行ってはじめてのたまごくらぶを買った。フェイラーの付録がついている。母子手帳ケースとおなかに赤ちゃんがいますのストラップ。

そのあとスタバに寄ってドライブ。子授け・安産神社に連れていってくれて絵馬を書いてきた。「健康な赤ちゃんが産まれますように」

家に帰るとふたりで早速たまごくらぶを読んだ。別冊パパ用たまごくらぶを真剣に読む夫が可愛かった。私よりたくさん学んでいたと思う。検索魔になってネットの情報に一喜一憂している私とは違い、夫は仕事帰りに本屋さんで「はじめての妊娠・出産」の本を読んでは着実に知識をつけていっていた。愛おしさ爆発。


日曜日の夜、下腹部が痛いような気がした。鈍痛がするような気がする。見て見ぬ振りして就寝前にトイレに入る。つーっと血が垂れる感覚があった。嫌な予感しかしない。ベッドに入って怖い怖いと大号泣した。泣き疲れたのか、夫と手を繋いで安心したのか、いつのまにか寝ていた。

翌朝仕事に行くために起きて準備をするも身体がかなり重くてだるい。行きたくない。でも私は開店準備をする朝からのシフトなので今更休めない。早退させてもらおう、と決めて向かう。

数時間だけ働いて、トイレでまた絶望。すぐ病院に電話して緊急で診てもらうことになった。

前回とは違う男性医師。淡々と内診を終えて「この週数で胎嚢が見えてないのは正常妊娠とは言えないし、この出血も恐らく流産しかけてるからだね。初期の流産はどうしようもできないからこのまま様子を見て、予定通り予約していた金曜日にもう一度来てください。大量出血があるかもしれないけど、ひどいようだったら連絡して。」

待合室に戻るとお腹をなでる妊婦さんが何人もいる。子連れの妊婦さんも数名いる。ぐっと喉元を掴まれたような息苦しさを感じた。はやくお会計して帰りたい。

無心で歩いていると夫から電話。心配で、と仕事中なのに連絡をくれた。この電話にどれほど救われたことか。私を何より大切にしてくれるひとがいる。それだけでもう十分幸せなことだ。


その夜だった。出血が止まらない。どくどくと流れ出る感覚が続き、お腹もどんどん痛くなってきて、どんどん青ざめてくる。顔色が悪くなる私を隣で夫が心配している。動けない。うずくまる。痛くて、苦しい。かなり重い生理痛のような痛みに懐かしささえ感じた。

自分でわかる。だめだったと。

血の塊がたくさん出てきた。

朝になると痛みはだいぶ引いたけど、ずきずきと鈍い痛みは消えない。全部流れ出たのかお腹はぺたんこになっていた。それでも血は止まらない。

夫を見送ってベッドに戻る。心身共に起きているのが辛い。

目が覚めると18時過ぎだった。こんなに寝たのに身体はすっきりと軽くなっていた。それと、不思議なほど心が無になっていた。バッグの中にちらりと見えたマタニティマークを見てもなんとも思わない。麻痺したような感覚。ショックが大きいと脳がなんか指令でも出すのだろうか。調べる気もないけれど。


今日は7時に目が覚めた。基礎体温は昨日に引き続き今朝も一気に急降下している。いつも寝起きはぐずぐずしがちなのに、すっと起きてホットケーキを焼いて食べた。丁寧にドリップコーヒーを淹れて、洗濯物を干した。ベランダでひなたぼっこをした。

そうしていまこれを書いている。

淡々と、無心で。考えるより先に手が勝手に動く。どんどん文字が打ち込まれていく。鮮明に残っているすごくすごく昔の記憶を書いているようだけど全部ここ数日間の話だなんて、自分でももう信じられない。

私の心はどこにいってしまったのか。

心にも代替機でもあるのだろうか。「明日から笑顔で前向きに頑張ろう♩」なんて思えるにはまだ早いはずなのに。絶望感や虚無感、苦しい気持ちは奥底に丸め込んで、真っ白で固い無で何重にも包んで、その上から更に無駄に明るい膜が張られているような。いつ崩れてもおかしくない、付け焼き刃な代替え機。

冒頭に書いたように、辛い。ちゃんと辛い気持ちはある。すぐそこにある。でも、直に感じない。なんといえばいいのだろう、激しい吹雪のなか立っているけれど冷たさや寒さを感じないような。

うまく言えない。いや仮にうまく書けたところで、何にもならないけれど。何も変わらないけれど。泣いたって笑ったって何も起きないし、皆さんご存知の通り魔法もない。私の地獄はそのままここにある。いつだってここにある。それだけ。


またいつか、次こそは、と未来に対する前向きさはもう少し先になってから。

たまごくらぶもクローゼットの奥底にしまって。


いまは、大好きなコーヒーでカフェインをがんがん摂取する。

大トロがたっぷりのった海鮮丼を食べに行く。静岡には海鮮がおいしいところがたくさんあるんだよ。いいでしょ。

火曜日の朝はZIP!で健二郎のダンスレッスンを見ながら必死に踊って夫を笑わす。


地獄の隣にだって、幸せはある。

いまここにあるたくさんの幸せを心の底から噛み締めて、好きなことをたくさんする。大切な人に大切だと、大好きだと、何度も伝える。もちろん感謝の気持ちも一緒に。


「あみちゃんと結婚できて幸せ」と夫は何度も言ってくれる。

私こそ幸せだ。結婚してくれてありがとう。

ふたりだけの時間、もう少し楽しもうね。

何日間も語り続けられるほどの思い出をたくさん作ろうね。


経過観察の診察はこれまた残酷なことにクリスマス。

一昨日激痛に苦しむなか、神様もいなければサンタもいないのかと乾いた笑いが思わずこぼれたけど、今年はコロナなので仕方ない。今年くらいはお休みくださいな。年末年始コロナ特別警報でしたっけ、勝負の三週間だっけ。そういうのもありますからね。みんなみーんなステイホーム。そのぶん来年はよろしく頼むよ。



アカチャンホンポへはまだ入れない。

西松屋にもまだ入れない。

待ってろよ、いつか行くからな。

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