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4Kの違和感と映像体験

 我が家のテレビが4Kに変わっても地上波の規格はHD、つまりハイビジョンのままなので映像に大した変わりはない。むしろ放送されている2Kの映像を無理やり4Kにすることの違和感を懸念していたけれど、今の所それは全く感じないので良かったと思っている。

 しかしやっぱりテレビが4Kなのだから4Kの映像を見てみたいものだ。そこでYoutubeの4K動画を見たりして、4Kやっぱ綺麗だわ~、なんて呟いたりしていた。
 ところが、最近ハマっているNetflixの海外ドラマを見た時、途方も無い違和感を覚えた。Netflix独自のドラマは4Kで撮影されていることは有名だが、遅ればせながらこれを私が体験した結果だ。正直、何か違う、と思った。

 これまでは主にPCでNetflixを見ていて、PCモニターは2Kだから、Netflixのドラマはずっと2Kで見てきたことになる。それを4Kのテレビで見た瞬間、綺麗という感想よりも先に強烈な違和感に襲われたのだ。
 その違和感は2つあって、ひとつは偽物っぽさを感じてしまったということ、もうひとつは、ドラマとの距離感が近すぎるということ。これらは相反するような結果だが同じ原因によるものだ。

 原因は画像が綺麗過ぎることに由来する。

 映像が綺麗過ぎるために、ロケであろうがセットであろうが作り物であることが映像から見えてしまう。映画やドラマが現実と大きく違うのは、そういった撮影現場では通常では考えられないほどの照明が使われているということ。作品での光は作られたもので、現実そのものではない。
 4Kでは映像から感じられる光が偽物であることがバレてしまうのだ。これまではそこまで映像がクリアではなく、表現される光の階調も限られていたから誤魔化されていたけれど、4Kで特にHDRだったりすると、現場で作られた映像が忠実に再現されるが故に、見る側ではそれを偽物と捉えてしまうことになる。2Kでは普通に見える映像の中の光が、4Kでは違和感になる。まさか4K用に別照明をたいて撮り直すわけにはいかないだろうから、制作現場は悩ましいだろう。

 もうひとつの現象であるドラマとの距離感が近すぎるというのは、心理的な距離感のことだ。これまでは、映画でもテレビドラマでも映像の中の世界は別にあって、スクリーンや画面という窓を通じてこちらから垣間見ている感覚があった。それはフィルム映画の場合はフィルムの粒子感や1秒間に24コマというフレーム数の少なさだったり、テレビの場合は解像感の足りなさが、あちら側の世界は架空の世界であるということを暗に認識させてくれて、そのことが逆に物語の中へダイブする体験に繋がっていた。
 しかし4Kではあまりにも映像が綺麗なため、こちらとあちらの間にあった膜が無くなってしまっていて、架空の世界を垣間見るという距離感が失せ、ちょっと距離を取りたくなる感覚に陥る。強制的な没入感に対する拒否感といったところだ。この感覚は上手く表現出来ないが、映画を映画として安心して見られないと言えばよいだろうか。

 もちろんここで挙げたような感覚は私個人の体験であって、他の人はまた別の印象を持っていることだろう。そんな印象は全くないなぁという人もきっと多いだろう。
 しかしこれは4Kだからまだこの程度で済んでいるが、8Kだともっと強烈になる。気づく人も増えるだろう。
 それは数年前にあるメーカーのプロジェクター新製品試写会で8Kの映像(その時は風景動画と映画の一部だった)を見た時の体験だ。120インチくらいだったと思うが大きなスクリーンに映し出された8K映像は圧倒的にクリアで、風景映像はまるでそこにいるかのようという表現が誇張ではないくらいだ。その様な実写の描写力は肉眼そのものと言ってもよいだろう。しかし、映像が映画に切り替わった瞬間、私はここでも強烈な違和感に襲われた。そこにあるのは私が知っている映画の映像ではなく、映画のセットの中に立たされたかのような現実感だったからだ。要は見えすぎなのだ。私は映画が見たいのであって、エキストラの役者になって映画の撮影風景に同化したいのではない。
 8Kプロジェクターの映像を見た感想を聞かれた私は思わず、これでは映画がつまらなくなると答えていた。

 高精細ということは画面から伝わる情報量が多すぎるということなのかもしれない。現実よりもややぼんやりした映像の中に主人公が現れれば自ずと人の目は主人公を追い、感情移入し易い。しかし画面全体があまりにもリアルだと本来追うべき主人公の感情以外の多くの情報に気が散って集中出来ないのかもしれない。
 それとも、高精細には高精細なりの映像作品の見せ方が必要なのかもしれない。これまで同様の映画というコンテンツをより高精細に再生するというような技術の延長線上を行くのではなく、圧倒的没入感とリアル感を生かしたコンテンツを育てる必要があるのかもしれない。
 そう考えると人間の視覚と同等の8Kという映像再現が出来る世界では、全く新しい映像体験が待っている可能性がある。今はそれを楽しみにしておくことにしよう。

 これを書きながら、昔映画館で見た映像に浮かぶフィルムの粒子や、フィルム切り替え前にちらっと表示される印(パンチ)を思い出して、そんな映画をまた見てみたいなと思った。映画館の床はこぼした飲み物でベタついていたけれど、そこでの映像体験は高校生の私にとっては至福そのものだったから。

おわり

 

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