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直球しか投げなかった男・土田世紀『編集王』

※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)

【レビュアー/佐渡島庸平

なんて悲しい漫画なのだろう。

なんて切ない漫画なのだろう。

20年ぶりに土田世紀の『編集王』を読み直した。昔は熱い漫画だと思っていた。熱い生き様の男を、ハイテンションで描いた漫画だと。

土田世紀という男の生き様と合わせて読むと、とても切なくなった。

土田世紀は、2012年4月に43歳という若さで亡くなった。

アルコールから抜け出せない生活で、アルコールのせいで死んだ。晩年は金銭的余裕もなく、出版社から献本された本を中古書店に売り、それでお酒を飲むこともあったと聞いている。

『編集王』の中には、マンボ好塚というアルコール中毒の漫画家が出てくる。そして、そのマンボ好塚は、アルコール中毒のせいで人間関係を失い、死んでいく。20代の土田世紀は、どんな気持ちでそのシーンを描いていたのだろう。まるで将来の自分自身を描いたようだ。

僕は『編集王』を読みながら、一度も会ったことのなかった土田さんに話しかけたくなる。

「自分に呪いをかけちゃだめだよ、土田さん。土田さんが信じてるように、漫画には力がある。力があるからこそ、呪いをかけちゃだめなんだ」

土田世紀を野球に喩えると、直球しか投げないピッチャーだ。

しかも、ストライクだけに投げて、それで三振を奪ってこそ、本物のピッチャーだと考えている感じだ。球はするどい。でも、その球だけではな生き抜けない。

周りにいる人たちは、その不器用すぎる生き方からどうやれば土田さんを救えるのか、わからなかったことだろう。土田さん自身も、自分の不器用さからの抜け出し方がわからなくて、苦しんでいたのだと思う。

僕は、土田さんが、なぜ『夜回り先生』を描いたのか、読者として疑問に思っていた。でも、『編集王』を読み直した今はわかる。土田さんこそが、そんな人に出会って救ってほしかったのだ。救ってほしくて、描いた漫画だったのだ。

編集王の最後にこんな台詞を、マンボ好塚が言う。


マンガを描く事で…
僕は自分を治療しているだけなんですよ
自分の事を勘定にいれないで
描ける漫画家なんて居るんでしょうかね?

この台詞のあと、マンボ好塚は、マンガの神様と出会ってこんな会話をする。

たましいは……
肉体とも感情とも別の……
僕等の気付かない所にあって……
試練の時にのみ、反応し、成長するものだと思います。

僕の事を競争心の強い子供じみた作家だという人が居ますが、互いの自己陶酔を競い合ったって何にもならない。
たましいを、下げないように…
その事だけを…
僕は競いたいのです……

競いましょう、マンボさん。
あなたにはその資格があるのだから。


土田世紀が亡くなったあと、大きな特集などがされたのを見た記憶がない。でも、死後2年たった今、京都国際マンガミュージアムで、『土田世紀原画展』と銘打って、18000枚もの原画が展示されているそうだ。

僕は、この夏、京都へ行って、土田世紀のたましいに触れてこようと思う。
7月27日、今週末には、土田世紀のたましいに触れて、影響を受けた漫画家たち、松本大洋、新井英樹、すぎむらしんいちによるトークショーも行われるようである。

土田世紀は多くの傑作を残している。


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