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赤穂緞通工房ひぐらし

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赤穂緞通の工房とギャラリーです。 見学と購入ご希望の方はHPからご連絡ください。 http://akodantsu.com/
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#赤穂緞通

色あせた御寮の欠片を額に入れる

色あせた御寮の欠片を額に入れる

この話は春の倉敷はしまやの展示会場から始まる。訪れた方が飾ってあった小さな古緞通額を気に入られたのだけど、それははしまやさんにプレゼントされた非売品だったので、大きめの古緞通額を注文してくださったのだ。藍の色褪せた色合いがお好きだということで、自分用に取っていた古い御寮の欠片を額仕立てにすることにした。

作業をしていて、上部のハセ(結び)が見える処はそのままハセた糸と横糸経糸が見えるように切るこ

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赤穂緞通「桐唐草」が織られた時代

赤穂緞通「桐唐草」が織られた時代

私が赤穂緞通の織り手になるきっかけとなった「桐唐草」
大阪から赤穂に移住した父が要介護になって、足しげく実家に通っていたある日。訪れた赤穂緞通工房で先輩が織ってられた「桐唐草」にとても心惹かれたのです。残念ながらその時の糸は藍染めではなくて、現代では本藍染めの糸が入手できないと知って、私が本藍染めの桐唐草を作る!と衝動的に思ったのでした。それから20年近くの年月が流れました。講習生を経て独立したの

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四条烏丸へ謎の絨毯を見にいく

四条烏丸へ謎の絨毯を見にいく

今年も祇園祭山鉾巡行は中止になりました。去年取り換え損ねたチマキはボロボロになってしまったので、オンラインでお取り寄せいたしました。
しかし文化継承の為に一部の鉾立は行われるということで、人混み恐怖症の私にとって、まじかで山鉾を拝見できる千載一遇の機会ではないか!と京都まで行ってきました。しかも人気が無い明け方に鑑賞しようと鉾町ど真ん中に宿泊。

残念ながら雨もよいの天候のためビニールで覆われた長

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日曜に地元朝市に行くまっとうな暮らし

日曜に地元朝市に行くまっとうな暮らし

今日は朝から備前福岡の市という朝市に行ってきました。刀鍛冶が研ぎをしてくれるというので、前々から行きたいと思っていたのです。

眩しいばかりの五月の朝、ブルーラインという自動車専用道路の終わりにあるメタセコイアの群木を横目に(秋には黄葉がとても綺麗)、

入り組んだ入り江のヨットハーバーや鄙びた漁港を横目に、

辿り着いた小さな朝市。
でも内容は素晴らしくて、若いお兄さんが一人で手作りしているコチ

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シルクロードの東の果て 文様考察2

シルクロードの東の果て 文様考察2

「Chinese Carpets」は工房六月の蔵書を借りています。この本を渡してくれる時に赤穂緞通とそっくりの文様がある!といっていた19世紀新疆の絨毯。
縦糸横糸は綿でパイルは絹、珍しい文様と解説にあり。96×178cm。

そしてこちらが収集の中の赤穂緞通、未手入れ。94×190cm
推定制作年代は明治末期から大正時代。
もうここまでそっくりだと、現物を見本にして作ったとしか思えません!
額縁

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シルクロードの東の果て 19世紀

シルクロードの東の果て 19世紀

赤穂緞通はどうして生まれたか?の続きです。
1845年前後の清は激動の時代でした。アヘン戦争が1840年に勃発し、南京条約1842年、北京条約1860年と続きます。
そして中国の絨毯は進出してきた英国を中心とする欧米列強によって流出していきます。一方ペルシャ絨毯は最盛期が17世紀までといわれ、18世紀にはアフガンの侵略などにより急速に技術が衰えたそうです。このクラッシックペルシャ絨毯は19世紀から

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赤穂緞通はどうして生まれたか?

赤穂緞通はどうして生まれたか?

さて、ずっと私が疑問に思っていたことがあります。
赤穂緞通は児島なかという女性が弘化年間(1845年ごろ)に高松で万暦氈を入手し、それを再現しようと試み、明治3年(1870年)座布団大が完成、明治7年(1874年)に一畳織り完成、という点。地元の郷土史研究家による資料の中に明記されていますし、一般的に公開されている赤穂緞通の紹介にもそのように説明されています。
赤穂緞通についてはこちらがわかりやす

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シルクロードの東の果て 文様考察

シルクロードの東の果て 文様考察

ひぐらし引きこもり日記13で書いた内容の続きです。

昭和49年9月に日本橋三越で開催された「中国の古緞通展」図録より
包頭絨毯「花王団文」19世紀後期 125×65 2枚

上の額縁部分に使われている紗綾形文は、日本でも古くからある文様だとぼんやり思ってましたが、明の時代に日本に渡ってきたらしいです。
そして紗綾文は包頭の西の寧夏の緞通にもよく使われていて、このサイズはイスラム礼拝用に作られたと

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ひぐらし引きこもり日記16 五月

ひぐらし引きこもり日記16 五月

定点季節観察の柿の木はすっかり葉っぱが濃ゆく大きくなって、向かいの鹿久居島がもうすぐ見えなくなる。山はつつじが咲き終わって藤が盛りになった。

今日は久しぶりに出かけて予約されたお客さまのお相手をしてきました。
お客さま3人とスタッフ2名、マスクをして距離を取って接客。
ついでにオンライン展示会の打ち合わせ。ゆる~い販売体制の赤穂緞通ですが、6月に予定していた展示会が無くなったので重い腰を上げまし

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ひぐらし引きこもり日記13 謎の文様

ひぐらし引きこもり日記13 謎の文様

赤穂緞通の文様の中で私が一番気になるのは、このどう見ても中国風の緞通の文様。作られたのは化学染料が使用されていることや糸の状態から推定で昭和初期。

2枚組で入手し、しばらく赤穂御崎の森の家に敷いていました。
ちょっとのあいだ手放さないでおこうと思ったのです。
これと似た文様がシルクロードの要衝の地であった新疆ウイグル自治区ホータンで一時期作られていました。
http://www1.tcn-cat

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ひぐらし引きこもり日記11 文様

ひぐらし引きこもり日記11 文様

時間に余裕のある時に、と写真を整理して出てきた「懐かしい緞通」
facebookの赤穂緞通工房ひぐらしページでアップしていってます。
で、この写真の緞通の説明書いていて、書きたいことが多すぎて止まらなくなってしまったので、続きはこちらで思う存分書きます!

赤穂緞通は明治の初めに製品化されたのですが、瀬戸内の一地方から広く海外に販路を伸ばすようになるにあたっては、京都の鉾町との深い関わりがあります

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ひぐらし引きこもり日記8 読書

ひぐらし引きこもり日記8 読書

赤穂緞通の縦糸は10番手綿糸を9本~11本を合糸したものを使う。あらかじめ糊(米粉と餅粉を合わせて自分で炊いて作る)を揉みこんで、へ台に張って乾燥させたものを使う。昔はこの仕事は織子ではなく緞通場の奥さんとかがやっていたらしい。けっこうな距離を歩くので、「今日は〇〇まで歩いたわ」とかの会話が資料に残っている。

今回は縦糸の用意は若手Aが自分のついでに年末にやってくれた。
で、今はもう4月。予定は

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ひぐらし引きこもり日記7 藍染め糸

ひぐらし引きこもり日記7 藍染め糸

工房は、大掃除がだいたい終わって縦糸張りの準備が整った。だいたいってのは綿埃がそこら中に降り積もっていて、掃除するたびに舞い上がるので、最終的に降り積もったのを雑巾で拭き取らないと掃除が終わったとは言えないからです。作っているときも顔や手にいっぱいついて、夏などは汗かいた顔が青くなってしまっている。人と会うときは要注意!

このあいだ藍染め糸が届いたので、機にぶら下げて空気にさらしている。あたりに

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ひぐらし引きこもり日記4 搬入!

ひぐらし引きこもり日記4 搬入!

本日、必要喫緊の要件で県境を越えて、岡山天満屋さんへ展示会の搬入に行ってきました。いまだに長閑なハレの国岡山にコロナウィルスを持ち込まないために自宅謹慎してたんですが、街中は普段と変わらない様子でちょっと拍子抜けかな。さすがに営業時間短縮中の店内は緊張感があり、非常事態宣言が出ている県からの展示会、無事に終了することを祈るばかりです。
(定期的に開催させていただく予定の赤穂ギャベとワークショップイ

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