7/17 耳なし芳一の理不尽

 昨日、耳の話を書いていたら思い出したことがある。

 『耳なし芳一』。有名な怪談。初めて聞いたか読んだかしたのは、小学校に上がる前か、小学校低学年か、それくらいだったんだと思う。そのときの感想は、怖い、ではなく、腑に落ちないというか、納得いかないというか、そういうもやもやが残る感じだったのを覚えている。その頃の小さかった自分には、もやもやの原因がうまく言語化できず、『なんだかなぁ』で流すしかなかったのだけれど、そこから30数年分の経験を積んできた今の自分なら言える、言葉にできる。もやもやの原因。

 「耳みたいな小さなパーツにお経が書き忘れてたからって、そこだけアウト(で悪霊だか亡霊だかに見えちゃって引きちぎられる)なんて、ひどい! ちょっとくらい大目にみてよ! 少しくらいおまけしてくれたっていいじゃん!」と、「お経を書いたところは亡霊に見えなくなる。のに、お経を書き忘れた耳は亡霊に見えてしまって引きちぎられた。お経を書いたことで亡霊に見えなくなる有効範囲はどこまでなのか? お経からどれだけ離れたところまで大丈夫なのか? 文字間は何ミリまで開いてていいのか(あの頃の文字は全部つながってた可能性もあるけれど)。行間は何ミリまでだったら開けても隙間なく守られるのか。行単位で考えるんじゃなくて文字の線で考えるのだとしたら、線から何ミリの距離までは守られるのか。そこらへんのルールはどうなっているのか。耳にお経を書き忘れていたとしても、耳まわりに書いたお経の効果範囲で耳を守れたんじゃないのか」だ。ルール、厳しすぎるんじゃないの? という反発と、そもそもルールが雑じゃない? という反抗。……思春期の中学生みたいだ。あぁ、小さい頃の自分、不満というか、もやもやをやっときちんと言葉にできて、すっきりした。

 自分が怒るポイントや、どうしてもひっかかってしまう事柄というのは、自分が大切にしたい価値観や考え方、自分の強みが反映されている、みたいなことを聞くけれど。そういえば、小さな頃のわたしは、ルールや約束、取り決めなんかをしっかり守る子だったような気がする。委員長的な、というか。今は子供時代の反動がきたのか、他人に影響がない部分ではやりたい放題している、な……。

 ちなみに、『耳なし芳一』、子供の頃は納得いかなさを最優先で感じていたのと、おばけの類をそんなに信じていなかったのとで、『怖い』をあまり感じていなかったけれど、今のわたしだと、ひとつひとつの場面をしっかり想像してしまって、結構怖い。深夜の墓地で墓石に向かってひとり琵琶を弾く様子とか、耳を引きちぎられる痛みとか、もう、ね……。無理無理! 怪談とか、信じる信じないとかじゃなくて、大人になってからの方が怖くて聞けない。なんでだろう、現実ベースでその上に想像力をのっけるようになったから?

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