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声が出せなくても、一体感をつくることはできる

先日、日本を代表するアーティストで4人組ロックバンド「Mr.Children」の30周年記念ツアーに行ってきました。


ミスチルのライブも、7万人規模のライブも初めての経験。先に感想を言うと、そのスケールにほんと圧倒されたし、音響や照明なども含めてライブパフォーマンスはさすが日本のトップバンドであるミスチルだなと思いました。

自分自身、大のミスチルファンというわけではないですが、小さい頃から代表的な曲は聴いてきたので、今回のセットリストはほとんど知っている曲でとても楽しい時間でした。



今回、「コロナ禍でのライブ」というのが、これまでにないかたちでした。この約2年間、ほとんどのアーティストがライブをすることができない状況で、自分たちの音楽を直接、ファンに届けられませんでした。

現在もまだ完全に終息したわけではないですが、ワクチン接種が進んだり、規制が解除されたことで、会場にフルで入れるライブはできる状況になりました。

それでもマスクは必ず着けた状態で、声は出してはいけない。そんな状況で迎えたミスチルの記念すべき30周年ライブ。楽しみな反面、静かに聴いている感じになるのかなと思っていました。

でも、ライブが始まってすぐに気づきました。

「声が出せなくても身体で表現することができる」


拍手をする、手を振る、手を突き上げる、首を振る・・。
会場の7万人が一体となって、身体を使って同じ動きをする。

声は届かなくても、身体の動きだけで十分に届けられる。身体を動かしているだけでも参加している感じがある。その動きが会場全体で同期すると一体感をつくることができる。それを生で感じることができました。

個人的に最も感動したのがアンコールの時。今回の条件では「アンコール!アンコール!!」という声は出せない状況でした。そんな中、会場はスマホのライトに覆い尽くされたのでした。




これからライブがどんなかたちになるのかは分かりません。以前のような声を出せるライブかもしれないし、今回のような声が出せないライブかもしれないし、全然違うかたちでのライブかもしれない。

今回、noteに言葉としてなんとなく残しておきたかったことは、どんなかたちのライブになったとしても、人の「身体」とその人が作り出した「技術」、そして、その2つを組み合わせる「知恵」があれば、ライブの一体感をつくることはできるということ。

同じ条件や状況、当たり前の環境というのは本来ないのかもしれない。そうであれば、変化することに柔軟に対応して、その時の状況・環境でしか生み出すことができない何かにもっと自分自身は時間を使いたいと思いました。

一方で、知恵があったとしてもそのアイデアを具現化するのはすごく難しいことでもある。それができるのは「続けること」が鍵なのかもしれないと。

30年という期間、ずっと継続してファンに素敵な音楽を届けてきたMr.Childrenにそんなことを教えてもらった気がするライブでした。