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AIの何が難しいか

 あちこちでAIを冠したサービスや商品が多く出回っている。
 けれども、言葉にする割にはAIについて、その技術の詳細を知っているユーザーは少ない。

 長年芽が出なかったAI、人工知能が、ディープラーニングの登場によって実用に使えるかもしれないと騒がれ始めた頃、AIはプログラミングと数学的な素養を兼ね備えていなければ理解不能な遠い存在だった。ところが普及と研究の成果は目覚ましく、これまでに沢山のライブラリが作成されてきて、プログラミングの経験が少しあるという程度の人でも機械学習プログラミングが出来る環境が整ってきた。つまり、さらに普及が加速するポテンシャルが高まっているということだ。

 ただ、気をつけなければならないのは、ひとくちにAIと言っても様々あることと、AIそれ自体は何でも出来るのではないということだ。
 大雑把に言うと、AIが出来ることは分類と予想だ。それ以外のことは出来ないと思った方が良い。
 そして、AI化出来ることには条件が付いている。
 それは分析対象を数学的な問題に置き換えられるかどうかだ。簡単に言えば、数字に置き換え可能なものでないとAIは使えない。
 いやいやAIは犬と猫の写真を見分けるというではないか。それどころか写真の中にある癌細胞を見つけることも出来るらしいじゃないか。そう思った人も多いだろう。
 答えは簡単だ。AIは写真を見て判断しているのではない。写真データという数字の羅列の中にある特徴的な数字を「見て」いるだけだ。特徴が分かりやすくなるように事前に数字を加工しておく必要もある。
 ここで重要なのは、数字に置き換えるということと、数字の中の特徴を数学的に際立たせるということだ。

 さらに言えば、データを選り分ける方法の選定と様々なパラメータの調整が必要だ。AIに汎用性を持たせるには、特定のデータのときだけ正しい答えを出すのでは駄目で、しかし、あらゆる場合に正確な答えを出せるようにするのは案外難しい。

 データを分析して人が進むべき道を示してくれるのがAIだとしても、道を選ぶのは人だ。限られたデータに基づいた判断をするのがAIなら、あらゆる条件を考え合わせて結論を出すのが人だ。
 専門家委員会任せで決断力に欠けると批判された某国政治のようになってはならない。
 カーナビの指示以外に道がないと思う人はいないだろう。AIが便利だと言って頼り切ってしまった先にあるのは、人間不在の無味乾燥な世界だ。

 そう考えると、AIに何をどこまで任せるかを決めること、最終判断は人間が行うことが肝要だ。しかし、AIの普及が進むと、人が判断することをAIに任せないようにすることが相当に難しくなりそうだ。

おわり

 

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