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詩|上がり框

(すき間が生まれぬように細心の注意を払う)ガラガラガラ。古い玄関の引き戸が開き、閉まる。茶の間から玄関までは見通せるが、少し離れている。これが子と母の距離。

昔。義母への恐怖が、家業の忙しさが、ベーチェット病という難病が、あるいは本人の無自覚が――。阻まれた母性があった。

年をとったので気をつけながら、ゆっくり車で走ってくる。ドゥルルル、ドゥルルル。やがて遅いエンジン音が止まる。ガラガラガラ。古い玄関の引き戸が開き、閉まる。

よっこらしょ。上がりがまちにバスケットを置き、母もそこにすわる。取り出し、並べる。オレンジジュース、コーヒー牛乳、なすの漬物、トマト二個、カット野菜、一人用ジンギスカン等。

<これはすぐ冷蔵庫に入れなきゃダメなものなの><上がっちゃダメかい?><ダメ、そこでお願い>。申し訳ないけれど。病棟でクラスターが起きたこともある。

この距離は、コロナ禍がつくった隔たりの距離。母と子の間に昔からあった物理的距離(子は精神を病んでしまった)。いま少しでも正されようとしている距離。一時的な帰省なのだ。又病院へ帰る子のために、母はマスクをしている。そういえば難病で喉に激痛を抱えていた頃も、いつもマスクをつけていた。辛そうに。

母の掌を見ると、間違いだらけのしわ。横に逸れてはねている髪。ずれているエプロン。それでも思いつく限りその場の善を生きてきた。それが徳だと思う事。姑に慄くあまり、ふつうの考え、ふつうの子育てを、ついに成せなかった母。間違いに委ねきった腕。それでもがむしゃらに信じ切った小さな体。

<――ちょっと来て><いや、そこに取り出して置いていってよ>もっと間違いに委ねてもいいじゃないか。本当はね。いま本当の母は上がり框にいて、母性だけが上がって冷蔵庫を整理してゆく。人生の嵐の時期は過ぎた。義母も夫もこの世を去り、長男は家庭を築き、嫁と三人の孫と同居する生活。昔の教訓か、姑となったいま小さい体をより小さくさせて暮らしている。

本当の母にとって子は、いつまでも母乳をやっていた距離だったらしい。想い出すように、掌のしわの中でトマトが踊る。母は若い頃、物、物、物、を食卓に並べていた。子から見たら本当は、母、母、母、であってほしかったもの。

いま隔てられた距離の中、ちょっとでも子に近づくようにと、すわったまま、丸まった小さな体と短い腕を精一杯伸ばす。きゅうりの漬物が入ったタッパを、上がり框からできるだけ遠くに押しやる。隔たりが埋まるように。子にとって足りないのは記憶の中の子どもだった。

母は上がり框に、子、子、子、子、を並べている。子が見るのは、母、母、母、母。それじゃ、また何か欲しいものがあったらメール入れてね。ガラガラピシャッ。玄関が閉まる。(すき間が生まれるように注意を払わぬふりをする)。ドゥルルル、ドゥルルル。子は母をとりに行く。母の掌に、また新しいしわが刻まれる。


(新聞『室蘭民報』紙  四季風彩欄掲載改  R5.12.16付)

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