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人生をどう生きるか。 そういうこと真剣に考えてます。 私たち家族は、生きることに夢中で…

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人生をどう生きるか。 そういうこと真剣に考えてます。 私たち家族は、生きることに夢中で 自分に正直に、幸せであることをモットーに暮らしています。 人生は「破壊と創造」を繰り返しながら生きる私たち家族に 揺れ動きながら、美しい景色を見せてくれます。

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あまりにもちっぽけで、果てしなく寛容な私とあなたのための「新・今生論」

ー「変わりゆく時代、置き去りになる心」ー 今どんな気持ちですか? 私はどんな気持ちだろう。 生きていく上で身体的な健康と共に置き去りにすることが出来ない 「心」の在り方。 自分の中をクリアにした時、自分の中に残る感覚はどんなものか。 感じ取ることができますか? タイトルにある今生論は、 昔からこの国に深く根付いている「根性論」という言葉から ヒントを得ています。 あの頃、あの時代、「根性があれば」何とでもなる、どうにかなる と言われた事も今という時代を生きる私たちに

    • 立春大吉

      今日は2月4日。立春。 暦の上では「春」となる日。 そして旧暦になぞらえてみれば、立春正月。 日本では、千年以上も旧暦が使用され 立春のこの頃が一年の始まりだったようだ。 ちなみに今の新暦が入ってきたのは、明治。 あれもこれも西洋風情にして日本古来の季節の言葉などは 少しずつ日々の生活から離れていってしまったのだと容易に推測できる。 そんなことを嘆いても、今の私にはそれを覆す力はない。 でも少しずつでもそういう昔の名残を生活に取り入れながら 子供達にも伝えていきたいと思って

      • LIFE IS JOURNEY【人生を旅する家族】

        久しぶりの投稿です。 前回までとは関係のないものになりますが 書きたいことを書いていこうと思います。 今日、10月15日。 15歳になる息子が北海道へと旅立った。 とはいっても3泊4日の旅である。 一人旅ではなく、「ひょんなことから」と言えばそうで 「なるべくして」と言えばそう…。 そんな関係で知り合った獣医さんと二人で行っている。 (この辺りはまたいずれ詳しく書きたい…) 旅を決めるまでにその先生に会ったのは たった2回。 それも1年と少し前のこと。 病院とは全く違

        • 「アンスクーリング その6」次男編「職種 農家」

          次男は現在10歳です。 学年にすると小学校5年生です。 (もちろん行っていないので本人の中では自分が何年生だったか、 なんていうことは忘れてしまうし、家族もみんな忘れています…) 小さい頃から植物を育てる事が好きで ハーブや花、樹木、そして今は野菜を育てています。 自宅のそばのお寺の土地をお借りして 全て種から育てる野菜作りをしています。 基本的に食べるものも菜食思考なところがあります。 それもあってか熱心に野菜を育てています。 農家といっても農家さんに弟子入りしたわ

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        あまりにもちっぽけで、果てしなく寛容な私とあなたのための「新・今生論」

          「アンスクーリング その5」次男編「職種 衛兵」

          先日、note創作大賞2023に応募させて頂きました。 少しこれまでのものとは異質な雰囲気こそあるかもしれませんが 私の中にある生き方が書かれていますので、良かったらどなた様も覗いてみて下さい。 さて、6月はなんだか予定通りに行かぬ事が多く 7月に入り立て続けに旅に出て、創作対象の締め切りに間に合うようにと 文章を作っていたところ 通常のnote更新ができずに来てしまいました。 また、改めてここで私たち家族の生きる様を綴っていきたいと思います。 今回は長男編に続き、現在1

          「アンスクーリング その5」次男編「職種 衛兵」

          「何もない母の日」という喜び

          つい一昨日は「母の日」でした。 我が家は自宅から離れ、京都府に滞在していました。 用事があってこの日は京都にいたので 母の日とは縁がない年になるだろう、とは思っていました。 でも蓋を開けてみればこの「何もない母の日」というものが いかに価値があったのか、と思い知る事となるのです。 さて、「おっといけない、母の日だった!」と夫が気づいたのは もうその日の夕方のことだったようです。 昨年の失敗もあり、うんと前から手帳に書いていたにも関わらず おっちょこちょいがご愛嬌の人なの

          「何もない母の日」という喜び

          火を使うこと、と、生きること

          突然ですが、我が家は注文住宅です。 五年前に建てたのですが、大きな過ちをおかしたと思っていることがあります。 それはキッチンをIHにした事です。 個人的な意見ではありますが、やはり直火にはかないません。 そして、この5年の間に我が家は火の虜となったので 尚のことキッチンも直火にすべきだったと思うのです。 とはいえ、庭先で焚き火をして調理したりなんかして 火と付き合っています。 結果それがちょっとしたご近所トラブルになり 「禁じられた(火)遊び」となった訳です。 なんで

          火を使うこと、と、生きること

          「アンスクーリング その4」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男③」自由は時に…、自由だからこそ…

          この学力テストを受けたことはとても参考になる結果を与えてくれました。 得意な分野における、苦手ポイントの把握、 そして、国語では読解力のパワーの大きさを知ることになりました。 高卒認定試験というのは学力の範囲としては おおよそ高1レベル程度まで 合格ラインは40点から60点と、難易度として見たときには 「非常に高い」とも「高い」とも言い難いものだと言えます。 理科社会は苦手分野に特化することで勉強時間を短縮する事が出来るし 国語に関しては高認試験の過去問題をある程度解いて

          「アンスクーリング その4」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男③」自由は時に…、自由だからこそ…

          「アンスクーリング その3」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男②」本を読むこと

          長男の大きな特性と言える事が「よく本を読む事」だと思います。 私から見ると、これが長男の学業面に大きく影響してくるような気がします。 もうこれで2年間、勉強らしい勉強もせずにきた長男ですが、 昨年末、学校からの進めもあり一度だけ市内の学力テストを受けました。 5教科あったのですが、受けたのは 「理科」「社会」そして「国語」です。 英語と数学に関してはやはり積み重ねが必要な教科であるがゆえに さすがに本人が受けることに意味を感じないというのでやりませんでした。 理科、社

          「アンスクーリング その3」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男②」本を読むこと

          日々特殊と異常を楽しむ。それが私たち家族の「幸せで普通な生き方」

          所謂「一般的」ではないのだろう、と自負しているのですが 我が家にとっての「普通」は、世間一般には「特殊」だと思います。 我が家は初めから特殊であったかと言えば、 やはり私の意識改革があってから大きく変わっていったことと、 少し変わり者、いや、大きく変わり者の夫の存在が大きいと思います。 子供の育つ環境は親子で作る家庭のあり方に 大きく変化されるものだということは身を以て痛感している次第です。 そして何が正解で不正解なのかは死ぬ時まで分からないことなのかなと思いつつも 私た

          日々特殊と異常を楽しむ。それが私たち家族の「幸せで普通な生き方」

          「アンスクーリング その2」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男①」

          長男は14歳です。 今年は同級生たちは受験生。 中3です。 アンスクーリングなのでフリースクールなどに通うこともなく 地元の公立中学に籍を置き、中学校とは良い関係を築いています。 通常の登校自体は一度もしたことはなく、学校から連絡をいただいては 校長室へ参じるというスタイルです。 そして近況報告を行いながら、学校としてどんな関わりが出来るかといったお話を ご提案頂いたりしています。 中学校側の柔軟性のある対応に感謝しながら 我が家ペースのお付き合いをさせていただいていま

          「アンスクーリング その2」14歳 長男編「全く勉強してないけど、高校も行かないけど、大学は行くと決めている男①」

          「アンスクーリング その1」朝食を作らない母親。子供だって眠い日もある、お腹が減らない日もある。

          前回の投稿で、子供達がホームスクーリングという ひとつの選択をした事を書きました。 実はホームスクーリングにも種類があります。 学校のように時間割を決めて学業や習い事をするものや フリースクールなどに通ったり、机に向かい勉強するものなど 確定的な決まりはないのですが、「一定のやる事」があるタイプと 「どこまでも子供が主体であり、制限をしない」タイプがあります。 後者のようなタイプのホームスクーリングを 「アンスクーリング」と言います。 アンスクーリングについては 「あく

          「アンスクーリング その1」朝食を作らない母親。子供だって眠い日もある、お腹が減らない日もある。

          ホームスクーリング=「戦略的不登校」息子たちが選んだ生き方

          幸せになることをきめた私。 そして私と共に歩んでいる家族。 ここからはやっと本題の家族の話に入りたいと思います。 我が家が一般的な家庭と大きく違うところとして分かりやすいところは 子供達が学校へ行っていないことでしょう。 我が家ではこれを「戦略的不登校」と呼んでいます。 海外に目をやると我が家のようなスタイルは 「ホームスクーリング」と言います。 国によっては義務教育と同じようにひとつの教育方法として認められている国もあるようです。 しかし日本には学校へ通わないスタ

          ホームスクーリング=「戦略的不登校」息子たちが選んだ生き方

          そういう私に惹かれるか否か、それは相手の問題。だからもう自分を偽らない。

          自分と向き合うという「産みの苦しみ」を味わい 自分の生き方を真剣に見直す時が来ました。 まず大きく動いたことは、離婚でした。 過去にも何度となくそのような話が出ていたにも関わらず「子供のため」「生活のため」とは言いつつおおよそ「世間体」と,さまざまな理由をつけては婚姻関係を継続させることに必死でした。 しかし,本当のところ私は限界だったし, それは相手側も同じ思いであっただろうと思います。 一般論に乗じて結婚生活を続けていただけです。 諍いや軽蔑,不安と怒り,虚しさ悲しさ

          そういう私に惹かれるか否か、それは相手の問題。だからもう自分を偽らない。

          本当は変人になりたかった!と思っていた、本当の私

          「幸せになるんだ!」という事を決意して、人目とか協調性という類の同調圧力からの本当の意味での脱却を目指し始めた私、あの頃34歳とか35歳でした。 ずっと、自分は意思を持って生きてるいるつもりではいたのですが、やはり現実の満足感とには大きな隔たりがあり、違和感に苦しみ続けていた時間って、結構長かったと思います。 「本当の意味で自分の本心と向き合う」 そういう作業がドカンと、抜けていたように思います。 子育て中で、当時ワンオペ状態でした。 更には自分で生きていこう!!と思っ

          本当は変人になりたかった!と思っていた、本当の私

          「幸せになりたい」それって、悪いことなの?キッツイ同調圧力からの脱却!

          「幸せになって何が悪いの?」って、シラフで言うと恥ずかしくて…。 「自分が楽しく生きていたい!」って、心底言うとヤバいやつって思われる…。 もしかしたら私だけの被害妄想かもしれないけれど 少なくともここ数年の多様性なんていう 「多面的な視座」が公に設けられるまでは そんな風潮って強くあったと思います。 だから、恥ずかしい人にならないために、とか そうやって思われないように、とか 自分を守る為に知らず知らずのうちに身についていたことは ヤバいやつ認定されない為の「処世術」み

          「幸せになりたい」それって、悪いことなの?キッツイ同調圧力からの脱却!