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画一的で無個性な空間の増殖

 ここ数年、都内での再開発が激しい。
 特に大規模なのが東京駅周辺部だが、それ以外の場所にもある。
 再開発されて大きなビルが建つと、そこにはおしゃれできれいな空間が出来る。日当たりが悪くなったりビル風が強くなるなどの問題もあるが、それとは別に景観としての問題があると思っている。それはデベロッパーの抱くこうした新しい街のビジョンが画一的で無個性なことだ。

 古い町並みを破壊して新たな街を構築するのは、歴史を塗り替えることでもあることを強く認識した方が良い。
 中には東京中央郵便局や京橋の明治屋のように古い建物の一部や全部を残そうとする試みもあるが、どちらも新旧融合というよりは、私には古い良きものが新しい邪悪なものに呑み込まれている様に思える。

 都会的でおしゃれな空間は人々にとって心地よいのだろうか。開発過程でのターゲット層にはフィットしているのかも知れないが、あまりにもバリエーションに乏しいのは、開発責任者が「あのなんとかヒルズみたいな感じにして」と要望しているのではないかと思ってしまう。

 街はそこで住まうことが目的のひとつである筈のところ、どこか借り物的なイメージを持っている人が多い気がしてならない。限られた一時期を過ごす為に快適な空間と、長くそこで過ごすのに快適な空間は自ずと違っている。ホテルを考えれば分かり易い。自宅をホテルのようにしても使い易いとは言えないし、徹底したミニマリストでない限りすぐに生活感に汚染されてしまうはずだ。しかし実はその生活感こそが生活そのものであって、住まい、暮らすことを表している。

 街に生活感が無くなれば、そこは訪れるところではあり得ても住んだり暮らしたりする場所にはなり得ない。人が暮らしていない街は清潔かもしれないが、無味乾燥で温もりに乏しい。人間関係は希薄で、人々は集うのではなくバラバラに通り過ぎるだけになる。

 いま日本の観光価値を生み出しているのは、日本という国の生活の息づかいを感じられる場所だ。自然と融合して生活を営んでいた日本的な住まう環境や暮らしの温もりだ。渋谷が人気なのは独特の隘雑感があるからで、洗練されているからではない。
 昔ながらの賑わいがあった商店街があちこちでシャッター通りとなったのは都市への強い憧れに人々が抗えなかったからで、それはブランドものを安く手に入れられるチャンスに殺到する様にどこか似ている。

 借り物ではなく本物の街が消えていく中で、代替機能としてのショッピングモールが全国各地に繁殖して、商店街とともに日本文化の多くの部分が消滅している。
 街の再生や再開発が希望になった時代は過去のものだ。もはや無理ゲーとなってしまったが、私たちは地に足をつけた暮らしを取り戻さなければならない。
 多くの人が求めていないからこそ、住まい集う賑わいのある場所の創造が求められている。そこは人と人を和やかに繋げる柔らかな空気に包まれている。

おわり

 

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