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【読後想】『寿命が尽きる2年前』★★★★☆

 夏休みの宿題で読書感想文が苦手だったけれど、感想でも書評でもなく、想ったことを勝手に書き留めるだけなら出来そうだということで記録する読後想。

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 1500年代に西洋医学が日本に伝わって以来、医療が進歩したと思っている人は多いだろう。しかし進歩の度合いで言えば本当に進歩したのは医療そのものよりも、薬や医療器具・研究機器や装置、細菌やウイルスといった微生物の研究、DNA解析等の遺伝子技術を含めた医療の周辺技術の方だろう。

 身体及び心の全体的なバランスを重視する東洋医学に対して、西洋医学では心と身体を切り離し、さらに身体をパーツに分けて捉え、パーツごとの良し悪しを判断する。駄目なパーツがあれば取り除いたりもする。西洋医学が伝来した当時はそうしたある種新しいものの見方による診断は解剖学と相まって説得力があったのだろう。そして、未だにその説得力は効力を失っていない。

 医療技術の発達があったから医学や医療が進歩したのは間違いない。しかし、医学と医療をごっちゃにしてはいけない。巷で話題の、医学は科学だが医療は科学ではないという論とも違い、医学の発展の割にひとりの医師が医療において出来ることは今も昔もそんなに変わっていないという点を忘れてはいけない。

 話をより複雑にしているのは、医師の意志とは別の理由で、健康診断や人間ドック、がん検診等が大きく普及したことだ。検査装置や検査技術が進歩し、検診システム(制度)が普及したことに伴って、誰でも簡単に病人にされてしまうようになった。具合が悪くないのに検査を受けることで、将来的に悪さをするかもしれない事に私達は悉く気づくようになってしまった。都合の悪いものはどんどん排除してしまえと言い続けていたとしたら普通は危険人物扱いされる。ところが、こと医療に関しては皆諸手を挙げて絶賛してしまう(もしくはお手上げになってしまう)。将来的に悪さをする可能性が何割だとしても、その逆の可能性、つまり何でもない可能性を最初から排除するのはどう考えてもおかしい(医療以外の分野では)。
 医療となると保守的になってしまうのは、悪い可能性というのは最悪の場合死を意味するからだろう。死はそれほどまでに私達の思考を歪ませる。

 前置きが長くなったが、というわけで、今回私が選んだのはこちら。

久坂部羊(著) 寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書)

 筆者の小説は多く読んできたが、新書は初めて読んだ。架空の物語ではなく、一医師としての意見を述べている本書は、私にとって新鮮だった。
 「一医師としての」などと書くと筆者の思いとは少しズレてしまうかも知れない。恐らく筆者は医師としてではなく、医学を学び医療に携わったことのある、ひとりの人としての見解を述べているに過ぎないと言ったほうが正確だろう。殊更に医者が曰く、専門家が曰くとはしたくはないだろうと思う。

 本書でのテーマは長生きではなく、良く生きることだ。歳を取れば誰しも視界の端に死という文字がちらつくようになり、それが至極気になるし不安にさせられるようになる。そうしたときに残りの人生をどう使おうが本人の自由ではあるが、長生きだけを目標にして生きるのはより良い生き方、はたまた良い死に方にはならないのではないかと突き付けてくる。
 健康で長生き出来てこそ、やりたいことが出来るのは確かだし、長生きすることの全てが悪いことなのでは無いが、何のための長生きかが重要だ。「長生きすること」が目的化してしまっているのだとしたら、本末転倒だ。

 という訳で私の評は★★★★☆。
 星4つだ。

 本書にはすごく共感するし、ぜひ実践してみたいと思った。今の一般常識とは違う考え方かもしれないが、だからこそ今を疑ってもっと自由で幸せな生き方を探るヒントになる。高齢者や高齢者を持つ家族に限らず、若い人から中高年まで皆にお勧めしたい書だ。

 しかし、2年で寿命が尽きると思えば一日一日をもっと充実したもの出来るに違いないが、本書を一読したくらいでは怠惰な気持ちは無くならない。どうしたって2年で尽きるとは思えない。いざ2年と言われたらジタバタしてしまいそうだという疑念が晴れない。やりたいことを自在に出来るほど人間が強くない。寿命のことなど忘れるほど没頭出来る何かに打ち込むことも出来ない。
 そんな弱い自分を受け入れられず、結局足掻こうとしてしまう自分が嫌になる。
 ま、これは私だけの問題だ。

おわり

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