岐路に立つ介護支援専門員 業務範囲の明確化で「愛されぬ専門職」になる懸念も=高野龍昭・・・という記事の紹介です。
ケアマネのシャドーワークなど業務の範囲を整理する検討会が定期的に行われる事になっていて、そこでの議論の結果によって今後のケアマネの業務範囲について明確な区分けがされそうな感じなんですけど、僕自身が不勉強だったので『愛されぬ専門職』という言葉は初耳でした。
この記事を読んで、そもそもなんだけど、ケアマネジャーってソーシャルワーカーの位置づけでいいんだっけ?介護保険の手続きの代行屋さんだっけ?・・・と、シャドウワークがどうのこうのという議論が巻き起こっている時点でちょっとよくわからなくなってきてしまいました。
過去には、ケアマネさんから自分は介護職じゃなくて事務職です、とまで言われた経験があるので、ケアマネの専門性という物については、この検討会議でしっかりと議論されて、ケアマネの専門性とはこうだ、だからケアマネの業務範囲はこうだ、と明確に打ち出してもらいたいなぁと思いました。
いやぁ、僕は初耳だったので勉強になりました。
ただ、ソーシャルワークの歴史を学ぶ際には必ず学ぶという事であれば、ケアマネの研修でも出てくるキーワードなんだろうか・・・と思いましたが実際はどうなんでしょうか。
いまから60年ほど前に指摘されたキーワードのようです。
アメリカと日本を比較した際に、アメリカで起こった事が50年遅れで日本でも起こる、というような話を昔聞いたことがあるので、そういうタイミングとも合致しますね。
本人を取り巻く環境なども含めて個別に検討・対応するのが基本で、根本的な改善やQOLの向上を考えた時に、それは必然だとは思うのですが、対処療法的な感じの対応がもてはやされて本質的な評価がされてなかった状態で、結局専門性が発揮されていないという状況だったようですね。
ソーシャルワーク本来の業務を怠るようになっていました。
こういう状態がアメリカでは60年前に起こっていて、おそらく今の日本がそのような状況と似たような状況にあるという事なんだろうと思います。
実際、在宅での生活について、家族やケアマネが限界を感じたら、結構あっという間に施設に入所してしまうケースはよく見てきました。本人の同意や納得が得られてのケースは希少と思います。
制度的な限界もあるでしょうし、社会資源の限界もあるでしょうが、そういう足りない部分がある事を表に出して行政と一緒になんとかしていく、地域と一緒になんとかできないか検討したり工夫したりするのがソーシャルワークだと思うのですが・・・実際は、そんな取り組みは難しいですよね。
ケースワークは死んだ、というパールマンの事については、以前研修の準備で書いた記事にも出てきました。
なるほど、当時のケースワークが社会改善を忘れいていた部分について批判した内容でした。
ケースワーカーは、もっと社会的な視点や責任をもって人々の生活や環境をよくすることに貢献すべき、という主張で、こういう主張によってケースワークの在り方や専門性が見直されたようです。
歴史的には、社会的な視点をもって生活や環境をよくしていく事に貢献する事こそがケースワーカーの専門性であると言えそうです。
ソーシャルワーカーが、自らの専門性の領域を狭めた事についての批判のように思いますし、その現象は正に今、日本のケアマネのシャドウワークや業務範囲の議論が行われている状況の中で発生しているのだと思いました。
しかし、既に60年前のアメリカで解決して答えが出ている事について、日本で遅れて議論している状況というのを見ると、歴史から学ぶという事をまったく考えてないのだなぁと思い残念です。
こういうケースワークの流れは知った上でやってると思うと、なんで?と思ってしまいます。
ケアマネジメントの原型というのがあったのも初耳ですが、上記の引用が本当であれば、いよいよ今の日本で何の議論が起こっているのかわからなくなります。既に解決積みの課題なんじゃないの?・・・と単純に思ってしまいます。
ノーマライゼーションの実現や自立生活の支援にも効果がある唯一無二の支援システムであることが認知されていきます。
これ、資格取得の段階でみんな知っている状態だとしたら、何で自分たちで逆行するような議論をし始めているのかよく分からないですね。
実際には、医療や社会福祉サービスのプランニングのみならず、クライエントの状況によって、たとえば障害年金や各種補助金の受け取りに向けた金融機関の口座開設も支援します。
また、様々な行政手続きの方法、スーパーの店員とのコミュニケーションの取り方、掃除や洗濯の仕方など、日常生活をうまく送るための具体的生活行為の助言を、専門分野であるかどうか、業務内か業務外かといったことを問わない形で行います。
上記引用がノーマライゼーションの実現や自立生活の支援に効果がある事例だとすると、ケアマネがシャドーワークだと事例を挙げている内容が結構含まれているんですよね。
制度的に介護保険という枠でくくってしまっているが話をややこしくしているのかなぁ。
こういう流れの中で、日本にもケアマネジャーという制度として入って来たという事を考えると、専門分野であるかどうかとか業務内か業務外とかをいちいち考えている時点で流れから逆行しているし、専門性を退化させているような気がします。
日本のケアマネは、海外のケアマネージメントとは違うんだ、と言われればそれまでですけど、どうも日本人というのは人権意識が低くて平気で人間魚雷や特攻とか考えてやってしまう民族なので、こういう基本的人権に大きく関わるような内容については、海外の歴史や事例から学んでちゃんと取り入れた方がよいと思います。
日本で独自に作り出すと、個人の尊厳より組織とか国とかに忖度して個人の尊厳を軽視するような制度にしかならないような気もしますし、実際、現状の介護や医療の状況を見ても、国の方針が社会保障費用の削減を大きな柱にして掲げていますので、国民の生活や健康よりも、経済や財源が大事なわけで、それって本当はおかしな話なんですけど、日本の国民性でこうなっていると思うんです。だからその辺りの常識が変わらない限りはどうしようもないと思うので、このケアマネの専門性や業務範囲の議論についても、ある意味どうしようもない事なのかもしれません。
あぁ、これが専門家だなぁと思いました。
ゴキブリを退治できる事がすごいのではなくて、ルールではないがゴキブリを退治できない事のより悪影響をしっかり考えた上で本人の精神症状を悪化させない対策としてゴキブリ退治をした、という説明が出来る事が素晴らしいと思いました。
この対応により、ゴキブリを退治せずに放置して症状が悪化してしまい入院してしまった場合の医療費の削減にも貢献しています。
そして、こういう対応をするのが当たり前だ、と胸を張れる事も素晴らしいですね。
日本だとどうだろう・・・こういう対応したとして、おそらくですけど地域ケア会議とか職場の会議とかで怒られたり否定されたりするんだろうなぁ・・・なんて思いますし、そもそもこういう対応をした事を表に出せないような雰囲気があるようにも感じています。
本人に失敗経験をさせない、という取り組みや支援は本当に素晴らしいと思います。
実際、そういう経験から精神状態が悪くなっていく方は多く、結局介護保険ではそれは出来ない、という対応が、そういう失敗の経験を生み出してしまって、結果として要介護状態を悪化させている状況を生んでいる可能性があるわけで、そういう事もちゃんと考えるべきだと思いますし、やはり現状の日本で行われているソーシャルワークというのは、60年前のアメリカで行われていた事と同じような状況になっているような気もします。
本当に60年前に起こっていた事を日本でも繰り返すような形になっていきそうですね。自らの専門性を制限してしまうというのは、ソーシャルワークの専門家としては致命的な気もします。
社会的評価が下がるという事は、資格そのものの価値を下げる事にも繋がるんですよね。
これ、僕も同感なんですけど、実際にケアマネの中には手続き代行業だと思っていそうな人もいるような気がしてて(ほとんどのケアマネさんはそうじゃなくて、SNSでいろんな不平不満や文句を発信している一部の方の内容を見ているとそう感じます)、ケアマネの更新研修とかが作られた意味についても、単なる代行業じゃないんだよ、というメッセージが含まれているのであれば、既に社会的な評価が下がっていたので、ちゃんとソーシャルワークの専門家として一定基準以上の知識や専門性を身に着けてもらうために必要な位置づけであったとすると、その研修のボリュームやいろいろな課題は別の問題として、歴史を繰り返さない為の対策だったのかなぁと前向きな評価も出来そうだなぁと思いました。
これからシャドーワークについて色々議論されて明文化されるとは思いますけど、そこが明暗の分かれどころかな、と思います。
僕個人としては、上記引用のように柔軟に本人に必要な支援を必要なタイミングで対応できて、その根拠と効果が説明できる専門職がいいですね。
ソーシャルワークとは、やはりそういうもんだと思います。
あとは国や厚労省の姿勢の問題ですけど、その辺りは様々な意識改革や政治が絡んでくるので簡単には行かないでしょうが、こういう意見を発信していく事は重要と思います。
特に人手不足が確実ですので、業務過多で余裕がなければ対応にも余裕が持てませんので、そのあたりの改革は必須だと思います。
本来のソーシャルワークが出来る業務上の余裕を今のうちに作っておかないと、もうどうにもならないと思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?