見出し画像

「アンスクーリング その4」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男③」自由は時に…、自由だからこそ…

この学力テストを受けたことはとても参考になる結果を与えてくれました。
得意な分野における、苦手ポイントの把握、
そして、国語では読解力のパワーの大きさを知ることになりました。

高卒認定試験というのは学力の範囲としては
おおよそ高1レベル程度まで
合格ラインは40点から60点と、難易度として見たときには
「非常に高い」とも「高い」とも言い難いものだと言えます。

理科社会は苦手分野に特化することで勉強時間を短縮する事が出来るし
国語に関しては高認試験の過去問題をある程度解いてみるところからスタートしても
間に合うのではないかと読んでいます。

その分、ノータッチできてしまった数学、英語に時間を割くこともできます。
高校進学も考えていないようなので
学校へ行かない時間を自分のウィークポイントの解消時間に充てる事ができます。

16歳になったら順次高認試験を受け、大学受験へ向けて学業への姿勢を整えていく
というのが今の長男の大学へのプロセスとしての大枠です。

大学受験へ向けてこんなアプローチの仕方って、考えたことありますか?

私は考えたことありませんでした。
中3で受験して、高3で受験して、っていう風に思っていました。

でも今は考えられるようになりました。
それはとても幸いなことだと感じています。
この狭い枠組みに囚われた国の中にあっても
少しくらいは変化球を受け止めてくれる方法があることも
良かったなと思いました。

そしてそれは、この環境になったからそういう発想に繋がったと言えます。
ホームスクリーングをしてみて
アンスクーリングという選択をして
子供達とたくさん話して
考えて決めて進んできたお陰です。

とは言え、長男のこのプロセスはあくまでイメージ。
まだゴールに行き着いていません。

こんな大学受験の方法もあって、上手くいったんですよー!という
お披露目やアドバイスはできません。

この先がどうなるか分かりません。

それも事実です。

そんな事言ってて、ちゃんとゴールできるの?
結局、失敗するんじゃないの?
なんて思われたりするんでしょうか。

みなさんならどこをゴールとしますか?
なにが失敗で、どうなら成功ですか?

合格をゴールとしますか?
大学落ちたら失敗で、合格なら成功でしょうか?

私や夫が長男の学業に対して不安を抱かない
大きなポイントはこの「ゴール」の設定を
大学合格に「置いていないところ」にあるのかもしれません。

長男が目的とするところは研究者になるという事で
今は大学へ行くいう道順が最も分かりやすい目安であるということだけなのです。

別に本人の目的が果たせるのならば大学にこだわる必要もないんじゃないか。

と思っているのが私達です。

無知だと言われればそうだと思います。
そんな甘い話はない、そりゃそうだと思います。

読書してりゃテストで点数稼げるぞー!と意気揚々とここに
自慢しているかのようで、実際のところ別に本当は何でも良いんですね。

そんな言い方すると冷たいようですが
むしろ親としては何よりの愛情だと自負しています。
だって結局は…
何かしら長男が抱いている目的を果たすところに
おそらく彼の幸せがあるのだと思います。
とにかく重要なことは大学へ入ることより
本人が情熱を持ってしたいことはなんなのか、というところにしかないにです。

要は私達夫婦としては、長男が「そういう状態」であれば
大学へ行こうが行かまいが、構わないんです。

今は長男自身がイメージを抱いて叶えたいところへ向かう道のりが
大学受験→大学→大学院研究室→研究者
みたいな感じだと認識しているのでそのプロセスを親としては見守るか
なんなら見守りもせず、お好きになされ、とほっとくかくらいです。

そして時に我々が必要とあらば、
都度話し合いをしながら協力できることは協力しつつ
やっていきましょうね、というくらいの心持ちです。

私自身はこの経験を本にまとめたい思いがあるので
状況に応じての分析はいちいち欠かせませんが、
だからと言って長男に何か無理強いするような事は決してありません。

全ては長男次第。というところです。

長男自身、14歳とは言えども、子供です。
まだまだ紆余曲折ありながらも
この環境誰に頼る、誰かに流される、ということはなく
必死に自分自身で行く道を模索する日々です。

同級生は受験生。
みんなにとってターニングポイントになるかもしれない時です。

うちにはそういう壁が今年訪れることはありませんが
その代わり繰り返しの日々はなく
行く道の変わり目というポイントと言えば
実は日常的に溢れていると言っても過言ではありません。

「アンスクーリング」という「自由」は、楽ちんとは違います。

そして子ども自身の成長に伴い「アンスクーリング」自体の姿も変わるようです。

なぜなら
自由であるということは刺激が多く
自由であるということは選択肢も多い
自由がゆえに焦りが生じる時もあるし
自由に苦しめられることも、実はあるのだな、と長男を眺めています。

アンスクーリングという環境に身を置くことは
自分の好きなことをして過ごすという魅力と共に
自分で悩んで、自分で迷うという状況を産むことがあります。
でも実はそれはこの先、自分の生きる道を進むために
自分で考えて選ぶ、という練習を
日々繰り返しているのではないかと感じる毎日です。

長男がこれからどうなるのかは
ハッキリ言って全然分かりません。笑

というか、どの子のことも分からない、
というのが今のところの親としての認識です。

でも、やはりそれに対して
私や夫、聞いたところ長男本人も
例えば10歳の次男についても
未来が不安でたまらない、という事はないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?