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【エッセイ書こ!】深夜

ラジオやポッドキャストの遠くの誰かが話してくれるようなお便りコーナー、長年過ごしていたはずなのに知らなかったぽろりと出る友人の聞いたことのないエピソード。
そういうのが大好物だし、意外性があってもっと聞きたい!!
ということで、そういうエピソードをとにかく収集したいと思って企画しました。
とにかく、普段文章を書いている人、いない人、久しぶりに書く人、誰でも文章力、文章作法などにとらわれず自由に書いて欲しいです。

そんな、拙い誘い文句でエッセイを募集させていただきました!
二回目となる今回は「深夜」。やっぱ創作をしている人にとって、深夜は特別で多感で、妙に記憶に焼き付く静かな時間帯ですよね。
というわけで、早速集まったエッセイという名の思い出に触れて行きましょ~!
寄稿してくださった皆さん、本当に素敵なエピソードたちをありがとうございます!
読んでいて、深夜と一言でいっても色々あるんだなと思わされるばかり。どれも情景がありありと浮かぶ、きらきらとした文章でした。

あ、お名前のほうは敬称略させていただきますね。
ロゴの方は左手さん(@hidari10z)に作ってもらいました!


眠れぬ夜の過ごし方/あおきひび(@hibiki_livelife)

 眠れない夜は、誰しも不安になるというもの。
 眠れない理由はきっと人それぞれです。大事な発表が翌日に控えている人。将来への不安を抱えた人。漠然とした焦燥感に苦しむ人。日々の味気なさからずるずると夜更かしをしてしまう人。理由はなくとも、なんとなく寝付けないという人もいることでしょう。
 それに、「眠れない」こと自体がさらに不安や焦りを呼んで、さらに眠れなくなることだってありますよね。不眠症の人なんかは、特にそうなのではないかと思います。

 眠れない夜、あなたはどう過ごしていますか。私は本を読んだり書き物をしたり、音楽やラジオを聴いたりしています。それで安心することもあれば、全く落ち着けないこともあります。成功率は五分五分といったところでしょうか。深夜とはままならない時間帯です。

 その一方で、深夜の魅力といったものも確かにあると思うのです。しんとして静謐。街も人も寝静まった、一人きりの時間。そこでは誰もが孤独を享受することができます。月明かりや街灯の光、それにテーブルライトの小さな照明だけが、私の輪郭をなぞっています。

 数年前に、真夜中を舞台とした短編小説を書いたことがあります。眠れない少女と不思議なおねえさんが、深夜の住宅地を散歩するお話です。そこには、「眠れない人に優しく寄り添う真夜中があってほしい」という、自分自身の切なる願いが込められていたように思います。

 眠れない夜に、誰かと孤独を分け合うことができたら。そんな願いとともに、私はそっと物思いに耽ります。
 あなたはどうですか。眠れない夜、あなたはどこで何をしているでしょうか。遠くに思いを馳せながら、私はしずかな深夜を過ごしています。

・あとがき

深夜は多感になる時間。なので、ちょっぴりメランコリックな感情について書いてみました。眠れない夜に絶望したりせず、「さあ今日はどの本を読もうか」くらいのメンタルで向かうことが当座の目標です。

・コメント
優しい手紙のような文面に、淡く月明かりに浮かぶ姿が見えてくるようでした。眠れない夜を物語にして自分を救うなんて、素敵すぎます。
もし完成したら、そっとここからリンクを飛ばしたいものです。お姉さんに甘やかされたい……

北への引力/梛(@cikisanis)

 大学生の頃、雪国に住んでいた。
 12月の半ばごろにはアスファルトが姿を消し、除雪車が道路の端に雪を背丈より高く積み上げて車線が1つ減り、小さな子供はソリに乗って親に引きずられる。そんな街だった。
 修士課程2年の冬。雪が積もっていくのと同時に、修士論文の発表と本稿の提出期限が迫ってくる。デッドラインは2月だった。それにも関わらず、私は年が明けても実験棟に通い、電子顕微鏡で細胞とにらめっこをしていた。当然、大学にいる時間は増えていって、日が暮れて実験が終わり、大学構内のコンビニで夕食を調達し、研究室に戻って食べて、PC作業に取り掛かる……という冬を過ごしていた。
 最低限の生活リズムは維持したくて、だいたい日付が変わる前には家に着くようにしていた。それでもある日、調子が良くて作業が長引いて、研究室を出るときには午前零時を回っていた日があった。
 帰り道。夏は芝生、冬は雪原の真ん中を貫く道を歩いて家に向かう。雪が降っていたが、風はなかった。吐く息は当然白く、マフラーから出てしまった耳の先が痛い。道を外れた地面、葉を落としたハルニレの枝、冬には使われないテニスコート。周囲の全てに均等に、やわらかい雪が粉砂糖のように降り注いでいた。日付が変わっているため、あたりに人はおらず、終電の時間も過ぎていて、車もほとんど通らなかった。
 ふと、立ち止まってみる。
 足音と、マフラーと耳が擦れる音がしなくなる。
 自分の呼吸以外の音が消えた。
 そのとき思ったことを日記に記録していたので引用する。

 20XX/1/3 恐ろしいものは美しい。 ということをXX学部からの帰り道に思った。 誰もいない外で、赤くなった空に、しんしんと降りしきる雪。足跡の上に雪が積もった地面に、枝が白くなったハルニレの木。 ここの一晩いたら死んでしまうことだってあるのに、洋服とか暖房がなければ大変な寒さなのに、美しかった。 命を奪いかねないほど危険だからこそ、美しいのかなと思った。
※「X」の部分は敢えて伏せ字にしています。

 あれから数年が経った。私は現在、引っ越すまでは縁もゆかりも無かった静岡県に住んでいる。静岡県は北部に大きな山岳地帯が位置している影響で、雪がほとんど降らない。車社会でスタッドレスタイヤが不要なのはとても楽だし、雪かきをする必要もない。例え電気が止まっても凍死する可能性は極めて低いだろう。冬を過ごす難易度はかなり下がった。

 それでも私は、雪が全ての音を吸い込んだような、静かな冬の夜にどうしようもなく惹かれている。

・あとがき

 北国の冬の夜も最高ですが、夏の涼しい夜も超最高です。風の匂いがとてつもないエネルギーを内包していて、背中がざわざわと騒ぎ出して、居ても立っても居られなくなる感じがたまらないんです。  あと、「雪が積もると暖かい」は本当です。

・コメント
厳しさにさらされているものや、削ぎ落とされているもの、適応されているものはどれも美しいのでしょうね。
雪は厄介だと言いつつ、やはり美しいと言われ親しまれている所以をこの文章に見た気がします。目に浮かぶ情景描写、まるでフィルムが回っているようでした。

似たもの同士/柊とち(@tochi2go)

 もともと夜行性、ということもあり、深夜は好きだ。
 友達が少ないとはいえ、合宿だったり、お泊りだったり、なんとなくぼうっとしていたら夜が明けていたこともあるし、仕事で夜を明かしたこともある。
 その中でも、一つ思い出す夜がある。
 それは、大学生の頃。友達の家に泊まったときのことだった。
 その頃、よくピザパ(某ピザ宅配店に行くと二枚貰えた)や、タコパ、鍋パと称して、私を含めた三人は、狭い友人の家に押しかけ、覚えたての酒を飲み、駄弁っていた。
 パーティーと名が付いているけれど、実質はパーティーではなく、ただ喋ってダラダラしているだけのものだ。
 もちろん、大学生の一人暮らし。布団は一つしか無いので、雑魚寝、もしくは寝ないかの二択だった。
 早くに寝落ちた家主である友人を起こさないよう、もう一人の友人、仮にAとしようか。Aと私は、ひそひそと部屋の隅で場所を取らないよう膝を抱えて話し始めた。
 深夜というものは、魔の時間帯というもので、当時遅刻が多く単位がギリギリだったAとの話題は、どんな経緯かはわからないが生き辛さというものになっていった。
 互いが互いに、それなりに楽しそうに生きていると思っていたが、友人になった時点でなにか感じるものでもあったのだろう。妙に納得しながら、互いに、だよね、と肯定し、経験談をひそひそと話しは続いていった。
「私、昔リストカットしてたこと、あるんだよね」
 こんなこと、誰にも言えなかった。私は、高校生の時にリストカットをしていた。特に大きなきっかけは無かった。
 楽しいこともあるにはあったし、勉強はそんなにできなかったが志望する大学の判定はそんなに悪くはなかった。時折、親との衝突で悩むことはあったものの、決定打ではなかった。
 でも、なぜかとにかく息苦しく、発作的なものに見舞われると、どうしようもなくなって、学校でも、どこでも、そっと忍ばせておいたカッターで左手を切る。そんな日々が続いていた。
 そうやって、切ったところからぷつぷつと滲む血をみると、体の中の破裂しそうな空気がそっと抜けて萎んでいくように、ほっとしたのは、今でも鮮明に覚えている。
 だから、リストカットをしてから長袖しか着れなかった。ワイシャツの左手の部分は、どんどん赤くなっていって、気づいた親にやめるよう怒られた。
 それでも、大学へ入学する少し前、やめようと決心した。これにも特に大きなきっかけはなかったが、新生活への希望だったのかもしれない。
 結局、赤い瘡蓋たちは消えたものの、切り傷の痕はしっかり残ってしまった。
 Aだったら、受け入れてくれる。そう感じた自分は、打ち明けていた。 「知ってる。左手だよね」
 Aがそう言ったことに少なからず驚いたが、同時に安心もした。  知っていて黙ってくれていこと、きっと他の人にもバレていたこと、いろんな思いが去来して、処理しきれなかった。でも、そんな思いもつかの間、「私もだよ」と、Aは左手ではないところを、服をめくって見せてくれた。彼女も誰かに言いたかったのかもしれない。
 肘の近く、膝の付近、腿。意外なところばかりだったが、見覚えのある切り傷の痕。
「私は、痕が残ること知っていたから」
 Aも同じ。いや、私より衝動的じゃなかったし、賢かったというべきだろうか。
 ただ、そうなんだ、と頷いて、私達頑張ったよね、なんだかんだ生きてるよね、こうして会えて話せて良かった、と称え合った。
 死にたいからリストカットをしたわけではないし、誰かに何かをしてほしいわけでもなかった。そのことまで同じだった。
 同じことにどれだけの価値があるかは知らないが、その後、何度もこの夜の会話を思い出すから、きっと知らず知らずのうちに救われていたのだろう。
 その後の話したことはは覚えていない。
 ただ、寝落ちた友人Bが明け方過ぎに起きてきて、話したことを伝えると、あっけらかんと「私は痕が残ると思って、爪で掻き毟ってた」
 その時は肌がボロボロだったとのことらしい。
 なんだ、全員精神病んでるじゃん、もっと早く言えばよかった、と笑い合いながら、また腹が減ったと、食べ残した冷たくなったピザと飲み残した酒を飲み直しながら、また何にもならない話しをして、気だるい体を引きずりながら、翌日の授業に出た。
 そんなAは、今、LINEからいなくなって、連絡を取れなくなってしまった。
 今何をしているだろうか。その時、Bと一緒に、はがきを送ろうと言って、なんとなく文面が思い浮かばないまま、半年ほど経ってしまっている。  私より賢いから、きっとどうにかして生きている、そう思いたい。

・あとがき

類は友を呼ぶ、じゃないけれど、似た者同士だったという話しです。
Aとは卒業してからもしばらくは、時折連絡を取っていたけれど、去年気づいたらいなくなっていました。 ほとぼりが冷めれば連絡してきてくれるのでしょうか。
でも、そろそろどうでもいいことを話したくなってきたので、連絡を取ろうかと思っています。

薄明/える(@mmnt_m0r1)

 深夜と聞いて、思い出す出来事がある。
 高校生の頃、知人と散歩をした。私は過保護な親の元で育ったため、深夜に出かける、なんてことは後にも先にもその一度だったと思う。家族が起き出す前に帰ってくれば完全犯罪だ、そう考えて私は家を出た。Tシャツとショートパンツを着ていた記憶があるから、きっと夏の出来事だったのだろう。  知人は中学校の同級生だった。私は彼のことを何回か好きだった。散歩した時は、恋愛感情の好きではなかったように思う。散歩に誘われて、単に友人として応じた(だから軽装だったのである)。
 彼は自転車で私の家まで来た。彼は私に、自転車の後ろに乗るよう言った。サドルの後ろの金属部分に私は座ったが、どうにも身の置き方が分からなかった。彼は自分に掴まれと言うが、私は同性とさえ身体が密着するのが苦手で、彼に掴まるなんて到底できず、私は自転車を降りた。二人乗りにもある種のテクニックが必要らしい。結局、自転車を押す彼と並んで、近所をそぞろ歩いた。
 暗い中、田んぼの中をまっすぐ伸びる道を歩いた。どんな会話を交わしたか、あまり覚えていない。一つだけ覚えているのが、ぐうと私のお腹が鳴って、お腹鳴ったー、とか何とか言ったら、女子なんだからあんまりそういうこと言わない方がいいと思う、的な言葉が返ってきたことだ。私は未だに腑に落ちない。女子だからといって、生理現象の何を恥じる必要があるのだろう?
 私と彼は、性格が全然合っていなかった。私が内向的で、感情より理屈を優先する人間なので、逆説的に、彼は外向的で理屈より感情を優先する人間なのだろう。
 そして今だから思うが、私が彼に何回か向けていた感情は、恋愛感情として正しくなかったように思う。私は人間の感情に疎く、自分の感情さえ理解できていないけれど、この年になってやっと推察ができるようになってきた。思うに私は、彼を好きだった一回目の時――つまり名目上私と彼が交際していた時に、本来受け取るべきだった、彼からの恋愛感情をずっと諦めきれなかったのだ。だから、何回も「好き」になってしまった。彼に私のことを好きになってほしいと、何回も思ってしまった。彼はカスみたいな人間で、他に好きな人がいるのに私で妥協したようなカスみたいな人間で、根本的に私と違うタイプの人間だと認識できて初めて、執着を手放すことができた。
 深夜の散歩は、ロマンティックなことは何一つ起こらなかった。家の近くをぶらぶら歩いて、数日後には忘れてしまうような他愛のない会話をして、コンビニでアイスを買って食べて、そして家に帰った。けれど、家に向かう途中に見た、薄明るい空を今でも覚えている。その白い空だけが、彼との綺麗な思い出だ。

・あとがき

自分についての文章を書くのは初めてでしたが、過去を見つめ直す良い機会になりました。

・コメント
色んな意味でもうしないであろう自転車二人乗りや、深夜のコンビニのアイス、親には内緒の完全犯罪。ロマンチックなはずなのに、なりきらないのはデリカシーのない彼の言葉のせいですね。気が抜けるような、むかつくような。
遠回りして、もだもだしている感じが、あぁ、それでも恋だな、しみじみ。
それでも、綺麗な白い空を思い出すと言うことは、彼といた時間は大切なものだったんだな、と感じました。

深夜高速/水畠聖子(@wakuwakuwahhoi)

 フラワーカンパニーズの「深夜高速」という曲をご存知だろうか。
 かなりの名曲ゆえ、知らない人は少ないと思うが、もし聞いたことがないのなら、ぜひサブスクなりで一度聞いてみてほしい。
 今回のエッセイのテーマは「深夜」だそうだが、このテーマを聞いて私はこの「深夜高速」を真っ先に思いついた。
 この曲と出会ったのは高校二年生ぐらいだったと思う。高校生というものは非常に多感であり、かつ脆く、大人でも子供でもないという流動的なモラトリアムを預けられる世代である。高校生の頃の私は、まさにそのような典型的な青い悩みを抱えていた。
 小学校一年生の夏合宿から高校三年生のインターハイが終わるまで、計十二年間剣道を続けていた。自分で言うと何やら鼻につく感じがするが、中学校である程度の成績を収めたので、高校でもそこそこの強豪校に進学した。  しかし、私は剣道が別に好きではなかった。むしろ嫌いだった。中学生まではまだ向上心がむんむんと湯気だっていた部分もあったが、高校に入り、初めての公式戦でアキレス腱を断裂してから、私のやる気もプツン、と断裂してしまったのだ。
 向上心を完全に失ってしまった中、私は一丁前に厭世的な気分に浸ることになってしまったのだ。余談だが現在双極性障害に罹っているのはこの嫌なことやプレッシャーの積み重ねに因るところが大変に大きい(と考えている)。
 親は、私がちょっとばかし竹を振り回すことに向いていたものだから、私の活躍に多大なる期待を寄せ、勉学よりも剣道に集中しなさい、という普通逆だろといいたくなる、とんでもない親だった。
 まあ、今では親の気持ちもわかるといえばわかる。トンビ(超失礼)が鷹を産んだと思いたかったのだろう。
 しかし私は鷹なんかではなく、むしろとんでもなく出来が悪い、孵化不良に過ぎなかったのだ。かわいそうに。
 でも、子供を産むって、そういうことだと思いますよ。博打と似ていますね。
 高校の頃の部活は週七回、休みは三ヶ月に一回あればいい方で、平日は学校が終わり次第三時間ほど、土日はよく練習試合に出かけた。正直しんどかった。
 加えて私は人と時間を過ごすことが(人にはよるものの)あまり得意ではない。二時間人と喋るだけでヘトヘトになってしまう。しかし学校生活は、人と関わることを避けては通れない。
 ましてや、メンバー同士の連帯と絆が大事とされる運動部なんかなおさらだ。なので私は教室で友人と談笑してはヘトヘトになり、部室で親睦を深めては摩耗し、振りたくもない竹刀を振り回し瀕死になった後、帰り道に部員と下校して完全にとどめを刺されていた。
 帰った後でも母、父、祖父、祖母という人間が常にそこにいる。私は寝る間際の布団の中でしか、真に安心することを許されていなかった。

 しかし、逆に言えば、布団の中だけは何者にも侵されることのない、完全な聖域だった。あの頃の私は布団の中でしか息をしていなかったように思う。
 疲労で瞼は若者が負担する現代日本の老人の年金ほどに重く、今にも気を失いそうになりながらも、この瞬間を逃すまいと本を読んだり、音楽を聴いたり、アニメや映画を鑑賞していた。そうでないと、本当に心が折れてしまいそうだった。

 深夜はささやかなパーチータイムであったのだ。ある日パーチータイムにYouTube musicで適当に曲を流していたら、「深夜高速」がふと、本当に偶然にも流れてきた。私は一度、なんとなく聴き流した後、巻き戻し、もう一度アプリの再生ボタンを押した。
 なんて歌詞だ!と思った。「生きててよかった そんな夜を探してる」、だと。苦しさを歌いつつ人生讃歌をしちゃう感じの曲か? 励ましは煽りにしかならない。この野郎……と拳を振り上げかけたが、その、なんとも言えない、祈りにも似た歌声に苦しくなってしまって、気づいたら震えながら泣いていた。
 歌詞に「涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事 ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ」とあって、この苦しさに対する投げやり感、いつまでも心を蝕む出来事を悔やんで、でもそれでも這いつくばって進むこの感じ、すごく文章化しにくくてもどかしいのだが、とにかく、とにかく心を押し上げてくれるこの曲を大好きになってしまった。
 この曲を聴くと絶対に涙が出る。間違いなく、私の人生の杖の一つであろう。

 現在成人し、運転免許が取れるようになったので、いつかは普通車の免許を取り、深夜の高速で「深夜高速」を流しながらドライブしてみたいものだ。
 それまでは死ぬのはやめておこうと思う。別に今は剣道もやめたし、人とも自分のペースで会えるし(大学は本当にこういうところが最高)、好きなことを学べているので特に辛いことはないのだが、今日も深夜になったら、また聴く。

・あとがき

キトリさんのカバーもおすすめです♫

・コメント
深夜は歌詞も沁みると言うもの。
所々の言葉の使い方が、私の好みドンピシャで(パーティータイムじゃなくてパーチーだったり、人生の支えじゃなく杖だったり)読んでいて、ときめきました。
あと、とにかくを二回言うあたりにグッと曲に対する思いを感じました。
きっとそこら辺に生きている人みんな、実は大した理由で生き永らえていないのかもしれないですね。その杖の存在が何かを、私は知りたい。

真昼の深夜放送/七波とろみ(@thickenthewater)

 私にとって深夜といえば、まず深夜放送が思い浮かびます。そして、友達がいないやつは深夜放送が好きだと思います。特に深夜ラジオを好んでいると思います。私の統計によりそのような結論が導き出されたのです。サンプル数は一人でそれは私なのですが……。
 それはさておき、私に友達がいなかった時期があったのは高校時代のこと。
 コミュニケーション能力ゼロどころかマイナスの私は入学直後から人間関係の構築に失敗し、学校が終われば消えるように帰宅して、録音した深夜ラジオを聴くことだけが楽しみでした。
 ラジオはテレビよりも話し手の人となりが伝わってくる気がしたし、私がどんな人間でどういう状態であろうとも、おもしろいおしゃべりを聴かせてくれます。自分とは全く関係ない出来事、知らない世界や音楽、なんてことはない世間話、私のようなダメな人を肯定してくれるような話など、どんな話題でも楽しかったのです。無為な生活の中で唯一ポジティブな気持ちになることができました。
 しかし、私は二年生のときに自意識過剰が人生の最高潮へ到達し、学校に行くことが耐えられなくなって、ときどきサボるようになってしまいました。曲がるべき通学路を曲がらず真っ直ぐ自転車を走らせるのです。
 サボってる間に何をするかといえば、お金もグレる度胸もないので、自転車でプラプラしたり、チェリオを飲みながら公園でぼんやりしたり、本屋で音楽雑誌を立ち読みしたりしながら、ウォークマンで録音していた深夜ラジオを聴くのでした。
 この頃は県外の大学へ進学した姉がこちらでは聴けない番組を録音して定期的に送ってくれていたので聴くものには困りませんでした。こうして私は日中から深夜ラジオを聴く生活をたびたび送るようになりしまた。
 そうやって深夜ラジオと共に現実逃避しながら日常をやり過ごしていたら、追試を受けながらもなんとか進級できたのでした。
 そして、三年生の二学期のある日、なんとラジオの話題がきっかけで、あっさりと友達ができたのです。
 苦しい時期を救うだけでなく、人生を進展までさせるとは……私にとって深夜ラジオは御託宣、箴言なのかもしれません。私は放送局のある方角に向かって一日三度、感謝の祈りを捧げた方がいいのかもしれません。
 とはいえ、年齢を重ね、取り巻く環境も変化し、使える時間も体力も減った今では深夜ラジオを聴くことが難しくなってしまいました。それでもたまにradikoやポッドキャストといったものを利用して運転中や家事をしながら日中、聴くことがあります。
 そんなときにふと、真昼の誰もいない公園で深夜ラジオを聴いて過ごした十七歳の頃を思い出してはため息をつくのでした。

あとがき

思い切って初めてエッセイにチャレンジしてみました。テーマが深夜というよりラジオになってますね……ともかく、深夜は密やかで、自分だけの時間という感じがして好きです。今は深夜より前に寝てしまいますが。

・コメント
深夜放送が好きなやつは友達がいない! からの、見事などんでん返しが気持ち良すぎる!
私もラジオ好きな民なので、今のradikoやポッドキャストには感謝しつつも、不便な(時にカセットを駆使して、時には地方局の電波をキャッチしようとして……なんて言ったら年齢がバレてしまう!)時代は時代で思い出が色濃く残るというものですね。
ちなみにチェリオってなんだ! ってなったので、グーグル先生に聞きました。知らなかった……!

ナイトシフト/かわせみ色のひすい(@aoi_kawasemi)

 深夜は、祈りの時間である。何事もありませんように、と。
 かつて私は、急性期病院の事務職として働いていた。
 急性期病院とは、救急対応のある24時間体制の病院のことだ。
 だから、夜間勤務である当直業務があった。
 ……夜勤かぁ。私に勤まるのだろうか、と不安に思っていた。

 就職活動の面接時、こういわれた。
「だいじょうぶ。電話出て受付するだけだから。」
 事務当直の仕事は、下記のとおりだ。
 患者からの電話。救急隊からの電話。 施設からの電話。 他病院からの電話。 来院患者の受付とカルテの準備と会計。 患者を他院へ転送。 患者の入院および死亡退院の手続き。 たまに逃げだす病棟患者の保護。 当直日誌の作成。 病院の施錠と開錠。(深夜と早朝) etc……

 たしかに電話に出て受付するだけの内容だが、少しおまけも含まれていた。
 これをワンオペで行う。
 そしてこの当直は、日勤後そのまま夜間業務に入り、翌日の昼過ぎまで勤務する。
 勤務時間だけとれば過酷なようにみえるが、患者が来なければただの待機時間。
 その間は仮眠をとってもいいし、日勤の積み残しをやってもいい。

 だから、いつも祈っていた。今日は、何事もありませんように、と。

 と願っても、ここは急性期病院。
 夜間だろうと、深夜だろうと、早朝だろうと、患者は来る。
 受診が必要な患者は、受け入れなければならない。
 とはいえ、こういうのはちょっと……と思うこともある。

 そのひとつが、「なんでそれでこの時間に来るの…」といいたくなる来訪だ。
 ――薬をもらいにきた。 申し訳ありません……夜間帯は、救急対応のみ行っております。
 外来での診察が必要になりますので、日中の外来へお越しください。(なんでこの時間?)
 ――診察してもらいたいです。
 同じ症状で本日、受診されてますね。お薬も出てますね。(さっきも来た……何回くるの?)
 ――自転車で走っていたら、転倒したので来ました。 医師に確認しますので、症状を教えてください。(午前二時……)
 ――救急隊です。急性アルコール中毒の患者の受入要請です。
 (金曜夜かぁ……病棟のベッド状況どうなっていたっけ……)
 ――発熱の症状なんですけど、いまから診てもらえませんか?
 (ねむい……あと二時間で通常の外来時間……)
 などなど、こんな感じだ。
 多いときは、一夜で二十人ほど患者が来た。
 そんな日はもちろん睡眠時間などない。
 仕方ないと思うが、せめて深夜になる前に来てほしいと願う。
 深夜でなければ、仮眠できる。深夜だからこそ、仮眠がしたい。

 仮眠で思い出したが、忘れられない出来事がひとつある。
 事務当直ソファベッド撤去事件だ。
 まず当直勤務なら仮眠室があると、みなさん思うかもしれない。 残念ながら、私の勤めた病院には仮眠室もなければ、ベッドもなかった。
 あったのは、ソファベッドだけ。
 事務当直者たちは、そこで仮眠をとっていた。

 ところがある日、巨大冷蔵庫とロッカーを置くという理由で、撤去された。げせぬ。
 代わりに、折り畳みベッドが支給された。 一見よさそうにみえるが、これがとんでもない代物だった。
 遠く離れた備品室から用意し、毎回朝六時には片付ける……この手間がとにかくしんどい。
 しかも導入後数か月でベッドの脚が折れ、移動がさらに面倒になった。
 こんなもの誰もつかわなくなったのは、いうまでもない。

 事務室には、床と机と椅子、そして新入りの冷蔵庫とロッカーが残った。
 睡眠難民と化した当直者たちは、阿鼻叫喚しつつ仮眠手段を模索した。

 ある者は椅子で眠り、ある者は寝袋を用意した。
 私も試したが、椅子は腰や腕が痛くなるし、寝た気がしない。
 寝袋は嵩張るし、片づけがめんどくさい上、におい対策も必要だった。
 故に、私は第三の道をつくらざるえなかった。 仕事鞄に入れることができ、使用後の清掃が楽で、床に敷けるもの……。

 辿り着いた最適解は、ホームセンターで見かけたブルーシートだった。
 この青き救世主を床に敷き、死体が横たわるように仮眠をとった。 寝心地は決してよくはないが、それでも不快なにおいもなく横になれるため、かなり楽だった。サハラ砂漠でオアシスをみつける感動を知った瞬間である。

 後日あれだけ警戒していたにもかかわらず、この姿で横たわる様を夜勤看護師に見られてしまった。
 当然のごとくドン引きされ、話は瞬く間に病院内に広まった。
 「ブルーシートで寝てた人」で通じてしまうのは、なかなか難儀だった。 散々話題になったのにもかかわらず、不思議なことに当直環境は変わらなかった。

 さて、昔の仕事の話はこれくらいにしよう。ここまで語ったことは、あくまで小さな急性期病院での、私の経験した事務当直というだけの話。他の病院や医療従事者は、もっと大変なことも多いと思うし、表に出しづらい不満も多いと思う。医師、看護師はじめ薬剤師、放射線技師、検査科技師、療法士、栄養士、ソーシャルワーカーなどの医療従事者が、患者に治療や支援を行うのが病院だ。事務職と患者の接点は、入口で迎え入れ、出口で見送るくらいのこと。一介の医療従事者だった者として思うことは、それぞれの立場ごとの苦労がある。そして患者には、患者なりの不安がある。

 もうひとつ。救急外来に来るのを躊躇してほしいというわけではない。突然の胸痛や頭痛は命に関わることもあるし、まだ小さな幼児が熱を出したり、脱臼などの異変があれば、深夜であろうと救急外来へ来るべきだ。ただ緊張感あふれる現場なわりに、理不尽なことも多いのが病院だ。だから、ほんの少しの言葉の配慮が嬉しかったりする。「遅くまでありがとうございます」の一言が、夜をのりきる励みになり、こちらの「お大事にしてください」の言葉も、より気持ちの籠ったものになる。

 そんな夜を共にした明けの空は、いつもは眩いだけなのに、どこか爽やかな彩りで迎えてくれる。

・あとがき

エッセイかいてーと誘われたので、良い機会なのでかいてみた。もともとは深夜アニメの話でも書こうかと思っていたのに、仕事の話になってしまった。やってみてやっぱり書ける人すごいなって思った。
読まれた方へ おもしろかったのなら幸いです。

・コメント
病院の深夜って忙しない……
仮眠を絶対にとるという強い意思と葛藤の末に、まさかのブルーシートが選択されるという事態に笑ってしまった。実用性はさておいて。あ、新聞紙も意外とイケるって話を聞いたことがありますので、次回は是非!
話題になったにも関わらず、環境が変わらない悲しさったら……
午前二時に自転車漕いでいた人は、若干ホラー。あまり考えないことに越したことはないですね。

書いてくれてありがとう!


ふいうち/ミラヤギコ(@mirayagico)

 はじめましてお久しぶりですこんにちは.前回に引き続きとちさんの友人のミラヤギコです.普段はSEしながらコミティアなどで同人誌を出しています.

 今回は深夜ということですが,みなさん深夜って何してます? (今回はそういうお話ですが)
 大体の人は寝てるかと思いますが,ゆっくり音楽を聴いたり,本を読んだり,ゲームやネットサーフィンをしたり,自己嫌悪で忙しかったり…といろいろあるかと思います.
 え? ああはい最後のは言いたかっただけです.

 私はというとだいたいは寝てますが…寝てますよ?だいたいは.
 ただイベントが近くなると途端に原稿タイムになります.
 というか普段社会人をしながらイベント出るために同人誌作ってる人は基本的に深夜に原稿するものでしょ,基本的にと言うかほぼ例外なく.
 だって仕事やら家事やらしてたら時間ないやん?早割?どうやって時間作ってんの?(注:個人の感想です)

 ――すみません取り乱しました.
 というわけで今回私の深夜話は原稿の話!
 …ではなく,原稿を印刷していたときの話です.
 印刷所勤務でない人間が深夜に原稿を刷る…となると,もちろんコピ本です.(注:個人の(ry)
 だいたいコピ本を作る場所は自宅かコンビニかキン□ーズ辺りになるかと思いますが,今回の舞台はコンビニ.

 あれは生まれて初めての同人活動で,最初に描いた本を製本するため印刷していたときの話.

 ちなみにこの時に始めて描いた原稿は艦これ本で,マンガの描き方が一切分からなかったため全くページ数が描けず描きたいシーンだけ描いたというものでした.
 なお描き上がったのはC90の夏コミ1日目当日の午前3:00.恐ろしいことにそれ以降しばらくは上位の記録でした.
 …遅い方の上位じゃないですよ?早い方です,早い方.
 まあこの時の本はトラブルで急遽アナログに変えたり,当日スペースで船こいでたらお客さんから叩き起こされたりといろいろ思い出はあるんですが,それはまた別の機会に.

 閑話休題.
 なんでしたっけ…ああそうそう,この時の本を深夜にコンビニで印刷していたときの話です.

 時刻は深夜三時.なんとか描き上がった原稿をスキャナで取り込みPDFにしてUSBメモリに入れ,コンビニのコピー機に読み込ませ冊子指定でガショガショ印刷してました.
 自分以外に店員しかいない店内でかすかに流れる放送と規則正しいコピー機の駆動音の他には,喧噪も何も聞こえない世界.

 ――深夜って,ああいいう少ない音が空間に満ちたそばから静かに吸い込まれていくようで,ちょっと永遠のような感覚に陥ることがあります.
 疲れを感じつつも目がさえているような独特のテンション.煌々とした現在の不夜城コンビニの中にいるのに,夜の帳の中ではっきりと自分だけ浮かび上がっているような,油断すると溶けていってしまいそうなあの感覚.
 ああいう深夜の独特の雰囲気が,私は多分好きなんだと思います.

 そんな中次々に出てくる印刷された絵を見ながら「ああ,大変やったけど頑張って良かったなぁ」とか「自分の絵が刷り上がっていくのを見るのはちょっと不思議な気分やなぁ」とかいろいろ考えていました.

 なんて感傷に浸りたくなるのも深夜特有の….

 ――月に叢雲花に風,こういう心地よい時間というものは往々にして続かないもんですね.
 今回のような心地良い時間が終わる可能性はいくつかあるわけで…たとえば,印刷が終わるとか,誰か賑やかなお客さんが来店するとか.

 あのときは不意にコピー機の駆動音が止まりました.直後に鳴り響くエラー音.
 真っ赤になったモニターにはこう出ていました.

「紙が詰まりました,店員を呼んでください.」

 紙詰まり…? まあトナーって内部汚れやすいからな…とかなんとか思いつつ店員さんを呼ぶことに.
コピー機をガショっと開けたあと,慣れた手つきで詰まった紙を除去してもらっていたんですが,不意に声を掛けられました.

「すみません,こちら詰まっていた紙ですが,お客様のものでしょうか?」

 前回に続きまた突然なんですが,みなさんは「ソッドの法則」ってご存じでしょうか?
 「マーフィーの法則」ならご存じの方は多いかと思います.「バター塗ったトースト落としたら必ずバターの方が下になる」というアレです.
 いわゆる「泣きっ面に蜂」「降れば土砂降り」みたいなニュアンスですが,正確には「バターの面が下になる確率は絨毯の値段による」という
ような経験則にひっかけたジョークらしく「失敗する可能性のあるものは必ず誰かが失敗する」という精神とのこと.
 我々エンジニアは「なんかこの手順書わかりにくいな」「ここわざわざ読み替えないといけないの面倒だな…」という場面によく遭遇するんですが,
そういう所を放っておくと「必ず」誰かがこの点由来のミスを犯すんですよ…それが往々にして自分自身であることもままあります…あのとき直しておけば….

 いやマーフィーの法則じゃなくてソッドの法則ですよ.
さっき挙げた「降れば土砂降り」のような「悪いことは最悪のタイミングで起きる」ニュアンスにより近いのがソッドの法則らしいです.

 私に声を掛けてきた店員さんですが,中で詰まったであろう紙をバッと広げ,こちらへ提示していました.

 その紙は間違いなく私が印刷した紙――正確にはコピ本の一枚だったわけです,当然ながら.
問題はそのページの中身でした.

 コピ本をイメージして頂けると分かるかと思いますが,基本的にコピ本は面付けされているため左右のページが繋がっていない部分がほとんどです.
イメージしにくい方はA4のコピー用紙を3-4枚重ね横に折って冊子状にし,表紙から1,2...と番号を振ったあとバラしてみてください.
 折り目の左右でページ数が連続していないと思います.

 …が,そんな中で唯一ページ数が連続してる箇所があります.
 そう,いちばん内側に折られた見開きのページです.

 別に連続しているからって左右のページで絵が繋がっている必要なんてこれっぽっちも無いんですが…そのとき印刷していた本ではしっかりと絵が繋がっていました.
 それも,一番盛り上がる部分のキメッキメな絵がでかでかと.

 自分の描いた本を見返せるか否かというのは人によるでしょうが,同人誌作成が初心者で,絵にあまり自信が無い状態で,深夜の油断しきっているところに
 いきなり見ず知らずの人から自分のキメ絵をでかでかと見せつけられたら…普通の人間だったらフリーズしません?
 私ですか? しっかりご多分に漏れずでしたよ?ラジオだったら確実に放送事故になってました.

 そうして永遠とも思えるような沈黙のあと,絞り出すように出した「はい,そうです…」の一言が未だに忘れられません.
 処分して良いかも聞かれましたが,力なく首を縦に振るのが精一杯でした.
 イベントでスペースに来た客に目の前で本を読まれるのとは訳が違うのだよ,訳が.

 かくして,ちょっとおセンチな気分に浸っていた深夜のコピ本作りは,放心状態のままコピー機の仕事を見学する会に変わったのでした.

 コンビニのコピー機,ホンマに優秀やねぇ….

あとがき

深夜ということで真っ先に思い出したネタでした.
同人誌作成周りはいろいろとネタがあるので,また合うお題が来たら話したいと思います.
ちなみに前回のカラオケ話がめっちゃとちさんに好評だったようなので今回だいぶプレッシャー感じています…!

・コメント
今回もありがとうございます。同人活動あるあるですね。私もコンビニコピーのときは、ヒヤヒヤしています。紙足りてくれよ…!! 後ろに並ばないでくれよ…! 的な意味で。
深夜のコンビニは、変わらずそこにあるだけなのに不思議な感覚に陥りますね。そこら辺の表現がとても好きでした!


以上、いかがでしたか?
こんな思い出に身に覚えのある方もない方もいると思います。
そういう方は、ぜひ次回のテーマでの投稿をお待ちしています。
次回のテーマは餃子! 冷凍餃子、街中華、ちょっといい感じの点心、手作り。身近で、バリエーションのある料理のエピソード、お待ちしています。


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