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きゅーのつれづれ(note版)

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アヒルのオーナメントであるきゅーちゃんが、小さなアパートの一室で住人や訪問者たちとの出来事をつづります。 2014年7月から2018年5月までnoteにて連載していた作品です。 … もっと読む
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記事一覧

きゅーのつれづれ その1

きゅー: 初めて出会ったときにはまだ、カオリはランドセルをしょった女の子だった。 ホームセンターからぼくを買って帰ったのはカオリのお母さんだ。 お母さんはマーガレットの花壇にぼくを置いたんだけど、学校から帰ったカオリがぼくを見つけて気に入ってしまった。ぼくを欲しいとおねだりするカオリに、このアヒルは庭のオーナメントだからとお母さんは説明したけど、カオリはぼくといっしょに寝るんだと言い張った。アヒルさん雨にぬれたらかわいそう、と五七五で泣き落としてぼくを勝ち取ったんだ。 そ

きゅーのつれづれ その2

ブーコ: ピギーッ‼ 暗闇のなかに変な鳴き声が響いた。ぴぎー? できないのに振り向こうとして思い出した。カオリがぼくをしまい込むとき、ブタの貯金箱も足元にいたっけ。あいつか。 ブフー。 今度は鼻を鳴らしてる。 家にいた頃は機嫌のいいやつだったんだけど。引っ越しを決めてからカオリはお金がいるようになって、貯金箱に貯めてたお金をほとんど抜いちゃって、それからずいぶん怒りんぼになった。 「いったいいつまでこんなところに閉じ込めておく気よブフー!」 同感だったけど、相手にはしたくな

きゅーのつれづれ その3

ダンボール・ジャングル: 深夜。カオリがすうすう寝息を立てている。外ではしとしと雨が降っている。 部屋の中には、かすかな気配が動いている。まだ片付けられていないダンボール箱が、夜になるとしゃべり出す。じっさいそれが話し声なのかどうかはわからないんだけど、でもそんな気がする。カオリの口からもれるイビキや、むにゃむにゃという寝言に反応して動くから。かさこそ、かさこそ。 カオリの荷ほどきが中途半端なままなので、ダンボール箱の中はまだ落ち着き先の決まらない荷物でいっぱいだ。その重さ

きゅーのつれづれ その4

ミズノさん: ピンポーン。 うつらうつらしていたぼくはハッとした。この部屋に越してきて初めて聞くインターホンだ。 そしてノック。 「トウラさーん」 ダンボール箱に突っ伏して寝ていたカオリが飛び起きて、指で髪をほぐしながら玄関に降りる。 「こんばんは、隣のミズノでーす」 「あ、こんばんは」 散らかし放題の部屋を隠そうとめいっぱい背伸びをして答えるカオリだが、隣人はその脇からねじ込むように首を出して部屋を観察した。カオリのひと回り上くらいの女の人だ。 「ごめんねー、お片づけの最

きゅーのつれづれ その5

ダンス: 「よっこらしょ」 カオリはダンボールの最後の束を抱えて出ていった。鍵を回す音が消えると、辺りはしゅんと色あせて、部屋じゅうがぼくらの世界に変わる。 ダンボール達はミズノさんからたたかれてから妙におとなしくなって、夜にジャングル化することもなくなった。すると不思議と荷物のかさが減ったようで、カオリの片付けもすいすいと進んで、物をどけなくても床に寝転がれるようになった。バンザイ。 空いたスペースを使って、カオリは運動を始めた。お風呂から上がると鏡の前でおなかを出した

きゅーのつれづれ その6

シエスタ: シエスタとは、スペイン語で「昼寝」の意味らしい。スペインの日差しはとても強いから、疲れすぎないように午後は休んで過ごすんだそうだ。 カオリも、休日はこの習慣を取り入れることにした。ベッドでは暑くて寝られないと、風通しのよい窓のそばで、タオルケットをおなかにのせて寝息をたてている。初めてのお給料で買った高価なふかふかの低反発枕は、カオリの寝返りではずれてしまった。 開け放した窓からベランダへ通る風は、じっとりと生暖かい。 ひたいに汗を浮かべて眠るカオリの上では、ポ

きゅーのつれづれ その7

夕立: がらがらがしゃーん。 轟音と一緒にカオリが部屋に飛び込んできた。赤いシャツが大粒の雨で水玉模様に変わっている。 「びっくりしたぁ。すごい雨だよ、きゅーちゃん。外にいたらかみなりに打たれちゃうかもよ」 タオルでぬれた足を拭いていると、次の稲光りが真っ暗なキッチンまで突き抜けた。 ごろごろごろごろ。 かみなり雲の転がる音がする。かみなりは苦手だ。もしもかみなりに打たれたら、粉々に割れちゃうかもしれない。不安で縮こまってるぼくを、ブーコがにやにやと見てる。自分だってぶつけ

きゅーのつれづれ その8

ドット: せっかくの休日なのに、今日も朝からざあざあ降りだ。 しばらく洗濯をさぼっていたせいで、部屋は色とりどりの洗濯物で大にぎわい。 カオリは赤に白の水玉シャツをしきりと気にしている。 「こんなシャツ、あったっけ?」 こないだまでただの赤いシャツだったのを忘れてるんだ。だからってよその洗濯物が紛れ込むわけもないので、カオリは無理やり自分を納得させた。 「きっとずいぶん前に買ったんだね」 そうじゃないよ、と声をかけたけど、カオリは背中を向けたまま。いつものことだ。カオリが耳

きゅーのつれづれ その9

手紙: 手紙の差出人はわかってる。カオリの幼なじみのポンちゃんだ。六年生で引っ越してしまってから、ずっと文通している友だちだ。ポンちゃんは絵が得意で、便箋にはいつも、ところどころにさし絵がちりばめられている。時には封筒にもイラストが添えられている。たぶんそのために、携帯やパソコンを持つようになってからも二人はメールじゃなくてカタツムリ便を続けていた。 そんなポンちゃんから、数ヶ月ぶりの手紙が来た。いつもより分厚い。カオリが封を切ると、中から便箋と一緒にはがき大の絵が出てきた

きゅーのつれづれ その10

はろいん: 隣のミズノさんはよくおすそ分けを持ってきてくれる。いつも作りすぎてしまうとかで、カレーを鍋に半分とか、ボウルいっぱいの混ぜご飯だとか。 今日は袋いっぱいのお菓子だった。セールで安くなっていたから買いすぎたんだって。 「明日休みだし、お菓子パーティでもしない? ほら、ちょうどはろいんだし」 はろいん、て何だろう。 カオリが袋の中を覗いて、二人はおおいに盛り上がった。取り出してテーブルの上に並べるお菓子はどれもこれもオレンジ色だ。全部出し終えるとミズノさんは、 「

きゅーのつれづれ その11

おおつごもり: 夜風ががたがた窓を鳴らす。 げほごほげほ。 答えるようにカオリが咳き込み、ヤカンが合いの手の笛を吹く。 カオリは粉末のしょうが湯をカップに入れてお湯を注ぎ、十秒くらいふーふーしてからすすった。 「味もにおいもしない……」 固まりかけた粘土みたいな声でつぶやく。 朝から寝込んでたから、これが今日の第一声だ。パジャマの上にはんてんを着ていても、まだ寒そうに手首をさすっている。 カオリは鼻をすすりながらテレビをつけた。どのチャンネルも騒がしい番組ばかりで、カオリは

きゅーのつれづれ その12

バナン: カオリは頭を抱えている。 帰宅したら、覚えのないバナナの皮が床に落ちていたから。 そりゃピカピカのきれい好きって訳じゃないけど、バナナの皮を床に捨てたりするほどズボラじゃないもん、そう思ってるに違いない。でもさ、いくら考えたってわからないよカオリ。わけはぼくが教えてあげるよ。といってもカオリには聞こえないけどね。 ことの始まりは、隣のミナミさんがいつのもようにおすそ分けをくれたこと。お客さんにもらったからとバナナの大きい房を丸ごとくれた。カオリはありがとうと受け

きゅーのつれづれ その13

春: 玄関ドアが開いて、カオリとミズノさんが飛び込むように入ってきた。 「いやー、寒いね」 ミズノさんが震えながら、言葉とあべこべに楽しそうに笑う。カオリは急いでストーブをつける。 「三月の終わりだっていうのに、まだ冬みたいですね」 「昨日はポカポカいい陽気だったのにねえ」 ミズノさんが買い物袋をごそごそすると、木の枝が出てきた。。 「カオリちゃん、これ桜だよ。折られて落ちてたからさ、拾ってきちゃった」 「あ、つぼみがついてる」 「活けておいたら咲くんじゃない」 花瓶がない

きゅーのつれづれ その14

めざめ: 「きゅーちゃん」 カオリの声で、ぼくは目が覚める。目の前のカオリが手を伸ばしてぼくを抱く。 なんだか頭がぼんやりとしてる。ずいぶん長いこと眠っていたのかな。 部屋の隅ではストーブが赤く光っている。じゃあ今は冬なんだ。部屋の様子は最後に見たときと少し感じが変わっていて、本棚の上にいたはずのブーコがいない。 ブーコはどうしたの? カオリに聞いても、ぼくの声はもちろん聞こえない。カオリはぼくを持ったまま窓を開けた。白い粒が上から下へと音のないリズムで流れていく。 「き