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映画『ノートルダムの鐘』『87分の1の人生』良い人ってなんだろう

最近観た映画『ノートルダムの鐘』『87分の1の人生』がすごく好みでしばらく余韻に浸っている。なぜこんなに?と考えたらどちらも共通して人間性の描き方が飾り気がないからだと気付いた。せっかくなので感じたことをまとめたらすごい文字数になってしまいました。
良ければ目次から気になるところを読んでもらえたら嬉しいです。
※ネタバレを含みます


世の中の「どうしようもない」が描かれている映画がすき

私が好きな、しばらく余韻に浸っていられる映画やドラマは、一般的には鬱映画と言われるような類が多い。描かれている「どうしようもない」感がすごく染みる。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』『フロリダ・プロジェクト』『ルーム』などなど…

生きていると自分の力や努力じゃどうにもならないことが多い。人間性とか世間の目とか、そういう「どうしようもなさ」が丁寧に描かれている作品を観たり読んだりするとなんとなく人生の愛おしい部分みたいなのを感じられる(気がする…)

そのあたり、この2作品が私のセンサーにビビッときたようでした。

人間の怖さが明確『ノートルダムの鐘』

巣立つ鳥に勇気付ける優しい主人公

ディズニー映画『ノートルダムの鐘』
この作品で描かれてる人間の悪意があまりにストレートで衝撃だった。この時代にしか描けないかもしれない。道徳の時間で”みんなと仲良しに””人を傷付けてはいけません”と習ったことを思い出した。あの時の私はそういう気持ちを思っちゃいけないんだ、悪いことなんだと受け取っていた。

きっかけがあればストレートな悪意をぶつける

このシーンと直後の落差が怖い

お祭りのシーンで描かれていた、きっかけさえあれば悪意を本人にぶつけていいと判断する人間の心が怖かった。傷つけ方がエスカレートしていくところも。周りもやっているから、始めたのは自分じゃないから、という心理が見え隠れしている分リアルで、そのリアルさが怖い。

ネガティブな感情を持つのは悪くない。その感情をどうするのか。

この女の子の行動は周りを気にしない、自分なりの判断だと表れてて良かったなぁ

対面でこんなに悪意をぶつける人は少ないからやたらと怖く感じたけど、こういう感情を持つのは「人間のどうしようもなさ」の1つだよなぁとも思う。今の私なら、ネガティブな感情や悪意、誰かに対して不愉快な気持ちを持つことは悪くないと思う。大切なのはその感情を「自分はどうしたいのか」きちんと考えて対処すること。まぁ人間ってこうだよね、という一面が鮮やかに描かれていたこと、そのきっかけがカジモドの外見であることに何日か考えてしまう映画だった。私も最後の女の子のように周りに流されずに自分の判断で動けるようになりたい。

余談:美女と野獣と似た演出が多く感じました。

いくつか『美女と野獣』に似ているなぁと感じる部分があった。町並みも良く似ているし、フロローが大聖堂の扉を突き破る方法、カジモドを殺そうとするときのシーン、フロローの最後…。特に後半は共通点が多い印象だったのでそのあたりを気にしながら観るのも面白そう。

運命とどう向き合うか『87分の1の人生』

原題は「GOOD PERSON」この言葉とラテン語の「Amor fati」という言葉が重く心に残る。ハッピーエンドとは言えない作品だけど、今後、とてもじゃないけど向き合えないような悲しい出来事があったときに心の支えになってくれる作品だと思う。もしまだ観てない方にはぜひ見てみてほしいです。

ラテン語の意味は調べずに、映画を観たうえで意味を知るとことで心にすごく染みます。

※ここから特にネタバレを含みます


ダニエルの言葉「I'm a good person」の重み

ここはダニエルの苦しさがすごく出てた

モーガン・フリーマン演じるダニエルの言葉『I'm good person.』の重みがすごく印象的だった。この言葉を発したとき、今までのアリソンへの対応は苦しみや憎しみを抑えたうえであることが明確化されている。前述のラテン語の内容を実行しようとし、神からの試練だと自分を律したうえでの行動だったと。激しく怒鳴っていたわけではないけど、”相手に伝える”行動によって感情の強さが出ていた。

ダニエルは、現実は自分の思うようにはいかないと悟っている振る舞いをしていて、「87分の1」の鉄道模型を作って自分の理想とする世界を作り上げていると話す。話しているダニエルは達観した大人のような印象を受けたけれど、作り上げている世界には失った子供が元気でいるところが描かれていない。まだ消化しきれていないんだろうな、と見返していて気付いた。

それでもアリソンに手を差し伸べようとするシーンがいくつもある。「目でハグ」のシーンはダニエル自身の優しさが1番滲み出てたと思う。自分がアルコール依存で苦しみを感じていること、逃れられない運命に正面から向き合おうとする苦しみを知っているからこそなんだろうな。

依存症は拠り所の1つなのかも

フローレンス・ピューの演技も印象深かった。特に薬に依存しているシーン。最初の母親との口論のシーンよりも、禁断症状中にネイサンの今を知ったあとの行動がより心に残る。依存症から脱却することの大変さ、対処しきれない辛さに対面したときに、逃げ道として依存しているモノに走ってしまう…これは意思とかの問題じゃなく、誰でもなり得る脆さを感じた。

責任転嫁ができる余白が奥行きを生んでる

きっかけとなった事故のとき、アリソンはスマホで地図アプリを見ていた。この「地図アプリを見ていた」ところが絶妙。
事故の原因はショベルカーの飛び出しもあるので全責任がアリソンではなくて、その釈明の余地がある面がアリソンの苦しみにつながってる。

「誰でもやること。」
地図アプリを開くことをこう表現していた。それでも、ダニエルは事故の報告書にある地図アプリを開いた時間と車が制限不能になった時間を見ている。もし見ていなければ避けられた”かもしれない”から。誰も失わない”かもしれなかった”から。この”かもしれない”というのは絶望になりやすくて、それを身近なスマホとひっくり返すことのできない死とで描いてるのがすごく心に残った。

"Amor fati"

私は同じ状況になったとき、この言葉のように捉えて生きていけるか、と考えると無理だなと思ってしまう。でも、今ある状況、運命を受け止め、それを愛しながら日々を重ねることでしか前に進めないんだろうという風に受け止めた。また観よう。
良い人ってなんだろう。自分で考えて行動できる、拠り所の言葉を持って毎日を生きていける人のことを指すのかもしれない。

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